MAGIC OF LiFEが目指す、「みんなを幸せにする」音楽とは?
シングル『はじまりの日々/スキルフラワー』をリリースしたのに続き、アルバム『X-1A』もリリース。昨年から主催フェス「Don't Stop Music fes.栃木」も主催するなど、精力的な活動を重ねているMAGIC OF LiFEだが、彼らは決して平坦な道を歩んできたバンドではない。もともとの名前であった「DIRTY OLD MEN」としてメジャーデビューしつつも、メンバーの脱退などを経てインディーズに戻り、自分たちの手で少しずつ道を切り拓いて進んできた。彼らを衝き動かしてきたものとは、一体何だったのか? 高津戸信幸(Vo・G)、山下拓実(G)、渡辺雄司(B)、岡田翔太朗(Dr)に語ってもらったのだが、大切なものを決して見失わなかった姿を強く感じた。MAGIC OF LiFEの音楽の根底にあるものが滲み出ているインタビューだと思う。
「このバンドしかもうやらない」って、その時に決めてたんです。解散したら実家に帰ろうと思ってました(山下)
――DIRTY OLD MENの頃から今日までを振り返ると、いろんなことがありましたよね。
高津戸 そうですね。DIRTY OLD MENは高校の時に結成して、インディーズで初めてCDを出したのが、たしか19歳の時。その後、メジャーからデビューしたんですけど、いろいろ上手くいかないことがあったり。あと、東日本大震災が起きた時は、僕たちの地元の栃木も被害があったんです。そして、ドラムとベースが脱退して、新体制になったのが、たしか2012年でしたね。
――ずっと一緒にやっていたメンバーの脱退って、どのように受け止めました?
高津戸 バンドをやめようとも思いました。でも、拓実くんとか、お客さんとか、僕のことを求めてくれる人がいてくれたので、「全力でやらなきゃいけないな」と思えたんです。その気持ちって何て言うんですかね? 義務感? いや、違うな……責任?
岡田 使命感じゃない?
高津戸 それだ! 「気持ちをしっかり持たないといけない」と思ったあの時期は、自分が大人にならなきゃいけないタイミングだったのかなと感じています。自分のためだけの音楽じゃなくて、みなさんと自分の音楽。そういうことを思うようになりました。
――山下さんはメンバーの脱退があった時期に、どんなことを感じていました?
山下 僕は2006年に加入したんですけど、「このバンドしかもうやらない」って、その時に決めてたんです。解散したら実家に帰ろうと思ってました。だから「もう少しやってください!」と(笑)。
岡田 お願いしたんだね(笑)。
山下 うん(笑)。「俺、頑張ってメンバー見つけるんで」と。
高津戸 いや、拓実くん、男らしかったですよ。「まだ勝負してないんだから。行けんじゃね?」という感じでしたから。そして、バンドを続けることにしたわけですけど、正直、焦る気持ちもありました。いろんなことを思い出しますよ。電車の中で飲んだ缶チューハイとか。
山下 缶チューハイは、メンバーが見つからなかった頃だね。駅のホームで買って。
高津戸 お酒、そんな好きじゃなかったんですけど(笑)。
山下 「とりあえず、酒飲むか?」と(笑)。
――(笑)そして渡辺さんと岡田さんが加入したわけですね。どんな感じで話が来たんですか?
渡辺 自分は、当時やってたバンドが活動休止中だったんですけど、「サポートでレコーディングを手伝ってくれ」と。「レコーディングならいいか」っていう感じでやったら楽しくなっちゃって、今に至ります(笑)。
――岡田さんも最初はサポートでの参加だったんですよね?
岡田 はい。僕が前にやってたバンドのレコーディングエンジニアさんから電話がきたのがきっかけでした。当時、僕がやってたバンドの解散が決定してたので、「これからどうすんの? メジャーのバンドからドラムが抜けるんだけど、お前やらんか?」と。そして曲を送ってもらったんですけど、その中の“スターチス”を聴いた瞬間に、「これはやばい! めっちゃいい!」と思って、「ぜひやらせてください」という話をしたんです。
高津戸 このふたり(渡辺と岡田)が参加してくれるまでは、なかなかメンバーが決まらなかったですし、ありがたかったです。メンバーが変わって戸惑うお客さんもいたと思いますけど、2014年にMAGIC OF LiFEに改名するまで地道にやり続けて、やっと認められるようになっていったんだと思います。今はこの4人で、いい音楽を奏でられるようになってきたのかなあと。
ライブの動員は平行線だったけど、徐々に仲間というか、助けてくれる人たちが増えていったんです(高津戸)
――この4人でやるようになってからしばらく後にインディーズに戻ったり、環境面の変化も体験しましたけど、それに関してはどうでした?
