『ミート・イズ・マーダー』とは何か
2010.02.27 19:00
1985年に発表されたザ・スミスのセカンド・アルバム『ミート・イズ・マーダー』。この2月がちょうど25周年にあたるそうだ。
80年代初頭の英国インディー・シーンに突然グラジオラスの花びらを振りまきながら登場したザ・スミス。このマンチェスターの4人組は、毎月のようにシングルをリリースしながら、次第に、バンドの本来的な姿を露にし始める。セミアコースティック・ギターの優しい音色に、苦悩する青年、そして、メランコリックなサウンド。そういった初期のバンド・イメージは、いきなりセルフ・プロデュースを決行した本作でひっくり返される。
それは、ソリッドでハードなロック・バンドとしての攻撃性がこのバンドの正体だったということだ。ジョニー・マーのギターはぎりぎりと耳をかきむしり、アンディ・ルークのベースはしなったムチのようにのたうつ。マイク・ジョイスのドラムはもうストロング・スタイルの鉄槌だ。そして、モリッシーは、よりいっそうラジカルで断定的な世界への罵りを、気持ちの悪くなるような裏声をヨーデルばりに震わせながら吐き散らす。
「ミート・イズ・マーダー(食肉は殺人だ)」というと、大抵は、動物愛護の精神、あるいはベジタリアン的な態度の、強い表明であるととらえられる。実際、モリッシーはいまなお動物保護の団体への支援を継続しているし、有名なベジタリアンとして表彰されたこともあったと記憶している。弱き生き物たちへの目配せは、打ちひしがれた青年といったザ・スミスのイメージともシンクロする。
しかし、このアルバムのメッセージはそういうことではない。このアルバムには、学校のシャワー室で教師に蹴り上げられる学生が出てくる(「ザ・ヘッドマスター・リチュアル」)。祭りの夜に刺し殺された少年が出てくる(「ラシュロム・ラフィアンズ」)。13歳のときに警官を殺したという少年が出てくる(「アイ・ウォント・ザ・ワン・アイ・キャント・ハヴ」)。誰からも顧みられることのない、自殺願望の女性が出てくる(「ホワット・シー・セッド」)。悲しんでいるひとをあざ笑う人が出てくる(「ザット・ジョーク・イズント・ファニー・エニモア」)。クラブに行って、一晩中かけても誰とも会話もできずに独り部屋に戻って死にたくなる青年が出てくる(「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」)。女王陛下にむかってズボンを下ろしたいと叫ぶ下層階級の少年が出てくる(「ノウホェア・ファスト」)。最期のメッセージをつぶやく、おそらくは今まさに死のうとしているひとが出てくる(「ウェル・アイ・ワンダー」)。家庭で今日も打たれている子供たちが出てくる(「バーバリズム・ビギンズ・アット・ホーム」)。そして、われわれが食べるために殺されていく牛や七面鳥が出てくる(「ミート・イズ・マーダー」)。
つまり、それは「暴力」ということである。動物を殺して食べていること、子供を虐待していること、隣の誰かの悲鳴を無視していること、階級差別を黙認していること。それらはみな同じだと言っているのである。それらはみな「暴力」だと言っているのである。アルバムのジャケットには、戦地を歩く兵士がいる。彼のヘルメットには「ミート・イズ・マーダー」と書かれている。戦争という最大の暴力と、今日殺された動物の肉を食べることに、何の違いがあるのかと言っているのである。
この世に存在するありとあらゆる暴力への全身全霊を賭けた嫌悪。それが『ミート・イズ・マーダー』だった。素晴らしいロック・アルバムである。