2024年の音楽シーンは、多様なジャンルの進化と新たなムーブメントが交差する刺激的な一年でした。そんな激動の2024年を振り返りながら、編集長の山崎洋一郎、ライターの木津毅、つやちゃんが徹底討論! 2024年総括座談会をお届けします。(rockin’on 2025年1月号掲載)
山崎 ではまず総論から話していきましょう。いわゆるロッキング・オン的に見たときに、20年、30年以上続いてきた、現代のポップ/ロックと、クラシックロック/ポップの区別ってあったじゃないですか。そのクラシックロックっていう定義が、30年ぐらいずっとクラシックロックといえばいわゆる60年代、70年代のザ・ビートルズでありザ・ローリング・ストーンズでありレッド・ツェッペリンでありボブ・ディランでありデヴィッド・ボウイであり、っていう概念でずーっと変わらなかったんだけど、ここにきてようやくクラシックロック世代交代みたいなものがガクンと起きた感じがしています。
つまりそれは、今の40代以上が熱心に聴いていた80年代の音楽、あるいは90年代の音楽、もしかしたら00年代も入るかもしれない、ぐらいのものが現代のクラシックロックになっているっていうことを、みんなが受け入れたというか、対象化した、という気がしているんです。いちばん象徴的なのはオアシス祭り。
60年代もの、70年代ものっていうのは、そういう祭りがこれまで毎年のように起きていたわけじゃないですか。クラシックロックといえばボブ・ディランのワールドツアーとか、ザ・ローリング・ストーンズが活動再開ってなったら、クラシックロックの世界はザ・ローリング・ストーンズ一色になっていた。その存在が、もはやオアシスであり、あるいはリンキン・パークの再結成になったのかなっていう感じが非常にしています。っていうのがロッキング・オン周辺の、ロック系のリスナーを見ていて感じる部分ですね。
あと、もうひとつ今年強烈に思ったのは、アメリカのチャートにおいて、カントリー、アメリカーナの不気味なまでの復活ぶりというか、再浮上のインパクトがとても強い。ある種、アメリカ国内での、ドメスティックなムーブメントではあるんだけど、それをいってしまえば、ヒップホップだってなんだって、アメリカのドメスティックなうねりみたいなものが、いわゆるワールドワイドな音楽シーンのメインストリームになってきたっていうことにおいては変わらないからね。僕は今回の、カントリーの復興に関しては、これはいいことなのか、ポジティブに捉えていいのかどうか、ちょっと疑問符があるんです。そして最後にもうひとつは、常にお祭りだったヒップホップシーンが、平常モードになって、その熱が下がった部分もあるけど、面白味が増した部分もあるなあと。ざっくりその3つのポイントが今年、面白いと思った部分ですね。つやちゃんはどうですか?
つやちゃん いちばんは、今山崎さんがおっしゃったうちのひとつ目ですね。まさに1年前に同じような話をしましたけど、この何年か90年代、00年代のリバイバルが起きていたじゃないですか。それを去年ぐらいまでは、トレンドみたいなものとしてギリギリ捉えていたんですけど、今年に入って、いやこれはもうトレンドじゃないなと感じました。トレンドというよりは、ちゃんと歴史に根付いた運動になったなという気がしていて。なんでそれが起きたのかというと、やっぱり若い世代の感性と、リアルタイムの人たちの感性が、うまく交差して、新しい捉え方になって、それがどんどん根付いていったっていうことなのかなって思っています。
トレンドと思われていたリバイバルっていうのが、それこそコロナぐらいからずっと3年、4年続いていると思うんですけど、それがもう浸透し切って、前提というような形になっている。プラス、そこからどういう表現をしていくかっていう次のフェーズに進んでいきはじめているところで、かなり90年代、00年代に対する捉え方が変わったなっていうのは、すごく感じますね。意外に、オアシスみたいなところでいうと、日本がそれをけん引しているのかもしれないとか(笑)。洋楽との世界的な時差だったり、ズレや解離だったりっていうのが、日本では近年進んでいますけど、日本独自の90年代の捉え方という点では、意外にある意味進んでいるところもあると思います。そのねじれ?みたいなものが面白いなあという印象です。
山崎 僕も最初そう思っていたんだけど、あの欧米でのオアシスのチケットの売れ方を見ていると、日本人だけがノスタルジック90sマニアみたいなところで盛り上がっているんじゃないんだ!って思った。これは日本独自のブームとかトレンドとかというより、概念が変わったんだなっていう感じがしましたね。時代に対する概念というか。