高津戸 1からまたやろうという気持ちでした。そして、「かっこいい音楽をやれてる」という自信はあったんですよ。だから、例えばライブの動員はメジャーの時よりも減りましたけど、それさえも自然に受け止めてました。
岡田 変化はありましたけど、「のぶ(高津戸)の作る曲」という信じられる核は、ちゃんとあったんですよね。それは、メンバー全員が信じてましたので。
高津戸 僕もメンバーのことを信じてました。この3人が弾くフレーズが大好きなので。みんなの信頼関係があったから、今までやってこられたんだと思います。
岡田 この4人での最初のツアーの時、みんなでライブのビデオを観て反省会したよね?
渡辺 あった!
山下 そうだった。みんなで集まって観てた。
渡辺 ライブでどういう感じになってるか分からなかったから、みんなでビデオを観ながら話し合ってたんですよ。
岡田 そもそも、最初のツアーって、僕と雄司にとって、ライブでやる20数曲が新曲という状態でしたし(笑)。
高津戸 よくやってくれたよね。あの時期って青春そのものだったと思います。ハンドメイドでまた最初からバンドを作り上げて、自分たちでいろんな繋がりを広げてたあの時期って、何とも言えないものがありました。そういえば、声優の浅沼晋太郎さんに楽曲提供をさせて頂いたご縁で『弱虫ペダル』のアニメのタイアップのお話に繋がったのもあの時期なんですよね。あと、地元のサッカーチームの栃木SCの応援ソングに“呼吸”という曲を使って頂けたのも、たしかその頃でした。ライブの動員は平行線だったんですけど、徐々に仲間というか、助けてくれる人たちがありがたいことに増えていったんです。
――最初の『弱虫ペダル』の曲は“弱虫な炎”ですね。これはバンドにとって大きかったんじゃないですか?
高津戸 大きかったです。“弱虫な炎”はDIRTY OLD MENの頃でしたけど、「あいつら、まだやってんだ?」っていう声がありつつ、反応を感じましたから。あと、『弱虫ペダル』の曲を書かせて頂けたことに関しては、不思議な縁も感じてます。宇都宮って自転車の街なんですよ。
岡田 毎年、ツールドフランスのような自転車の大会(「ジャパンカップサイクルロードレース」)が行われてるんです。
山下 そう考えると、栃木のバンドの僕らにピッタリのお話でしたね。
高津戸 いろんな縁って繋がっていくんだなと思いました。次は餃子との繋がりかな?
山下 あとかんぴょうも(笑)。
――(笑)そして、DIRTY OLD MENは、2014年の10月にMAGIC OF LiFEに改名したわけですが。
高津戸 メンバーが変わった時も改名の話はあったんですけど、その時はそこまでは踏み込めなかったんですよね。でも、DIRTY OLD MENが11年目に入ったそのタイミングが、いいきっかけだと感じたんです。「変化を恐れるより、変われない自分を恐れた方がいい」と自分に言い聞かせて、この先、何十年もこの4人でやっていくために改名しました。
渡辺 改名は寂しい気持ちもありましたけど。
岡田 でも、「進化」って感じだったよね?
山下 「出世魚」?
高津戸 それだ(笑)。
――ハマチからブリになるような?
山下 そんな感じのニュアンスで今は捉えようとしてます(笑)。
岡田 でも、ほんとそういうことじゃない? 今もDIRTY OLD MEN時代の曲もやり続けてるわけだし。だから何かを捨てたということではなくて、名前だけ新しくなったってことですね。
――新しい「MAGIC OF LiFE」という名前には、どんな想いをこめました?
高津戸 音楽をやってるといろんなことが起こりますけど、魔法のような瞬間があるんですよ。ファンの笑顔とか、メンバーと喜び合える瞬間とかをたくさん見せてもらってきました。だから、聴いてくれるみんなに「命の魔法」のような物語を書いて届けたいと。そう思って、この名前にしました。あと、変なことを言う感じですけど……「DIRTY OLD MENです!」よりも「MAGIC OF LiFEです!」の方が、ライブの時とかに言いやすいんですよね(笑)。
――(笑)「DIRTY OLD MAN」って間違われることも多かったですよね?
山下 よくありましたねえ(笑)。
高津戸 そういう点でも良かったのかも。でも、MAGIC OF LiFEの「i」が「I」になることが今度は増えて(笑)。
――(笑)MAGIC OF LiFEになってから2年近く経ちましたけど、何か感じることはあります?
高津戸 やっぱり、繋がりって広がってくんだなということですね。出会ったいろんな方々から広がっていくものが、本当に大きいんですよ。そして、地元のみなさんに支えて頂いているのも強く実感してます。