Bon Iverジャスティン・ヴァーノンはなぜVolcano Choirであんな音を出せたのか

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11月8日、渋谷O-westで行われたVolcano Choirのライブに行ってきた。ご存知の通り、Volcano Choirにとってはこれが世界初ライブ・パフォーマンスの夜。同バンドでジャスティン・ヴァーノンといっしょに演奏をしているCOLLECTIONS OF COLONIES OF BEESをオープニング・アクトに、それが終わるとValcano Choirという構成。

ドラマーのJon Muellerにとっても最後という追加の貴重さもついたCOLLECTIONS OF COLONIES OF BEESの演奏は、ロック・アンサンブルを極限までミニマルに突き詰めた理知的かつエモーショナルなもので、長い活動歴の年輪を感じさせるものでもあった。しかし、(申し訳ないけど)そこにジャスティン・ヴァーノンが加わり、Volcano Choirとしてのスキームに則ったパフォーマンスへと転換すると、そこには、まったく異なる次元の音世界が広がっていた。

アルバム『Unmap』が拓いていた世界。それは、ジャスティン・ヴァーノンBon Iverがウィスコンシンの山奥で一人鳴らしていたアルバム『For Emma,Forever Ago』とは違うベクトルを持った作品である。制作意図も環境も違うのだから当たり前といえば当たり前な話なのだけど、ネオ・フォークの金字塔となった『For Emma,Forever Ago』の作者がなぜ、トレント・レズナーやトム・ヨークといったミュージシャンが追い求める類の(ということはつまりカニエ・ウェストも)、「次の音」への確かなきっかけを感じさせる『Unmap』を造りえたかの説明にはなっていない。

目の前で繰り広げられていたVolcano Choirの音世界。それは、トレント・レズナーが『The Fragile』期に「誰も聴いたことのない音にしか信頼を寄せられない」ところまで追い詰められたような切迫感や、トム・ヨークが『In Rainbows』で試みた「できうる限り切り詰めた音の間にしか生まれ出ることの適わない」静かなエモーションや、あるいは、カニエ・ウェストが「ヒップホップそのものを根底からひっくり返すくらいの大胆さで導入した」冷めたゴスペルといった、そのようなものが渾然一体となって放出されるものだった。どこまでそれが意識されているかは別として、今目の前で鳴っている音は紛れもなくそのような音のブレイクスルーに向き合った音だった。

より特筆すべきなのは、それがなぜ、フォーク・ミュージシャン(?)ジャスティン・ヴァーノンに可能だったかということなのである。

とりあえずの推論を言えば、ジャスティン・ヴァーノンがまさにフォーク・ミュージシャンだったからとしか言いようがない。

フォーク・ミュージックは、トラッド・ミュージックである。厳格な方法論と決まりごと、ルールとクリシェが一介のミュージシャンが太刀打ちできない大きさで聳え立つ表現である。ということは、逆にいうなら、そこには、説明のできない音楽のマジックが内包されているということだ。切り落とされたごく限られた音だけで、豊潤な世界を現出させ、伝える力がそこにはあるということだ(だから、それは今もなお生きている)。

そのような音の厳粛さに、日々向き合い翻弄され畏怖することを強いられてきたジャスティン・ヴァーノンが「新しい音の方法論」に向かったとき、そのような高いレベルでの「新しい音の在り方」を模索することは自然である。

Valcano Choirの音は、そぎ落とされている。それぞれの音は、聴いたことのない音としてまず現れる。そして、まさに、聴いたことのない調和に向かって鮮やかに収斂していくのである。

それを体験することを、震えなくして済ますことはできなかった。途方もない音の瞬間が幾度も訪れた。凄いライブだったと思う。


Pitchforkに掲載された、その夜の映像。こちらから。
http://pitchfork.com/news/40652-watch-volcano-choir-perform-for-the-first-time/
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