木津 今年、ノルウェーの首都オスロで開催されたフェスに行く機会があって、それが街中の公園で、中規模よりちょっと大きいぐらいのフェスなんですけど、1日目のトリがrockin’on sonicにも出るパルプだったんですよ。90年代のレジェンドとして、同窓会的な盛り上がりになるのかと思ってたら、全然そんなことなくって、僕の隣にいた、20代前半ぐらいの女の子たちのグループが“ディスコ2000”が始まったときにウワー!って踊っていたんです。
近年、オアシス、ブラー、ブリットポップに再評価の波が来ていて20代の子たちが聴いているとか、レディオヘッドも若い子たちは『キッドA』以降よりも『ザ・ベンズ』のほうが聴かれているっていう話があって、ほんとかな?って思っていたんですけど、本当にそういうことが起きているんだってそのときに実感したんですよね。
もうひとつ、世代の話題でいうと、ダッドロックっていう言葉があるじゃないですか。親父ロックみたいなことですけど。それが、どちらかというと昔はエリック・クラプトンやザ・ローリング・ストーンズを指していたのが、リンキン・パークやレッド・ホット・チリ・ペッパーズみたいなところに降りてきているのが話題になっています。
ただ、昔にダッドロックっていうときは、『親父ロックって、自分たちの時代とは違う、古臭いロックだよね』っていうちょっと揶揄的なニュアンスが含まれていたような気がするんですけど、今はお父さんのレコードのカタログにあるような音楽で、自分もアクセスできるものっていうポジティブな意味に変わってきているところもあるらしくて。クラシックロックの捉え方も、90年代に移りつつ、しかも、わりとポジティブなものとして、歴史に根差したものとして理解したいっていう感じが、今、いろんなところのシーンに表れているのかなって気がしていますね。
つやちゃん いわゆるオルタナティブなサウンドって、以前だと、ニルヴァーナ周辺のオルタナ/グランジを指していることが多かったんですけど、そこからわりと拡大解釈されている。オルタナティブに近い、荒々しいサウンドを、若い人たちはオアシスとかにも感じているみたいです。オルタナティブというと語弊があるかもしれないですけど、荒々しいサウンドという意味合いが、すごく広い意味で使われている印象を最近受けていますね。オアシスにオルタナティブ性とか、あまり感じていなかったじゃないですか(笑)。ギターが荒くていいよね、みたいな(笑)。USのアンダーグラウンドなバンドに比べたら全然なんですけど、そんな感じに捉えられているっていうのが、すごく新鮮ですよね。
山崎 それこそ、rockin’on sonicをなんでやろうと思ったかって、これまでは80年代とか90年代とかは正直後ろめたさがあったんです。若い子が、『80年代っていいですよね。90年代のサウンドってかっこいいですよね』って言っていても、ダメだよそんな後ろばっかり向いていたらって思うような、ネガティブな要素を感じていたんですよ。でももはや普遍的なものになったんだから、それは感じる必要ないなって思ってあのフェスを企画したところはあります。
つやちゃん 若い人のほうが、そこはアップデートされている感じがします。
木津 僕は90年代のサウンドのある種の精神性、当時のちょっと行き過ぎた反骨精神みたいなものとか、逸脱性みたいなものがもっとサウンドとしてフラットに受け入れられるようになったのかなって、思っているんです。90年代は、やっぱりジェンダーの問題とか、今の時代から見たら古臭いなって思うことがあったけど、それは一度批評を終えた段階にいるから、もっとサウンドとしてフラットに取り入れることができる段階に来ているのかなって印象がありますね。
つやちゃん そうなってくると、若い世代のサウンドが、どうしても小粒に見えるというか。新しいことをやろうって考えが少なくなっていて、そこが新しいバンドの聴き方として難しいところですよね。それをやればやるほど、相対的にどんどんオリジナルの世代が輝いていくっていう仕組みになっていくので。
山崎 そうですね。そういう意味では、バンドサウンドで、新たなイノベーションを生み出すハードルは高いと思う。でも、それはきっと、各時代にそれぞれあったんじゃないかな、とも思いますね。60年代から70年代に移行するときも、60年代のビートルズとかザ・ローリング・ストーンズのロック以上の一歩先を行くサウンドを生み出せるのかな?って思いながら、きっと70年代のバンドはやっていたんだろうし。80年代のポストパンクバンドも、あの60年代、70年代のロックの黄金時代より先へ進むことは果たしてできるんだろうか?って思いながら、インディの、コクトー・ツインズにしても、モノクローム・セットにしても、ギャング・オブ・フォーにしても、ワイヤーにしても、試行錯誤してきたんだろうし。だから、きっと出てくるよ。
