ASIAN KUNG-FU GENERATIONについて書いた11年前の文章。新作『Wonder Future』リリース直前の今、読んで欲しいので再掲載します

ASIAN KUNG-FU GENERATIONについて書いた11年前の文章。新作『Wonder Future』リリース直前の今、読んで欲しいので再掲載します

いま発売中のロッキング・オンJAPANはアジカンが表紙巻頭なのですが、
その特集に僕は『もう一度、ロックを救え!』というタイトルを付けました。
アジカンの今回の新作が100%ロック・モードのアルバムだからなのですが、
なぜ「もう一度」なのかということはくどくどと説明しませんでした。
でも、僕にとっては「もう一度」という言葉には大きな意味を込めたつもりです。
アジカンは10年前に日本のロックを救って、そして今「もう一度」救おうとしているのだ、
ということをどうしても強調しておきたかったのです。

11年前、僕はアルバム『ソルファ』のリリース前にJAPAN誌上にアジカンに関する長文の原稿を書きました。
かなりの長文ですが、11年前の当時、アジカンは日本のロックに対していかなる影響を与えたのかを書いた文章です。
読んでもらえれば、今回のアルバム『Wonder Future』が再び完全無欠のロック・アルバムになったことの意味が広く深く見渡せるのではないかと思うので、ここに再掲載します。
長いので覚悟して読んでもらえれば。
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ROCKIN’ ON JAPAN 2004 Jan. Vol.256
『主人公は少し遅れてやって来た』
アジアン・カンフー・ジェネレーションの強さと希望はどこから生まれたのか?
文=山崎洋一郎

 いやあ、アジカンの時代でしょう。
ここ最近、ブランキーに始まってナンバーガール、ミッシェルの相次ぐ解散で、
「一つの時代が終わったのか?」「ロックは低迷したのか?」
といった意見を周りでもよく聞いた。
確かに僕自身もそう思えることもあった。
そして、前時代にかかわった僕のような人間がやるべきことは、今の時代に対してぶつぶつ文句を言うことではなく、
前時代からのミュージシャンたちがやっていることを注意深く見守り続けることと、
次の何かが現れる瞬間を見過ごさないようにすることだと自分に言い聞かせてきた(じじくさい?)。
雑誌とかにミッシェルの解散に際して意見を求められた時も、今の時代に対する不安や失望は一切述べず、
「これからまたきっとすごい奴らが出てくるよ」と言い続けてきた。
そしたらアジカンがやってきた。
もう一安心である。僕が言うまでもなく、アジカン、最高である。

 確かに、90年代後半から2000年ぐらいにかけての日本の音楽シーンはちょっとすごいものがあった。
ヒップホップがチャートの一位になるなんて、その数年前からすれば全く考えられないことだったし、
イースタンユースのような和製エモ・バンドがオーバーグラウンドに浮上するなんて快挙以外の何物でもなかった。
ナンバーガールのようなポスト・ハードコアのバンドが生身のまま受け入れられるなんて信じられない気分だった。
インディー・パンクのハイスタが日本のパンクシーンを確立したのもその時期だし、
ブランキー、ミッシェルはそれまで日本のロックにつきまとっていた「かっこ悪さ」を完全に払拭した。
くるり、スーパーカーはさらにその先へ、新たな独自のフューチャー・ポップを目指して歩き始めた。
そんな時代だったのだ。

そしてその後、そうしたパイオニア達に続く形で数多くのフォロワー達が登場し始めた。
でもフォロワー達は、どうしてもパイオニア達が作り上げたものを水で薄めてしまう。
あるいは、スタイルを継承しても、もともとあった強烈なその必然性や目的をあらかじめ失ってしまっている。
それはある程度仕方がないことだ。
それはポピュラー・ミュージックの歴史の中で何度も何度もくりかえしてきたことだ。
実際、そうしたフォロワー達にはちゃんとファンがつき、売れている人達も多い。
だが、そのオリジネーターを知る者達にとってはそうしたフォロワー達はなかなか受け入れがたいものがあるのも事実だ。
ハイスタらと共に日本のパンク・シーンが確立するのを体験した人達ほど、
今の青春パンクは受け入れがたい。
イースタンユースの衝撃を受けた人達には、ささくれ立ったロックに乗せて苦悩を叫ぶ今の和製エモは100%信じ切れない。
ヒップホップもそうだろうし、ロックンロールだってそうだ。
新たな世代のバンドは新たなファンに支持され、チャートにも登場し、シーンは何事もなく続いているように見えるが、
コアの部分ではそうした分断が起こっているのだ。
それが今のシーンの危うい部分である。

