窓越しのダンス・フロア

ジェイムス・ブレイク『ビフォー』
発売中
EP
ジェイムス・ブレイク ビフォー

欧米がロックダウンに突入した3月以降、ジェイムス・ブレイクは頻繁に自宅からライブ・ストリーミングをやっていた。中でもビリー・アイリッシュフランク・オーシャンレイ・チャールズからニルヴァーナまで、様々なアーティストの曲をカバーしたパフォーマンスはどれも素晴らしかったが、「ダンス・フロアの高揚への渇望」がテーマだという本作を聴くと、彼は困難な現実に折り合いを付けながらも、もちろんフラストレーションを感じていたし、解放されたかったのだということがわかるはずだ。

フロアの生々しい熱気を伝えるガラージ・チューンとして、本作のコンセプトを端的に伝えるのがオープニングの“I Keep Calling”だ。端正なストリングスがメロディを伝っていく前半から一転、その抑制を捻じ切るようなブリーピーなシンセ・ベースと共に陶酔に達する“Before”も、彼の最近の作品にはなかったタイプのナンバーだろう。マウント・キンビーのドミニク・メイカー他、多くのコラボレーターが参加した“I Keep Calling”以外は、ごく限られた人数で作られたセルフ・プロデュース作であり、豪華ゲストが入れ代わり立ち代わりでブレイクに影響を与えていった前作『アシューム・フォーム』とは対照的な作りになっている。ステイ・ホーム期間で物理的に原点回帰のDIY的作風にならざるを得なかった、ということかもしれないが。ただし、本作中でもとりわけ『CMYK』期のブレイクを想起させるエレクトロ・トラックでありながら、そこにネオ・クラシカルなストリングスがフィーチャーされた“Do You Ever”などを聴くと、これが単なる原点回帰のダンス・ミュージック作ではないことがわかるはずだ。何より、彼がもはや過去の自分には戻らない最大の理由は「声」だ。不恰好に歪み、マニュピレートされてなお生々しい彼の声が曲の前面で響く本作は、匿名性とは程遠い「ソングライター」、「シンガー」の作品に他ならない。

ピアノをバイパスとしてソウル・ミュージックの血を通わせていった2nd以降、ブレイクの自己喪失の旅路は前作『アシューム・フォーム』で最初のゴールを迎えたと言っていいだろう。運命の恋人と出会い、対話が生まれた同作によって、ベッドルームの孤独に囚われていた彼の人生は初めてクリアな輪郭を持ち始めた。今年春にリリースされたシングル“You’re Too Precious”も、「なくてはならない人を、何としても守りたいと思うようになった」と歌う感動のラブ・ソングだったし、ブレイク自身が出演したAppleのCMソングになった“Are You Even Real?”もウェルメイドなポップ・チューンで、彼が安定期にあることを伝えていた。しかし、《僕のことを考えている? 本当に? 正直なところどう?》としつこく問いかける“Do You Ever”や、《今まで誰も必要としてこなかったから、僕はこうして痛みを感じているに違いない》と歌う“Before”など、恋愛が成就し、大切な人を得たからこそ味わう嫉妬や不安、未来の自分への疑問や自信喪失を赤裸々に綴った本作の彼は、再び揺れ動く葛藤期を迎えている。何しろ《今、僕らは共にとても変わってしまった》(“Summer Of Now”)のだ。

初めてアップのセルフ・ポートレートを使い、髪までかき上げ、あるがままの自分をさらけ出した『アシューム・フォーム』のアルバム・ジャケットは、「自分の語っていることをより信じられるようになった」と語った、あの作品の彼を象徴していたと改めて思う。では本作はどうだろうか。ブレイクがいるのは恐らく自宅の部屋、夜の街のネオンが滲んだ窓越しに見える彼は、だらりと脱力し、外をぼんやり眺めている。そこにパンデミック下の心象風景を見出すのは難しくない。実際、彼が本作でどんなにダンス・ミュージックへの、クラブの熱気への渇望を高まらせようとも、今の我々はそれを窓越しに眺めることしかできないのだから。   

チャントを思わせるア・カペラで始まるラストの“Summer Of Now”で、《2015年の夏ではないけれど、僕は今の夏になれるはず》とブレイクは歌っている。夏がただ当たり前に夏として存在しえた時代へのノスタルジーは、失われた夏を経験した私たちの誰もが共感するものであるはずだ。彼はノスタルジーを超えて何とか希望を見出そうとしているが、現実は厳しい。コールドプレイのような無重力の高揚をまとって上昇を試みるボーカルは、幾度も捻れ、途切れ、フォール・ダウンし、希望の光は未だ遥か彼方だという現実を噛み締めて終わる。4曲収録のささやかな作品であるこのEPは、ジェイムス・ブレイクの今後のキャリアの方向性をビシッと指し示すタイプではないだろうが、この2020年に彼が作るべきものだったのは間違いない。(粉川しの)



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ディスク・レビューは現在発売中の『ロッキング・オン』12月号に掲載中です。
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ジェイムス・ブレイク ビフォー - 『rockin'on』2020年12月号『rockin'on』2020年12月号
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