複雑モダン女子の元祖、圧倒の帰還

フィオナ・アップル『フェッチ・ザ・ボルト・カッターズ』
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ALBUM
フィオナ・アップル フェッチ・ザ・ボルト・カッターズ

寡作ゆえにある意味生きる伝説と化した感すらある孤高の天才シンガー・ソングライター、8年ぶりのスタジオ・アルバムで帰還。まだ半年経っていないのは承知の上で、これだけでも2020年は音楽にとって良い年と言い切りたくなる朗報だ。

制作布陣は前作とほぼ同様でダヴィード・ガーザ(懐かしい♥)を含むバンドと共にこつこつ積み上げ練ってきた珠玉の13曲が収録されている。ゆえに前作での隙間の多いストイックで親密な音世界を基本的に継承しているが、彼女の強みのひとつである優れたリズム感覚/パーカッシブな要素――ピアノは「鍵盤を叩く」楽器でもある――を前面に押し出すことでしなやかで力強いグルーヴが全編にみなぎる。アレンジは緻密ながら音数が少ないぶん、ボーカルが空間を奔放に動き回っていて、グロテスクすれすれな裏声スキャットから獰猛なうなり、アンセミックなシャウトにラップばりに転がる舌等、表現の幅が広がり実にダイナミック。ピアノと美しい地声だけで余裕で1枚作れる人だし、解釈者としても達人なのでカバー・アルバムを出せばファンは大喜びだと思う。しかしそうした安易さに寄りかかることなく作曲・編曲・プロダクション・パフォーマンスとすべての面で飽くなき探究と実験、挑戦を続けているガッツにはやはり脱帽だ。アメリカの生んだ傑出した声という意味で世代的にキャット・パワージョアンナ・ニューサムの中間に位置する人だが、メジャー所属の現役アクトとしてはケイト・ブッシュPJハーヴェイに比肩する。8年でも10年でも、待つファンが多いのも当然だ。

18歳でアルバム・デビューした彼女はある意味最初から音楽的に完成していて、ダイヤのようにとてつもなく研磨されていた。しかしここにきてワイルドな本性が解放され開花しているのは、本作の歌詞の一部に影響した#MeToo運動への共感も大きいと思う。“クリミナル”のビデオを観れば分かると思うが、グランジ後の開けたはずの地平でも彼女は傷つき、その傷と若さを利用され、怒り、怒りを抑え込まれてきた。そのトラウマを対象化しつつあるこのアルバムで彼女の歌は「苦しむ者」を等しくいたわる普遍に達している。ビリー・アイリッシュの“オーシャン・アイズ”を聴いた時にフィオナを思い浮かべたものだが、次代を継いでがんばっているビリーも癒されて欲しい。ともあれ、新型コロナ禍のロックダウン状況を機にフィオナの音楽を深く掘り下げ付き合ってみては? 本作も含め5枚のアルバムに込められた音楽と言葉の豊かさは、じっくり向き合うのに値します。(坂本麻里子)



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ディスク・レビューは現在発売中の『ロッキング・オン』6月号に掲載中です。
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フィオナ・アップル フェッチ・ザ・ボルト・カッターズ - 『rockin'on』2020年6月号『rockin'on』2020年6月号
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