シナリオアートというバンドは、そのサウンドがポップになればなるほど、キラキラすればするほど、世界を遮断して閉じていくというような構造を持っていた。“ホワイトレインコートマン”で描かれていたように、僕やあなたを巨大な傘で覆って外の世界の脅威から守る、それがシナリオアートのテーマであり、彼らにとっての音楽の意味だったからだ。「現実から逃避しなければ死んでしまう」。極端にいうとそういう切迫感が、ハヤシコウスケの書く楽曲をドライブさせていた。だから彼らのライヴは「物語」という形を取って頭から最後までをきっちりパッケージとして提示するようなスタイルになっていったのだし、楽曲もどこかファンタジックな世界観のもとに統一されていた。
それがどうだろう。このミニアルバムはどう考えても、僕たちの世界と地続きの場所にある。部屋の中でガラクタを使って再現された東京の夜景、というジャケットが物語るように、それはリアルとファンタジーの境界ギリギリの場所にあるし、タイトルどおりメランコリーだし、内向的であることに変わりはないけれど、それでも確かに、そこに「外の世界」があり、そこで生きているんだということをしっかり見つめている。この“アオイコドク”もそうだ。ポップだけど、どこまでもヒリヒリしている。ちゃんと摩擦があるのだ。それがいい。逆にいえば、摩擦があるからこそ、その音楽はますます煌々と光るのだ。
ミニアルバムのラストに収録されている”ノスタルジックユウグレ”は「世界」との出会いを歌っている、と僕は思う。
ところで、きのこ帝国とか、グッドモーニングアメリカとか、「東京」をモチーフにした作品が時期を同じくして生まれているのには、何かしら理由というか、共通する気分というものがあるのだと思っている。“東京”って曲はずーっと生まれ続けているじゃないか、それはそうなんだけど、やっぱり2014年に描かれる「東京」は、それまでの「東京」とは違うのだ。それについては近々書くつもり。