日経ライブレポート「ビリー・アイリッシュ」

ステージに登場した時の存在感が圧倒的。そこに彼女が居るというだけで、1万2000人を動員した巨大アリーナの空気が支配されてしまう。それはスター性というより存在感。ビリー・アイリッシュというアーティストの人としての存在感、カリスマ性がとてつもなく大きいのだ。

2018年に彼女はサマーソニックに参加するという形で初来日をしている。当時からアメリカでは若い女の子の支持が高く、日本でも一番大きなステージではなかったが、たくさんのファンが集まった。今と比較するとミーハーな空気も強かったが、やはり女の子たちの共感の深度が違う、独特の雰囲気のライブ空間がそこにはあった。

ビリー・アイリッシュは何故、デビュー当時から若い女の子の大きな共感を集めたか。それを僕なりに分析すると不機嫌と囁き声ということになる。若い女の子とかなり距離のある71才の老人の分析だが当たっている自信がある。まず不機嫌ということだが、彼女にはデビュー当時から不機嫌というイメージがあった。

実際には不機嫌ではなくステージでは笑っているし、ファンへのサービス精神は人一倍ある方だ。しかし必要でない場所では機嫌のいいふりはしないし、アイドル的な愛想の良さは全くない。つまり普通なのだ。若い女の子のパブリック・イメージ、元気で可愛いとは無縁の存在だ。それが共感を呼んだのだと思う。不機嫌と思われてもいい、若い女の子はこうあるべきだという抑圧からの解放感、それを彼女は体現していた。

囁くような歌もそうだ。いわゆる10代の女性ポップ・シンガーとしてはありえないボーカル・スタイルだ。でも凄く同世代の女の子たちに響いたのである。デビュー当時から彼女のコンサートではお客さんの大合唱が起きることで有名だった。彼女の出現で、女の子たちは囁くように歌うことの快感に目覚めたのだと思う。私たちはこんな歌をこんな風に歌いたいのだと気付いたのだ。

彼女がダボダボの服を好んで着ることはよく話題になる。そこで指摘されるように、自分がどう見られるかでなく自分にとって何が快いかが大切だという強いメッセージが、彼女のファッションにはある。そしてそうした彼女のアーティストとしての姿勢が共感を呼んだ一番のポイントは、その全てがかっこよかったことだ。

必要以上に愛想を良くしないこと、囁くように歌うこと、そしてダボダボの服を着ること、それはとてもクールなことだと女の子たちは気付いたのだ。今回のライブの感想をSNSでチェックすると、多くの人がビリー・アイリッシュとお客さんが素晴らしかったという感想を書いていた。ビリーのパフォーマンスは凄い完成度で、それ自体作品として見事なものだったが、あの場をそれ以上のものとしていたのはお客さんのガールズ・パワーだった。

ライブのラストは「ハピアー・ザン・エヴァー」だった。とてもクラシックなメロディーを持つナンバーだ。いわゆるスタンダードと呼ばれるポップ・ソングと共通する王道のメロディーだ。実は彼女の曲には、こうした王道のメロディーが多い。

そして彼女の囁くようなボーカル・スタイルも、ジャズ・ボーカルの王道でもある。兄であるフィニアスによるモダンなアレンジによって先端的なイメージを持たれているが、基本ビリー・アイリッシュはとても伝統的なポップ・ミュージックの正統的な後継者でもある。

映画「007」のテーマをどんなアーティストよりも、これまでのスタイルを踏まえた正統的な007ナンバーに仕上げたのも、まさに彼女らしい仕事だった。時代の欲望を誰よりも正確に受け止め、ポップ・ミュージックの伝統を誰よりも正統に受け継ぐ稀有な表現者、それがビリー・アイリッシュなのだ。

8月26日、有明アリーナ。
(2022年9月12日 日本経済新聞夕刊掲載)
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