3年前に出たスピッツのアルバム、『醒めない』。
このアルバムが出たときに、僕はそのアルバムの内容に(そう、つまり音楽に)とても感銘を受けたと同時に、大きな「ひらめき」のような、難しい言葉で言えば啓示のようなものを感じた。
そしてそれと同時にそのアルバム・タイトル──『醒めない』という言葉こそが今の時代におけるロックの最大のテーマなのではないか、と直感的に感じた。
そして今回、スピッツが3年ぶりにリリースするアルバムのタイトルは『見っけ』だ。
『醒めない』から『見っけ』へ──前作で感じた直感が確信に変わるのを僕は感じた。
『醒めない』で『見っけ』た奴だけが、この時代に飲み込まれて溺れて窒息して死なずに済む。今月号のインタビューでのマサムネの言葉を借りるならば「浮く」ことができる。
この世界は情報によって隅々まで埋め尽くされ、均一化され、支配されつつある。
その中で生活する僕たちの行動の一つ一つもデータとして吸い上げられて分析されて、それが新たな情報となってさらに支配は強まって、ますます僕たちの生活や言動は均一化していく。
「起きているあいだ中」、僕たちは情報をインプットして情報をアウトプットする端末の一つとなる。それが今の世界だ。
では、「眠っている時」はどうか。
眠っている間、僕たちは情報を遮断している。
虫の声や雨音は耳から入ってくるだろうけど、インプットはそれぐらいだ。
いびきをかいたり寝言は言うかもしれないが、アウトプットはそれぐらいだ。
だから、僕たちは僕たち自身が生成した夢を見る。怖い夢や馬鹿みたいな夢かもしれないが(いや、その場合がかなり多いが)、ビッグデータをもとにAIが生成した夢ではないし、企業のマーケティングで見させられている夢でもない。自分の脳が生成した、自分だけの夢だ。
だけど、いつまでもそうだろうか?
夢を広告の媒体にしたいと思う企業がないわけはないだろう。
夢のデータを集めてAIによって映像化を試みる研究者がいないわけはないだろう。
夢をコントロールして目覚めた後の行動を支配しようとする権力者が今後現れないはずがないだろう。
そんな時代はもうすぐやってくるに決まっている。
もしかすると僕たちはもうすでにSNSから入った情報によってサブリミナル的に影響を受けた夢を毎晩見ているのかもしれない。
スピッツの『醒めない』というタイトルは、ロックで見つけた自分の夢の世界から出るつもりはない、という態度表明だ。
情報の洪水によって支配されるこの世界に背を向ける、闘争宣言だ。
50歳を目前にしてこの宣言をするのは並の勇気と覚悟じゃないはずだ。
現実逃避なんて今どき10代でもなかなか許してもらえない時代に、50代目前で『醒めない』は凄いと思う。
そしてその3年後の、52歳になったマサムネがつけた新作のタイトルが『見っけ』である。
そう、『醒めない』は、現実逃避などではないのである。
逃避どころか、『見っけ』るのだ。
夢から醒めることなく、夢を見続けたまま新たな世界を見つけていくのである。
そうやって生きていく、というさらなる決意表明なのだ。
『醒めない』と『見っけ』の2枚のアルバムは、ロックとして今の時代に成立する数少ない作品である。
時代に飲み込まれている時点でロックとしてはダメであり、だからせめて時代と踊るポップが今は全盛だ。
だけど、そんな時代の中で悠々とロックを貫いているスピッツは偉大である。 (山崎洋一郎)
ロッキング・オンJAPAN最新号 コラム『激刊!山崎』より
スピッツの新作『見っけ』について書きました
2019.10.07 18:00