ギター×ドラムでロックの核を鳴らす期待の新星・AIRBAG、ミニアルバム『sign』を語る
![AIRBAG](/contents/feat/airbag_201703/img/header.jpg)
身を焦がすほどのロックの衝動も、冷徹なまでのロックへの批評性も、洋楽ロックの真髄を継承したような美しいメロディも、Kugai Toshiki(G・Vo)とNakaza Tomoya(Dr・Cho)の「たったふたり」のソリッドなアンサンブルで体現してみせる新鋭・AIRBAG。初の全国流通盤として2月15日にリリースされた7曲入りプレデビューミニアルバム『sign』は、そんな彼らの才気と可能性を雄弁に伝えてくる。
結成当初は4人組バンドとして10代限定コンテストで名を馳せていたAIRBAG。紆余曲折を経てふたり編成となった後も、自らの楽曲とサウンドを研ぎ澄ませ続けたKugaiとNakazaの瞳には、揺るぎない闘志と確信が宿っている。4月には大阪&東京で初のワンマンライブ開催が決定している彼らに、「ふたりで音楽を奏でること」と「AIRBAGの“これから”」について話を訊いた。
Kugaiが教えてくれる音楽が刺激的で、それにどんどん惹かれていった(Nakaza)
──今回、初の全国流通盤となる『sign』が2月にリリースされているわけですが。実際問題、おふたりにとっては「ようやくここまで!」という想いを噛み締めていたのではないかと思うんですけども。
Kugai はい(笑)。曲ができた段階では、もうだいぶ噛み締めてましたね。全国流通って、いろんなところで売られるわけじゃないですか。それはすごく嬉しかったですね、第一に。
Nakaza だいぶ長い時間が経っているので、ほんとこの形で出せるのは嬉しかったですし。ふたりでもその話はよくしましたね。
――おふたりとも最初から洋楽志向ですか?
Kugai そうですね。両親がふたりとも洋楽大好きで、特に母が好きだったんですけど、家にもあふれてましたね。で、初期のビートルズと、あとクイーンは全体的に流れてましたね。
Nakaza 僕は兄貴がバンドをやってて、ギターを弾いていたんですけど。その影響でレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとかレッチリ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)とかをなんとなく聴いて育ってて。で、高校に入った時に(Kugaiと)出会うんですけど、その時に(レッド・)ツェッペリンとかを教えてもらったりして、一緒にビートルズ聴いたりして、っていう感じで育ってきましたね。
Kugai 彼は実は邦楽を結構聴いてたんですけど、俺が「洋楽だ!」っていう高校生だったので、隠してたっぽかったんですよね(笑)。
Nakaza あの頃はMr.Childrenとか、ポルノグラフィティとか、宇多田ヒカルさんとか聴いてたんですけど。彼と一緒にいる時間が長くて――ずっと洋楽の話してるので(笑)。ただやっぱり、彼が教えてくれる音楽が刺激的だったので。それにどんどん惹かれていった感じですね。
迷いはまったくなかった。「メンバーがふたりになった、じゃあふたりでどうやって進めていくか」しか考えてなかった(Kugai)
──最初は4人編成のバンドとしてスタートして、10代のコンテストにエントリーするわけですけども。当時「こういうバンドをやろう」「こういう音楽をやろう」っていうようなビジョンはあったんですか?
Kugai 基本俺が無理矢理メンバーを集めて、っていう感じだったんで。Nakazaは高校が一緒で、ほかのふたりは中学校が一緒だったんですけど。ちょうどコンテストがあるから、「じゃあこれ出て優勝してやろう」っつって(笑)。中学校の時にツェッペリンにのめりこんで、高校ではオアシスが好きだったんですね、ビートルズの流れから。だから、ツェッペリンのカッコいいリフに、すごくメロディアスなメロディが乗ってる、っていうものを作りたいなって……でも、音楽的な志向はそれぐらいですね。
──じゃあ、バンドを組んでからコンテストまではわりとすぐ?
Kugai そうですね。もう、全然ライブもせずに――あの時は、コンテストの予選が2回目のライブぐらいの感じで。だから、決勝に行くまでの間に、5回もライブやってなかったと思いますね……今から思えば、だいぶナメてましたね(笑)。
Nakaza 曲も、コンテスト用に作った2曲しかなくて。
──それって逆にすごいですけどね。「AIRBAGとは何か」っていうものが固まり切る前に優勝してしまったという。
Kugai そんな感じでしたね(笑)。ただただ目立ちたがり屋の高校生でしたね。
Nakaza 調子乗ってたよね(笑)。
Kugai すべてが上手くいくと思ってましたからね、そのまま。
──ただ、そこからなかなか思うように作品を出せず、メンバーもひとり、またひとりと去っていくことになって。
Kugai 一番顕著だったのが、メンバーがふたり抜けたっていうことなんですけど。今思えば、ふたりは俺に無理矢理連れてこられて――まあNakazaもそうだったんですけど、そこに音楽愛があったかどうか、っていうところだと思うんですよね。だから、ふたりは自然と離れていって、最終的に残ったのが俺たちだったんで。紆余曲折ありましたけど、最終的には「やっぱり、音楽好きじゃないと立てない舞台なんだな」っていうのは、今になっては思いますね。
──そんな中でも、NakazaさんがKugaiさんにずっとついていった最大の魅力は、やはり楽曲?
Nakaza 楽曲の面もありましたし、僕がバンドをやるきっかけになったのもKugaiくんだったので。高校の時、軽音楽部に入るつもりだったんですけど、中学の時に実はバスケ部のキャプテンもやっていて、なんとなく「高校でもバスケやろうかな」って思ってて、入部する前にその話をKugaiくんにしたことがあったんですね。そしたら、「なんでそんなことしてる時間あんの? そんな無駄なことしてる暇があったら音楽やれよ」って言われて。それでもう、「ついていこう!」ってなったので……その時からたぶん、ずっと一緒にやっていくって思ってたんでしょうね。
Kugai ……まったく覚えてなかったんですけどね、その話(笑)。でもなんか、フィット感は最初からずっとありましたね、言葉ではなかなか表現しづらいですけど。
──メンバーが相次いでふたり抜けても、「バンドを続ける」ことに関しては迷いはなかった?
Kugai 迷いはまったくなかったですね。「ふたりになったから、じゃあふたりでどうやって進めていくか」っていうことしか考えてなかったですね。年月は経ってたんですけど、自分が作る曲に対しては自信がずっとあったから。
──曲に自信があっただけに、それが世に出ないことの閉塞感のほうが強かった?
Kugai そうですね……暗黒時代は長かったですね。
──でも、その過程の中で、ちゃんと自分たちの楽曲と音を研ぎ澄ませてきたんだなあっていうのは、今回の『sign』を聴いて感じました。
Kugai 高校生でコンテストに優勝した頃は――もちろん音楽は好きだったんですけど、本当に音楽愛を楽曲に注げているかどうか?っていったら、今思うと全然だったと思うんですよね。そこはたぶん、当時と比べて今は一番違うところだと思うし。どんなに楽曲が激しくても、メロディアスであり、かつアンサンブルも――ふたりしかいないんですけど、結局アンサンブルのことも気にして作ってしまうっていうところもあって。そこらへんが活きてるんじゃないかなと思いますね。