つやちゃん rockin’on sonicも、そのへんの新世代を入れていますもんね。
山崎 ほんとはもっと入れたかったんですけどね。でも日本は、さっきおっしゃった意味とは逆のねじれを僕は感じているんです。おじさんたちは90年代に向かってチケットを買ってくれたんだけど、若い人はなかなか動かないんですよ。だから、日本はむしろ90年代に対して遅れているなっていう。先んじて過大評価するんじゃなく、逆に若い世代はまだ手を出せていない感じがしますね。木津さんは今年の総論はどうですか?
木津 僕は、ビヨンセあるいはテイラー・スウィフトの話にしても、音楽誌ではない一般メディアで政治/社会/経済の話と絡めて音楽が語られることが非常に多くて、それがすごく窮屈に感じる年でしたね。今年はアメリカ大統領選があったという影響も大きいと思うんですけど、テイラーが海外でライブをすることでGDPが動いたって話が出たときに、じゃあ、それほどの影響力を持てないアーティストの価値ってなんだろう? 世の中の一般における価値ってなんだろう?っていうところまで、つい考えてしまって。インディ/オルタナティブの価値って、どういうふうに守られていくんだろう?ってすごく考えた一年でしたね。カントリーに関しても同じくなんですけど、大きな動きに話題が集中していて、そこがすごく窮屈に感じた年でしたね。
つやちゃん そうですね、大統領選を見ていると、保守とリベラルっていう二分だけでは到底捉え切れないし、すごく複雑化しているじゃないですか。それと同時に、カントリーも多ジャンルとのクロスオーバーが始まっていて、従来のカントリーとは全然違うし。それこそリル・ナズ・Xがカントリーとヒップホップを融合してみたいな時期はまだ、解釈できたんですけど、もはやそういうレベルじゃないと感じています。カントリーをどう捉えればいいのかっていうのは、自分のなかでまだ答えが出ていないですね。
木津 数年前から“ブロカントリー”っていう、少し男性中心的と言われる批判もされがちなカントリーが浮上しているんですよね。カントリーがある種、昔ながらのアメリカっていうものを、保守/リベラルの対立でいうなら、どちらかというと保守っていうものを受け継ぎながら更新しているっていうのが起こっていて。ただ、一方で、カントリーの今年の顔のひとりが誰だったかっていうと、僕はシャブージーだと思うんですよね。
シャブージーとかは、カントリーとヒップホップを、まさに2020年代のものとして新しくしようとしています。これはまさにアメリカの分断っていうところではかれない音楽が、カントリーっていうものに根差しながら出てきている例ですね。僕は、カントリーっていう全体の保守傾向よりも、そのなかで局所的に起こっていることの新しさはいいことなんじゃないかなって思います。
山崎 なるほどね。僕がカントリーに対して感じているのは、今のカントリーの持っている保守性って、リベラル/保守の保守じゃなくって、保守的な保守。音楽として保守的だと思っていて、だからこそ乗り気がしないんですよね。アメリカのドメスティックな音楽ムーブメントって、50年代のロックンロールも、80年代のヒップホップも、カウンターとして出てきたわけじゃないですか。メインストリームに対する、あるいは権力に対するカウンターとして新しい音楽が出てきて、それがアメリカのドメスティックなムーブメントとなって、世界中の人がエンジョイする。それであれば納得するんだけど、今のカントリーって、カウンターパワーでは全くない気がするんだよね。すげえラディカルなメッセージを放つカントリー歌手が全米ナンバー1になっている、とかだったら、僕はおっ!って、ヒップホップが出てきたときと同じように盛り上がれると思うんですよ。
最初はそういう作品もあったし、ビヨンセの新譜とかは、まさにそういう部分があったんだけど、僕がもういいやって思ったきっかけはポスト・マローンの『F-1 トリリオン』。あの新作を聴いたときに、これは単なる現状肯定で、音楽的にもすごく保守的で、それこそ昔、渋谷陽一が産業ロックって言ったけど、これは全然面白くないなって思って、そこでカントリーの動きに対して懐疑的になったんだよね。アメリカ人がただ現状で気持ちよくなるための大衆音楽でしかなくなっちゃってるんじゃないのっていう気がして。木津さん的にはどうですかね?