 そこにアジカンが登場した。
アジカンは、今ある多くのバンドの中で異色である。
まず、彼らの音楽はある一つのスタイルに強く影響された跡が見られない。
パンクでもなければエモでもなければガレージ・ロックでもなければグランジでもない。
なあんとなくすべてが混じったような、スタイルが自己主張しない漠然とした「ロック」だ。
しかし、聴いていると感じるのだ。
日本のロックがバキバキと進化を遂げたあの時期にあった何かがここに息づいているのを。

彼らは、ある特定のバンドやシーンやジャンルのフォロワーではなく、
あの時代に起きていたこと全体をフォローアップして今の時代を未来に向かって走ろうとしている。
どうしてそんなことがわかるのか? 
それは彼らの音楽を聴けばわかるのだ。
ミッシェルを聴いてきた僕の耳、ハイスタを聴いてきた僕の耳、
ナンバーガールを聴いてきた僕の耳、イースタンユースを聴いてきた僕の耳、くるりを、スーパーカーを、中村一義を、バンプを聴いてきた僕の耳を、
アジカンの音楽はくぐり抜けて入ってくる。
あの時代が持っていた「批評性」というゴールキーパーをすり抜けて、アジカンのシュートは見事にゴールを決めるのだ。
分断されていた何かがつながったという実感。
そして僕は彼らが歌う「今の時代」とあらためて対峙することになる。

11月15日に行われたJAPAN CIRCUITで初めてアジカンを観た時にまず思ったのは「タフなバンドだなぁ」ということだった。
ステージ上の4人は決して勢いに任せるタイプではなく、非常に意識的にプレイするタイプのミュージシャンだった。
でも、その意識的で批評的な部分が音に出ないで、非常にしなやかで勢いのあるロックになっているのだ。
「新しいことに挑戦している新しいバンド」という硬さやぎこちなさ、表現に対して意識的であるが故の過剰さ、バランスの悪さ、壊れた部分が、アジカンにはないのだ。
これは負けたなぁと思った。
かつて、ナンバーガールもイースタンユースもくるりもミッシェルも、ロックに対して非常に意識的であり、
だからこそその音は過剰でアンバランスで壊れた部分があった。
そこがかっこいいところであり、あの時代を映している部分だったと言ってもいい。
そしてそれ以降の世代の多くのバンドはその過剰さやアンバランスさ、壊れた部分をむしろ拡大してそれぞれが受け継いでいった。
しかし、アジカンはそうではない道を選んだ。
彼らと同世代のバンド達が、日本のロック・シーンに出揃ったそれぞれのスタイルという船に乗って漕ぎだしたのを横目で見ながら、
自分の世代が手にしたものはいったい何だったのかをもう一度しっかりと考えるプロセスを踏んだのだ。
そこで彼らが掴んだ答えがアジカンの音楽になっている。
言葉にするとすれば、一つ一つのバンドがそれぞれのことをやった結果として、一つの時代性として浮上した「オルタナティブ」という感性と価値観、その総体に、
もう一度ロックンロールという肉体を与え、今の時代の真ん中にストレートに叩き込もうという試みである。
言葉にすると堅苦しくて不恰好になってしまうが、アジカンはそれを見事にやってのけた。
そしてアルバム『君繋ファイブエム』がオリコン初登場4位になったことからもわかるとおり、
それは求められていたのだ。

 求められていたからこそ、そしてそれを見事にやってのけたからこそ、アジカンは早くも正念場を前にしている。
スヌーザー誌のインタビューでは後藤自身、「使命感はあるけど、『困ったな』って感じにはなっているよね」と語っている。
後藤は気付いているのだ。アジカンがあまりにも大きなものを背負っていることに。
自分が悶々と頭を抱えながら生きてきた時にそんな自分を支えてくれた「ロックと時代と自分」の必然、その総体をたった4人のちっぽけなバンドで今度は新たな時代に向けて放っていくということの途方もなさに。
彼らはもうかつてのバンド達のようにオルタナティブを掲げることはできない。
「俺達のことを誰も求めてない、だから好きなようにやるだけさ」という立場にはもう立つことはできない。
やるしかないのだ。
彼らが背負った「彼らの時代」のスピリットと感性と力を総動員して、今の拡散した時代に明確な何かを打ち立てる、
それが彼らの前にある次なるテーマであり、求められていることである。
後藤正文の誠実な批評性によって裏から支えられたアジカンのスピード感と勢いに満ちたロックなら、それができると僕は思う。

ROCKIN’ ON JAPAN 2004 Jan. Vol.256
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