日経ライブレポート「エミネム」

ライヴのオープニング、スクリーンに日本語で今回のステージが、一時期すべての表現活動に対して意欲を失い、実質的に活動休止状態であったエミネムが、再び聴衆の前で歌えるようになった“再生”がテーマであるというメッセージが流れる。僕のようなずっと彼の活動を追ってきたリスナーは、それだけで胸が一杯になってしまう。

巨大な成功、そこから来るプレッシャー、家族とのトラブル、そうしたことから陥ってしまった薬物依存症、ありとあらゆる問題によってエミネムは表現に対するモチベーションを失ってしまった。しかし、そうした問題と向き合うには、やはりエミネムのような天才的なミュージシャンは、再び歌うしかなかったのである。そう書いてしまうのは簡単だが実際にエミネムが“再生”する為に払った努力とエネルギーは半端なものではなかっただろう。

活動休止前、エミネムは社会や他者に対する怒りや憎しみを表現のエネルギーにしていた。それは多くの若者にとって共有できる怒りや憎しみであり、ある意味時代の普遍的な怒りと憎しみでもあった。そのことによって彼は大きな成功を手に入れ、スターになった。しかし、その怒りや憎しみは自らをも傷つけてしまった。そこから再生する為には、怒りや憎しみを超えるテーマを見出さなければならない。

彼が見つけたのは愛と希望である。それは怒りと憎しみの裏返しであり、ひょっとするとエミネムにとっては同義語でさえあるかもしれない。しかし、この日スタジアムに満ちていたエネルギーは、とてもポジティヴなものであり、再生した彼が明らかに前とは決定的に違うメッセージを我々につきつけていることが感じられるものだった。

17日、QVCマリンフィールド
(2012年8月29日 日本経済新聞夕刊掲載)
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