木津 それはやっぱ、アメリカっていうのが、社会的に余裕がなくなっていることの表れだと思います。もうひとつあるのは、いわゆるハートランドロック、中西部のロックが再評価されているというか、新しく盛り上がっているけど、僕もあれは、基本的には後ろ向きな現象だと思っていますね。アメリカとはなんだったのかを批評的に読み解くというよりは、古きよきアメリカに浸っていて、アーティスト本人は意識していなくても、どうしても文化的な磁場としてそうなってしまっているなっていう現状はあると思います。まあ、アメリカの保守とリベラルの対立が単純ではなくなっているとはいえ、基本的にはものすごく分裂しているし、アメリカのアイデンティティとは何かっていうところで、みんなすごく苦しんでいるところですよね。
山崎 トランプいるでしょ? あの人は、保守かリベラルかっていう意味では、保守なんだけど、でもトランプを見ていて、カントリーを感じるかっていうと、僕はめちゃくちゃロックを感じるんですよ。つまり、カウンターパワーであろうとする。現状を否定して、新たな現状を招き寄せるぞっていう変革の力みたいなものを感じる。っていう意味では『保守的』ではないんですよ、保守だけど。でも、今のカントリーミュージックは『保守的』に感じちゃうんですよね。
つやちゃん それでいうと、ビヨンセがそういう文脈で評価できるアルバムを作ったというのは、すごく理解できます。1位に置いた意図はなんですか?
山崎 改めて今年出たいろんなアルバムをフルで聴き直してみて、志、クオリティ、そしてアルバムとしての世界観の確かさと巧妙さで、やっぱり流石だなって感じました。これが今年いちばん評価すべきアルバムだと思いました。
つやちゃん 逆にいうと、それ以外を1位に置くと風格が違う。ビヨンセしか残らないなって、圧倒的な感じがしますね。
木津 まさにビヨンセの『カウボーイ・カーター』は、今話していた文脈とそのまま繋がってきますよね。カントリーの伝統っていう部分に、ものすごくリスペクトを示すと同時に、でも、カントリーが今とは違う道を辿っていたらどうなっていたのかっていうイマジネーションがコンセプトになっているから。音楽的なチャレンジがめちゃくちゃ入っていて、そこがまさに、保守/革新の思想としての革新、態度としての革新性。それがきちんと、カントリーをコンセプトとしたアルバムのなかにガツンと入っているところが、他のカントリーアルバムと全く違うところだと僕も思っています。
山崎 すごく批評的ですよね。
木津 そうですね。まさに僕が、大きい話題しかなくなって嫌だっていう話をしましたけど、ビヨンセってどうしても民主党支持で、カマラ・ハリスの⋯⋯みたいな文脈で語られることが多いんですけど、アルバム自体は左右で分けられないアメリカっていうものの文化を捉えるものだったので、かつてブルース・スプリングスティーンとかがやってきたことを今のものとしてやっているんですよね。そこは彼女の志の高さみたいなものがものすごく出ていると思います。だから一般メディアで、民主党うんぬんばっかりでビヨンセを語られるのは嫌だなって思っていたのは、作品は違うのに、って感じていたところも大きいです。
山崎 さっき木津くんが『一般メディアで政治/社会/経済の話と絡めて音楽が語られることが非常に多い』と言っていた、経済との関係っていうのはどう考えているのか話してもらえますか。
木津 大統領選の話を追っていたとき、20年前だったら、インディロックミュージシャンが大統領選でどう動いたか、みたいな話はもっと話題になっていたよなって思うんですよね。それは、まさに政治的影響力っていうことよりは、インディロックミュージシャンの経済的な影響力のなさが、話題のなさに結びついているんだろうなって思っちゃったんです。チャートを動かすだけの現実的な力があるっていうことが非常によしとされている感じ。だから、テイラー・スウィフトを語るときに、彼女の表現の内容よりも、国の経済を動かすみたいなところに注目が集まっていたような気がします。
