デーモンとブラーとゴリラズ

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「あんなライブをあと1度でもできたら僕は自分が本当に恵まれた人間だと思うだろうね。あれを何としてもまたやりたいってわけじゃなくて、もう2度とあんなことが起こらなくてもそれを受け入れられるくらい良かったってことだけどさ」

この夏、ゴリラズとして最大規模のライブを計画していることを発表したデーモン・アルバーンが(http://ro69.jp/news/detail/31471)、昨年の夏に行った「ブラー再結集ライブ」を回想して語った発言である。

なかなかに感慨深い発言である。

何度か書いてきたように、あの「再結集」は、新たなブラーを始めるためではなくて、むしろ、きっちりと終わらせるためのものだった。ブラーというバンドにメンバーそれぞれが抱えていたもやもやをすっきりさせるためのものだったと思っている。それは、途中で抜けてしまったグレアムにしてもそうだし、ブラーが果たした功罪を背負い続けてきたデーモンにしてもそうだった。それを、数万人のオーディエンスの合唱の中で、いわば許すこと、送り出すこと、つまり、弔うこと。それが、昨年夏の「再結集ライブ」だった。

そのあまりにも鮮やかな光景は、この2月にリリースされた映像作品『ノー・ディスタンス・レフト・トゥ・ラン』に収められた、ハイド・パークの完全ドキュメントに赤裸々に映し出されている。この映像は、ロックにおいてバンドというものがどういうものなのか、それがわかる壮絶に感動的な作品だ。

そして、3月になれば、早々にゴリラズのサード・アルバム『プラスティック・ビーチ』がリリースされる。スタイルは踏襲しながらも、これまでの2枚とは意気込みも覚悟も別グレードで伝わってくるこの力作はもちろん、デーモンにとって、そのような旅を終えたからだと思う。
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