クインシーは1950年代からデューク・エリントンを始め伝説的なジャズプレイヤーと組んで作曲家、アレンジャーとして活躍するが、同時に60年代にはレコード会社の副社長を兼務するなど、音楽的知見と同時にミュージックビジネスも視界に収めることができ、さらにポップスにも強く、全米1位となったレスリー・ゴーアの“涙のバースデイ・パーティ(It's My Party)”なんて名曲もあれば、映画音楽も多数手がけアカデミー作品賞の『夜の大捜査線』(67年)あたりが代表作と言える。
そんな多彩で広い視野を持った大物プロデューサーだからこそマイケルのとてつもない才能を見抜いたし、的確に、最上の形を作り上げるのに貢献できたのだろう。また85年にはあのチャリティソングの歴史を築いた“ウィ・アー・ザ・ワールド”のプロデュースもしている。アフリカの飢餓救済のために集まった大物たちに向けてクインシーは《Checking your ego at the door》、エゴは置いてきて、のメモを渡したというが、もちろん誰もが集いの趣旨と、それを指揮するのがクインシーということで心を合わせることになったわけだ。
2010年にはジェイミー・フォックスやジョン・レジェンド、ジェニファー・ハドソンからスヌープ・ドッグやLL・クール・Jなど多彩な人がクインシーの曲を取り上げた『Q: Soul Bossa Nostra』なんてトリビュートアルバムもあった。まさしくジャズ、ポップ、ソウル、あらゆる現代ミュージックの歴史を築き上げた本物の巨星だった。合掌。(大鷹俊一)
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