山崎 なるほどね。それこそ、サブスク、SNSがここまで普及して、あらゆるデータを通じていろんな情報を吸収して処理するような、今の世代ってそういう要素がすごく強いと思うんですけど、そのSNSやサブスクによって、音楽が平等になったっていう言い方もできるんだけど、逆に、すべてが情報として入ってくるから、数値化されていってしまったのは、あるんじゃないかなと思いますね。音楽をすごく自由にしたんだけど、逆に、オーガナイズしてしまったみたいな。
だから、みんながサブスクで音楽を聴くことによって、旧来的なチャートやなんとかから解放されたっていう言い方もできるけど、サブスクで聴いてるからこそ、ものすごく膨大なデータに支配されてしまう、そういうことが起きてるのかなって思います。
木津 実際、過去のカタログも含めて、よく聴かれているものが、よりよく聴かれるっていう環境にあることは、サブスプでよく指摘されています。小さなものが発見できなくなっているっていうのは、まさに環境の問題っていうところも含めてそうなんだけれども、今年は完全にメディアもそれに引っ張られている形になっちゃったとすごく思います。
つやちゃん そういう状況のときに、ある意味では価値観が画一化しているところもあると感じていて、そこに問題提起したのが、チャーリーxcxだったと思うんですよ。
今年の『ブラット現象』っていうのは、あれ自体音楽作品っていうのはもちろんだけど、アートワークとか、総合的な現代アートのようなものなんじゃないかと思っていて。つまり何がイケてるのかっていうことを世間に問いかけるっていう意味で、そこに答えがあるというよりは、『どう思う?』と、みんなそれぞれの答えを持っていいよっていうことを問いかけた取り組みだったんじゃないかと思うんですよね。それが大統領選に紐づいて、そういうふうに解釈されたっていうのは皮肉っちゃ皮肉なんですけど。本来そういうものじゃなくって、問題提起を起こすものだったと思うので。あれが世界中でヒットしたっていうことに対して、自分はすごくポジティブに捉えていますね。
木津 僕も、今年いちばん驚いた現象はブラット・サマーで。今振り返っても、結局なんだったんだろう?ってよくわからないことこそが面白いムーブメントで、久しぶりのトレンドらしいトレンドだったなと思います。しかも、『Kamala IS brat』って話が出てきてブラット・サマーが終わった、みたいな話もされましたけど、チャーリー本人は愉快犯としてやっているようなところもありました。
ニュース番組とかで全然音楽を知らないおじさんとかが『チャーリーxcxっていうイギリスのミュージシャンがいて⋯⋯』って言ったときに、おじさんにはこのトレンドはわからないよね、みたいな、久しぶりに世代に根差したトレンドみたいなものが出てきたなっていう感覚があって。それは結構、24年における特異的な出来事だったなって思っていますね。
山崎 では、続いてランキングに突入しましょう。1位から20位に入っている作品から、ランダムにピックアップして話していただけますか。
つやちゃん 10位のタイラー・ザ・クリエイター、『クロマコピア』ですかね。
ヒップホップの衰退、あるいは凋落みたいなことが言われがちで、23年ぐらいから盛り返したものの、パワーとしては落ちている状況ですけど、実はすごく細分化と多様化が進んでいるんですよ。ある種ヒップホップの村のなかに閉じていったところもあると思っていて、だからこそ、今年のヒップホップのビーフの盛り上がりがあったんだと考えています。例えばドリルとかレイジとかプラグとか、サブジャンルがすごく多いなかで、新しいものができたり、かなり盛り上がってきているんです。
もうひとつ、音楽的な実験もなされているときに、それを大文字のポップミュージックとしてやるっていう意味で、去年(23年)のリル・ヨッティーからの流れが大事なんじゃないかなと思っています。実際リル・ヨッティーが『レッツ・スタート・ヒア』を作ったのも、タイラーの影響があったと話していますし、今、ヒップホップのなかのいろんなサブジャンルですごくブレイクしている人たちと、かたっぱしからコラボしているのがリル・ヨッティーなんですよ。で、そこの目の付け所もすごい。
