初来日のスヌープ・ドッグに、僕はインタビューした

初来日のスヌープ・ドッグに、僕はインタビューした

来日直前中止のお知らせを、なんと本人自ら映像で伝えるというなかなかな「漢」っぷりを見せ付けたスヌープ・ドッグ。その理由も「契約じゃあ全額前金ってことだったけど、そうじゃないみたいだ。すまねえ、これはビジネスなんだ」と、すっぱーんと明快な理屈でグゥの根も出ない。あらためての実現を願うしかない。

そんなスヌープ・ドッグ、初めて来日したのは確か1996年の年末ぎりだったと記憶している。そして、そのスヌープ(当時は「スヌープ・ドギー・ドッグ」ね)の取材に派遣されたのが、僕だった。

場所は横浜のホテル。通訳は、僕が読者だったころからたぶん仕事していたと思う、大ベテランのスティーヴ・ハリス氏。もちろん、編集者経験のない頃から、ずいぶんと取材には同行してもらい、イロハ(ABCか?)を教えてもらったりもした、先輩でもある。

インタビューの予定時間より1時間ほど早く待ち合わせして質問や段取りなんかを確認しようということで、ロビーでスティーヴさんと会ったのだけど、開口一番、彼が「ミヤザキクン、ヤバイクエスチョンハナシネ」という。そんなことを言われたことがないのできょとんとしていると、畳み掛けるようにスティーヴ氏は言う。「ダッテ、アブナイヨ、アブナイノヨ」

情報を捕捉しておく。①当時のスヌープ(つまり、ドギー・ドッグ)は、セカンド・アルバム『Tha Dogfather』をリリースし、西海岸ギャングスタ・ラップがもっともデンジャラスにぶいぶい言わせていた、そのド真ん中でいっちばんギラギラ輝いていた頃のスヌープである。②ということは、ラップ、ヒップホップを取り巻く環境、空気は非常にヤバいものであり、ごく普通にラッパーが射殺され、ごく普通に報復が行われ、ごく普通にその筋の方がスターになっていた、いわば、ラップやヒップホップにつきまとうダークでネガティヴなイメージのほぼすべてが実際に起こっていた時期である。③というようなスヌープなりラップ界なりを、ごく普通の白人層はどう見ていたかというと、いまほど寛容かつ好意的ではもちろんなく、「ゴウェェェェ」と二歩も三歩も後ずさりする態度が大勢だった。そして一言付け加えておくと、通訳スティーヴ・ハリス氏というのは、もう典型的な、そして新しいいろんな音楽よりも古いロックが大好きな、文系白人そのものだったのである。

ということを踏まえると、スティーヴ氏の「ダメヨ、アブナイシツモン」発言も、理解していただけると思う。しかし、ロッキング・オンとは「ヤレヨ、アブナイシツモン」こそが取材のキモだと教え込まれていたわけだから、そして、そんな「アブナイシツモン」をこれまで先輩編集者たちからさんざん訳させられ、アーティストに無神経なまでにぶつけてきたスティーヴ氏だったわけだから、ちょっとびっくりしてしまったのである。

とはいえ、当時の宮嵜も、正直ビビっていたのは確かだった。ロッキング・オンに入社して出張に行かされるまで海外旅行もしたことがなかった、そして、物心つくまで目の前を歩く外人を見たこともなかった地方出身者の宮嵜である。基本、外人はこわい。特に黒人はこわい。さらに黒人のラッパーはこわい。その中でもスヌープは最強。だったのだから、僕だってコワかったわけだけど、会うなり外人かつベテランのスティーヴ氏から言われて、なおコワくなってしまった。

事前の打ち合わせが、ほんのり軟弱な方向によっていったのを、いったい誰が責められよう。編集部では「おい、宮嵜、明日はスヌープに『ほんとに人殺したことないですか?』って訊いてくんだぞ!」(スヌープはデビューの前後、殺人容疑をかけられていた)と先輩編集者たちから言われ、つられて笑っていた昨日の宮嵜くんはここにはいない。「いま、この世から抹殺したいヤツはいますか」。はい、この質問、却下。音楽、関係ないし! とか言いながら、せかせかと質問をチェック。そして、いよいよスヌープの待つ取材部屋へとむかうふたりなのだった。

とにかく、スヌープとの取材で覚えていたこと。①スヌープのあの、基本的に眠たそーーーーーーーーーーな目。②それが質問するたびにゆーっくり開いていって、その中に僕が映っているマナコがあるのを確認したときの悪寒。③なーんか匂う部屋。④なーんか煙ってる部屋。⑤われわれが取材している、その背中側に巨大なベッドがおいてあって、そこに屈強なブラック数名、ビッチなネーチャン数名がグダーとのっかり、バスケットのTVゲームをダラーとやっている。⑥ということは、いつなんどきスヌープからサインが送られ、われわれふたりの後頭部にかたーいものが押し付けられても、その動きを察知することができない恐怖。⑦だったんだけど、取材も進み、ちょっと調子にのってきた宮嵜が「スティーブさん、こういう質問していい?」とすこーしだけ緊張感アップ目な質問をしようとしたときの、きっぱりとしたスティーブさんの拒否顔。

そんなこんなで、とはいえ無事終了したこの取材。ここまで書いてきたほど弱腰外交みたいな取材だったかどうか、気になって当時のロッキング・オンを引っ張り出してみた。1997年3月号、U2が表紙。スヌープはカラーで4ページ。

いや、いろいろ訊いてました。てか、自分で言うのもナンですが、ちゃんとしてますこの取材。ちょっとほっとしました。でも、読んでいて、「あ、こんなことあった!」と、思い出してゾっとしたくだりも掲載されていました。以下、抜粋。

Q:例えば、マイク・タイソンはカス・ダマトに見出されドン・キングの力によって世間に出たという構図があるわけですが、あなたの場合、ドクター・ドレがカス・ダマトで、シューグ・ナイトがドン・キングだと考えると――。

スヌープ「ははは、そのたとえ、おもろいなぁ(笑)」

Q:(笑)でも、そう置き換えてみると、この構図があなたにもぴったりあてはまるんですけど、そうは思いませんか?

スヌープ「おいおい、こいつの言ってることおもろいよな」(それまでムッツリしていた周囲の屈強な黒人たちがいっせいに笑い出す)

Q:ははっ・・・・はははははは。

スヌープ「ふはははははははははははは」

Q:・・・・・・・。

スヌープ「俺はマイク・タイソンなんかじゃないぜ」


その場が、シーンって音が聞こえてくるくらいシーンとなったのは、言うまでもありませんでした。
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