ジェネシス・P・オリッジが死んだ。長年患っていた白血病による病死と伝えられる。ジェネシスこそは、真の前衛アーティストだった。
いかなる意味でも商業主義とは相容れないアンダーグラウンドの極北。大量殺人、オカルト、悪魔崇拝、ナチズム、身体改造、同性愛、性転換、ドラッグ、密教といったタブーに挑み、世間の常識や規範、価値観、モラル、倫理に徹底して抗戦してみせた。パフォーマンス・アート集団「クーム・トランスミッションズ」に始まり、スロッビング・グリッスル(TG)〜サイキックTVとして、足かけ45年以上活動を続けたジェネシスを貫いてきた行動原理は、既存の伝統的な音楽形態や硬直した保守的アート・フォーム、権威を振りかざすハイ・カルチャーを否定的に乗り越え新しい秩序を打ち立てることだった。
TGの公式初パフォーマンスは1976年ロンドンのアート・ギャラリーで行われ、そこにはのちのパンク・ムーブメントの旗手たちが何人も顔を揃えたという。だがジェネシスらはパンクさえも伝統的な規範に囚われた保守的な音楽表現だと考えた。
そこで彼らが掲げたのは「Music From The Death Factory」というスローガンであり、自らの表現を、荒廃した都市文明が垂れ流す工場廃液のような音楽と規定することだった。光化学スモッグのような陰鬱でサイケデリックな電子音響はロックの領域を大きく拡大し、テクノの先駆ともなったが、彼らの設立した自主レーベルの名称から、それは「インダストリアル」と言われるようになる。のちにその概念が商業的に希釈・曲解され変容し、打ち込みを使った何の変哲もないヘヴィ・メタリックなロックまでインダストリアルと呼ばれるようになったのは、だいぶあとの話だ。
ジェネシスの表現が目指してきたものは、しかし、詰まるところ「愛」に他ならなかった。その究極の形が、妻と自分自身を整形手術によって改造し、鏡像のように同じ容姿にするという「パンドロジェニー」というプロジェクトだった。「おばさん」と化した彼(女)の晩年の姿は、それ自体が彼(女)の表現のひとつの完成形だったのかもしれない。
享年70。だがアートは決して死なない。(小野島大)