つまり、リル・ヨッティーとタイラー・ザ・クリエイターが、ある意味では『個』の動きとしてヒップホップとポップミュージックの関係性っていうところで、すごく面白い実験をしていると思っています。ラップとかヒップホップカルチャーが今まで、この10年間ぐらいでやってきたドラッグカルチャーの解釈をどう音楽に落とし込むかっていうことを、ラップ外のジャンル、ロック、そしてファンクも含めながら、広くやっているんだと自分は解釈していています。そういう意味では、2010年代で解釈した感覚をもとに、今、さらに新しいことをやっているのがこのふたりのアーティストなんじゃないかなって。そういう意味で、シーン全体というより、アーティストの個の動きっていうのが面白いと思っています。
山崎 それこそドクター・ドレーとかカニエ・ウェストみたいに、自分の腕だけでガンガン進んでいく感じではなくって、わりと今の時代を冷静に見て、興味深いものを上手に、しかもいいサイズでオーガナイズして、新たにプレゼンするのがうまいタイプのふたりだなっていう感じはしますよね。
つやちゃん そうですね。まあタイラー・ザ・クリエイターは、そういう力があるって前からみんながわかっていたと思います。なので、やっぱり予想通りすごい作品を出してきた、っていう感じはしましたけどね。リル・ヨッティーの変化は、すごく興味深いと思います。
木津 僕は2位にザ・ラスト・ディナー・パーティーの『プレリュード・トゥ・エクスタシー』を置いたのが、なかなか思い切ったなって感じがしました。
ザ・ラスト・ディナー・パーティーと、チャペル・ローンのアルバムがコーチェラを経て大ヒットしたところも含めて、ある種の演劇性や装飾が面白くなっているっていうのは、ひとつ、今年の大きい傾向かなと思っています。しかもそこに、まさに現代の文脈においてクィアってものが入っていて。ビリー・アイリッシュとかも入れてもいいと思うんですけど、クィアポップが、完全にスタンダードになったなって感じていますね。
そこで面白いのが、クィアってLGBTQの象徴としてわりとフラットに使われている言葉ですけど、もともとは異性愛批判とかから逸脱する意志みたいなものを表すものだったんですよ。それが今、若いアーティストに再解釈されているっていうのがここ10年ぐらいあって、そして今は完全にスタンダードになったんだなって思うんです。そうなったときにどういうことが起こるかというと、80年代のときの、わりと異形としてのクィアを強調するのとも違うし、2010年代のアイデンティティ政治とすごく紐づいたクィアっていうのとも違う、パーソナルなものとしてクィアを解釈する。
例えば、ビリー・アイリッシュの今年のアルバム『ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト』って、すごくパーソナルなものだったと思うんです。そして、その表現がメインストリームのポップのど真ん中になるっていうのが、すごく面白いことだし、時代は変わったなって感じが僕はしています。ザ・ラスト・ディナー・パーティーやチャペル・ローンはその見せ方っていうところで、ずば抜けてうまい人たちだなっていう感じはしていますね。
つやちゃん ナラティブをいかに作るか、みたいなところと近いんじゃないかと思っています。そのひとつとして演劇性みたいなところが有効活用されていると思うんですよ。テイラー・スウィフトはもちろんそうだし、サブリナ・カーペンターとか、あとはアリアナ・グランデの新作もそうでしたけど、いかに没入感を作れるようなナラティブを紡いでいくかっていうのが、みんなすごくうまいなと思っています。そういうところでは、私生活とSNSの境目がなくなっていて、ドキュメンタリー風な作り方をしていたりするじゃないですか。で、そこに如何に比喩を絡めるかとか、自分の心情を吐露するかとか、いろんな素材を作って、自分っていうものを中心に置きながら、ナラティブをどう作っていくかっていうところの力量がある人たちが、すごくこのランキングでも上位に来ているし、世の中でも評価されていると思っていますね。
