東京カランコロン『UTUTU』全曲カウントダウンレビュー その9:笑うドッペルゲンガー


東京カランコロン『UTUTU』、1月14日リリース!
発売日まで1日1曲ずつ、全曲をレビューしていきます。
あと5日!


9. 笑うドッペルゲンガー


ジャケットやこのMVに登場する「いちろーライフマスク」も衝撃的だったシングル曲“笑うドッペルゲンガー”。いまさら何をという話だが、この曲、かっこいいのである、すごく。ライヴで観てもかっこいい。NATSUMENのAxSxEによるプロデュースのもと、変態ギターリフが炸裂、ガツンと歯ごたえのあるロックサウンドで爆発するいちろーのやけくそルサンチマンが、とてつもなくかっこよくて男臭い。

で、この曲、というかこれと“HentekoPop is dead”が収録されたシングルを聴くまで僕はそんなことをカランコロンに感じたことなんてなかった。いちろーが男臭い九州男児であることとか高校時代鬱屈していたロック野郎であることとか、そういうことは当然知っていたし、“16のbeat”で歌われていた青春の衝動みたいなものは今なお彼の中で息づいていると思っていたけれども、あのシングルはそれがこんなにあけすけにダダ漏れてしまっていいのだろうか、というような作品だったのだ。

そんな「いいのだろうか」という問いに対して「いいのだ!」と全力で「アリ」の答えを返してくるのが、つまり『UTUTU』というアルバムである。いちろーはいちろーらしさを全力で表現すればいいし、するべきだし、そうすることがカランコロンをより強く、豊かなものにしていく。この曲はもしも自分がサラリーマンだったら、という想定で書かれたものだが、どう考えてもここで歌われているのは今東京カランコロンとして曲を作り歌っているいちろー自身のことである。さんざんやっているけどシーンには居場所がないし流行からは外れているし器用でもないしクソマジメだしそのくせ自分の生み出す音楽には絶対的な自信があるし自我は肥大する一方だし、という彼自身のことだ。その「彼自身」が東京カランコロンのパブリックイメージを突き破って顔を出すダイナミズムがこの曲のかっこよさであり、《つまらねぇ自分でも、まだ/どっかで期待してんだ、/したいんだ》という最後のサビのフレーズは、彼の中に生まれた新たな決意表明だ。このアルバムの空気を決定づけたブレイクスルーの1曲、かもしれない。


明日は10曲目“そうだ、フェイシャルに行こう!”について書きます。