ここから、始まっていく

ジェイムス・ブレイク『ジェイムス・ブレイク』
2011年06月08日発売
ALBUM
ジェイムス・ブレイク ジェイムス・ブレイク
ダブステップ、という言葉もジャンルも、これまで日本ではなかなか耳に馴染んでこなかった。その理由は、それが単なる音楽のフォーマットではなくて、UKの若者の精神性そのものだったからである。この童顔の天才の登場をもって、僕らは初めてその事実の意味を過不足なく理解できるようになった。ここで鳴っているのは、友達がいなくて、恋愛が信じられず、兄妹に口も利いてもらえない一人ぼっちの青年の孤独である。彼は怒りを叫ぶ訳でも、悲しみを歌い上げる訳でもなく、呟くような歌い方でナイーブな心を断片的に吐き出していく。端的に言えば、彼の孤独そのものは特別ではない。世界中の若者のベッドルームに充満した、ありふれた憂鬱と同じである。だが、それを表現するサウンドが、なぜこんなに複雑なリズムと、ゴスペルを脱構築したようなコードの波と、身を振り絞るようなメロディでなければならないのか。それは、「踊らせる」ための音楽だったダブステップの機能主義/快楽主義を彼があえて終わらせることで、そこに魂とより深く共振する繊細な未知の音楽を見つけたからである。そして、そのコペルニクス的転回が、彼にとって呼吸と同じくらい自然だったことが、ジェイムス・ブレイクという男の才能の途方もなさだ。ポスト・ダブステップという記号性は、このアルバム以降、きっとインフレを起こすだろう。だが、ここから先に何が待っているのかは、彼自身ですら、まだわかっていない。だからこそ、2011年の今を刻んだ記念碑として、語り継ぐべき名盤。(松村耕太朗)


ダブステップ時代のSSW像

 本作のプレス・リリースには、「未来が聴こえるか」というキャッチ・コピーがある。だがぼくにとっては、ここに展開される音楽は決して革新的未来的音響などではなく、むしろ過去のさまざまな記憶を呼び起こす媒介として機能している。
 ボイス・サンプルに細かいエディットとエフェクトを施す手口は、たとえば、NYの前衛パフォーマーであるローリー・アンダーソンを思い起こさせる。それを複雑なリズム・パターンとエモーショナルなコード進行でアレンジして、深く先行するダブワイズで処理した、エキセントリックであってもキャッチーで、深い憂いに満ちた表情で聴かせる音響構築の妙味は、マッシヴ・アタックやポーティスヘッドにも通じる魅力だろう。そして何より、シングルではあまり聴かせることのなかった、ブレイク自身のボーカルを全面的に打ち出した本作は、それこそ1930年代の黒人霊歌から受け継がれたブルースやソウル・ミュージックへの深い愛情を感じさせる。エレクトロニックなサウンドとソウルフルなボーカルのミクスチャーは、ソフト・セルやヤズーから受け継がれるUKポップの伝統ではないか。はるか時の彼方、奴隷たちが思いをはせた故郷・アフリカの空気さえも、そこからは聴こえてくるのだ。
 本作は、そうした過去の膨大な音楽遺産を、その古ぼけたスピリットを、最新のテクノロジーとダブステップという最新の意匠でもって蘇らせた。そしてたぶん、音楽の「未来」も「革新」も、そんなところからしか訪れない。(小野島大)
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