しかも、それにファンダムっていうものが形成されていくじゃないですか。ザ・ラスト・ディナー・パーティーもファンダムが強いですよね。ファンダムの功罪みたいな否定的な部分も最近は言われていますけど、ナラティブをどう使ってその演劇性を高めていくかっていう面白さと繋がっているところもあるので、ある意味そこは全否定できないと思います。中堅とかでキャリアがある人が培ってきた力量でやっていくっていうのは、すごくわかるんですけど、ザ・ラスト・ディナー・パーティーみたいな新人がさらっとやってのけたのは、すごくポジティブだと思いますね。
山崎 実はザ・ラスト・ディナー・パーティーは当然ランキングで高いポジションにつくと思っていたけれど、なんでビヨンセの次の2位まで高くしたかっていうと、今おふたりがおっしゃったような、このバンドの本質みたいなところをいったん除外して考えて、普通のニュートラルなバンドとしてすごいと思ったから、ここまで上げたんですよね。今年のフジロックのメインステージでのライブを観たんですけど、圧巻だったんですよ。あそこまでの完成度とあそこまでの迫力のライブをやれるっていうのはバンドとしてとんでもないなって思いました。それにプラスして、おふたりがおっしゃったような、独自のアイデンティティみたいなものがあって、これはもう圧勝でしょうっていう感じなんですよね。
あとランキングでいうと、ザ・キュアーの『Songs Of A Lost World』はほんとに文句のない作品でした。
よくぞこれだけ覚悟を決めて引き受けたアルバムを作ったな、かっこいいなって思います。7位にした意味は今年のレジェンド枠って感じですね。今までなら、今年のレジェンド枠、誰にしようか? ディランかな? それともザ・ローリング・ストーンズの新譜かな?っていうクラシックロックゾーンがあったんだけど、今年は80年代のキュアーが最適だろう、ということで。
つやちゃん まあ、後続への影響っていうところで、桁違いですよね。
山崎 まさにクラシックなんですよ。
つやちゃん そうですね(笑)。逆にキュアーは、若い人たちに全然気を遣わずに作った気がします。完全にやりたい放題ですし。そこがいいんですよね。
山崎 1曲目のイントロのドラムサウンドを聴いた瞬間にびっくりしました。80年代のリバーブのかかりまくったドラムサウンドを、2024年にこんな……恥ずかしげもなく堂々とやるんだって聴いているうちに、これ今聴くとめちゃめちゃかっこいいじゃん、っていう感じですね。サウンドにびっくりしました。それ以外だとどうでしょう?
木津 ここでいうレジェンド枠は、16位のグリーン・デイと17位リンキン・パークだと思いますね。20位にいるヴァンパイア・ウィークエンドとかがいちばん難しい立ち位置ですね。ヴァンパイア・ウィークエンドの『オンリー・ゴッド・ワズ・アバヴ・アス』は、いいアルバムだったと思うんですけど、ほんとに話題になっていなかったですし。ちゃんと評価はされていて『いいアルバムだね』とは言われているんですけど、いまいち盛り上がり切らないのは、きっとそのタイミングが理由なんだろうなって気がします。
山崎 ぜひつやちゃんに訊いてみたいんですけど、グリーン・デイはどうでした?
つやちゃん そうですね、うーん、自分はそんなにぴんと来なかったんですよね。
山崎 でも、グリーン・デイ育ちでしょ?
つやちゃん はい、グリーン・デイ育ちですね。ポップパンクみたいなものが、ちょっと前まで流行っていたじゃないですか。わりとそこでガーッと聴いたなっていう感じがして。ちょっと乗り切れなかったですね、グリーン・デイ。
山崎 わかった。つやちゃんは、グリーン・デイのクラシックロック入りに抵抗しているリアルタイム世代だ。
つやちゃん そういうことなんですか!?
山崎 分かった。突き放して見れないんだ。若い人とか、僕みたいにグリーン・デイより上の世代からすると、めちゃめちゃいいアルバムじゃん、ど真ん中じゃんって思いやすいのよ。
つやちゃん 確かにそうかもしれない。それでいうと、リンキン・パークはボーカルが加入したから、ちょっと違うバンドとして聴けるし、わかるんです。でも確かにグリーン・デイは対象化できていないのかもしれない(笑)。
山崎 ザ・ローリング・ストーンズの新譜をいつまでもいいって言わないオールド・ストーンズおじさんと同じ(笑)。では、それぞれ選んでいただいた今年のベスト2作品について訊いていきますか。じゃあ木津さんからどうでしょう?
木津 僕は、ひとつ目はまさに今日ずっと話してきた文脈でビヨンセの『カウボーイ・カーター』が圧倒的だったなっていうことで。今年を代表するアルバムだったと思います。
もうひとつはスティル・ハウス・プランツっていう、グラスゴー出身のロンドンのバンドで、『イフ・アイ・ドント・メイク・イット、アイ・ラヴ・ユー』です。よりレフトフィールド的な表現が説得力を持つようになってきている動きのひとつだなと思っています。ポストロックを更新しているんだけど、そこにポストロックがあまり持っていなかったエモーションとか官能性みたいなものがすごく入っていてすごくいいです。ちゃんと新しい表現ができていて、リバイバルとは違う形としてのポストロックが出てきているなっていうことで。こういう動きは来年以降、もっと顕在化するんじゃないかという期待も込めて選んでいますね。
つやちゃん 自分は現象っていう意味でいうとチャーリーxcxの『ブラット』を挙げたいと思うんですけど、個人的に選んだ2作品だと、ひとつ目はウィローの『エンパソーゲン』ですね。
ウィローは、音楽的探究っていうのが、どんどんどんどん手を変え品を変え進化していて、声の使い方とかもすごく面白いと思っています。一個のジャンルには当てはまらない、ジャンル音楽みたいなものに回収されない、複雑なテクスチャーとかニュアンスを、一曲一曲に、一小節一小節に詰め込んでいて、その点が桁違いです。初めて知ったときから変わった作品を作るなって思ったんですよね。だから、このユニークな感じっていうのは、過去の作品からも感じてはいたんですけど、今作でさらに強まりました。
ふたつ目はエリカ・デ・カシエールの『スティル』。一般的にはNewJeansのプロデューサーで有名になりましたけど、これもニュアンスの込め方とか、癖みたいなものが気になっています。
ドラムンベースだったりR&B、Y2KのR&B、アリーヤ的なところも含めて丁寧にやっている印象なんですけど、空気感の作り方が独特なんですよ。音の隙間とか、声の隙間が多いような構造にはなっているんですけど、その隙間の空け方とか、その隙間に入れるテクスチャーの癖とか、一個一個の捻りが細かく作られていて面白いです。両方、音楽性は違いますけど、作品としてはそれが面白かったです。
山崎 僕は、ひとつ目はザ・ラスト・ディナー・パーティーの『プレリュード・トゥ・エクスタシー』。このアルバムはずば抜けているなあっていうのがあって。音楽的にはどんな文脈からも等距離に離れている感じがあって、ロック、ポップ、インディとかなににも当てはまらないけれども、どれからも近い、等距離みたいなポジショニングも見事だなと思います。自由と密度を同時に感じる。新人のデビューアルバムにしては破格だと思いました。
あとは似たような意味で、レミ・ウルフのアルバム『ビッグ・アイディアズ』が、僕はすごく好きでした。これも、いわゆるロックでもないし、R&Bでもないし、ラップでもないし、インディでもないし。でも、そのどれからも等距離にいるみたいなポジショニングがなされていると思います。サウンドに最新性みたいなものは全くないんだけど、聴いた瞬間に、今の子が歌っているいちばん新しい歌っていうフレッシュさがあって、感覚的なことだけど、すごく好きで、自由を感じる。なにからも自由であるって感じを出しているなあって思いましたね。