SETSUNA SPIRAL 6年越しのファーストアルバムに描いた、光と闇の世界

SETSUNA SPIRAL

叙情的で切なさを感じさせる歌詞、そして時に攻撃的なサウンドという、二面性を内包したアルバム『カナリアとカラスの共鳴』をリリースしたSETSUNA SPIRAL。SETSUNA SPIRALとは、自身で作詞、作曲、制作を手掛け、自らが歌う、希瀬というアーティストのソロプロジェクトである。今年6月に先行して、“呼吸”“人魚”“adios.”という3曲を配信でリリースし、アニメーションによるミュージックビデオがスペースシャワーTVでピックアップされ、その名は世に知られるところとなった。SETSUNA SPIRALというプロジェクトがスタートしたのは、実は6年ほど前に遡る。この渾身のファーストアルバムがリリースされるまで6年という歳月が流れたのはなぜなのか。プロジェクトをスタートさせた経緯を訊きながら、彼の素顔に迫ってみよう。

インタビュー=杉浦美恵

音楽に身が入らなくなってしまった時期があって、バランスをどう取っていいのかがわからなくなってしまった

――このソロプロジェクトをスタートさせる以前は、どんな音楽活動をしていたんですか?

「バンドでもソロでもやっていました。たぶんもともとソロが向いてる人間だと思うんですが、プロトゥールスを購入して使うようになってから、シンガーソングライターとしてやっていこうという思いが強くなりました」

――バンド活動ではギターを?

「最初はギターで入って、ボーカルもやるようになりました。小さい頃から音楽が好きでエレクトーンやピアノをやっていたので、楽器は自然に全部できるようになっていたんです。そういうのもあって、結果的にひとりでやろうと思うようになったんだと思います」

――最初はロックバンドだったんですか?

「そうですね。メタルとかラウドロックもやっていたので、今のジャンルとは全然違ったりしますけど(笑)」

――でもSETSUNA SPIRALのアルバムには、メタリックでヘヴィなサウンドが全面に出ている曲もあって、そこはやはり希瀬さんのバックボーンを感じたりもします。

「そうですね。今作の制作に参加していただいた西川進さんも、僕が培ってきたものを理解してくださって。もちろんポップスが好きなんですけど、ほかのジャンルもしっかり理解してくださる方に参加してもらいたいっていうのはありましたから」

――SETSUNA SPIRALというプロジェクトがスタートしてから、この1stがリリースされるまで約6年。なかなか長い期間が経過していますよね。その理由は?

「実は今から10年くらい前に、現在もマネジメントでお世話になっている方と出会って、(バンドで)メジャーデビューもほぼ決まっていたような状態にあったんです。でも、そのバンドの相方が、急に病気で亡くなってしまったんです。それがきっかけで、僕自身、音楽に身が入らなくなってしまった時期があって。その相方とふたりで抱えていた夢だったから、片方がいなくなって、そのバランスをどう取っていいのかがわからなくなってしまったんですね」

――音楽へのモチベーションを失ってしまった。

「モチベーションもそうですし、ストレスっていうか、ショックがひどすぎて耳が聞こえなくなったり、胃に穴が空いたり、もう歌が歌える状態ではなくなっていました。歌おうと思うと涙が溢れ出てきて、もう、音楽をやりたいっていう気持ちがなくなってしまったんです」

――そこでしばらくの充電期間が必要だったと。それを乗り越えてSETSUNA SPIRALが始まるわけですね。

「今も綱渡り、ってわけではないんですけど、だから期間とか納期を決めずにやっているんです。今作も、完成するまでに時間はすごくかかったんですけど、納期を前提にした制作となると、僕の中で納得できるものができない気がしていて」

自分の中のものを吐き出すことがまず大事で。それをなんとか歌詞として自分が納得できるまで追求していった

――フルアルバムのための楽曲がすべて完成するのにかかった期間はどれくらい?

「全10曲を録りためるのに5年くらいかかっています。アルバムには入れなかった曲もあるんですけど」

――楽曲制作に時間がかかるというのは、もちろん希瀬さんの妥協したくない気持ちがあったからだと思うんですが、今回のアルバムで言えば、具体的にどういうところに時間がかかりましたか?

「一番時間をかけたのは歌詞ですね。“呼吸”も結局1年くらいかかってしまいました(笑)。書こうとして止まり、書こうとして止まり。曲ができた時点で、自分でもいいメロディラインができたと思ったので、それに見合う歌詞を急いで書くのもよくないんじゃないかって思えてきて。正直、まだ人前で歌ったりする状態じゃなかったのかもしれません。いろんなことが整理しきれてないまま音楽活動を再開したので」

――“呼吸”が完成したことが、希瀬さんにとって大きな前進だったのでしょうか。

「そうですね。当初は自分の中のものを吐き出すことがまず大事で、それを人に聴いてもらうかどうかっていう次元じゃなかったと思うんです。でもそれをなんとか歌詞として自分が納得できるまで追求していって、それでようやく“呼吸”が完成して。できあがってみたら、ちょっとこれ、人に聴いてもらいたいなって思うようになったんです。西川さんにもそう話したら、『いいと思いますよ』っておっしゃってくださった。だったら、と、まずは音楽を生業としている人に聴いてもらいたくて、スペースシャワーTVに“呼吸”と“人魚”を送ったんです。それが作り始めて1〜2年後くらいでしたね」

――だいたいいつも曲が先にできて、その後に作詞を?

「8〜9割がたそうですね」

――だからその後で歌詞に時間をかけてしまうんですね。希瀬さんの中ではそれだけ歌詞に重きを置いているんだと思います。

「もともと曲は書けるタイプなんですけど、歌詞については、今でも自信があるわけではないので、やっぱり時間がかかってしまうんです。前までは難しい言葉とか、文学的なものを書きたいと思って書いてたんですけど、“呼吸”を作っているあたりから、それじゃ伝わらないなと思いました。映画を見て書こうとか、どこかに行ってその風景を書こうとか、そういうふうにやっていると、どうしても『書かされてる』感じになるんですよね。だから本当に日々思ったことをそのまま書こうと。そしたら知らない間に時間が過ぎてしまったという感じです(笑)。でも、そこがインディーズの一番いいところかもしれません。納得いかなかったら納期を伸ばすことが可能なので」

小さい頃から演歌も好きだったんですよ。ブルースやジャズが日本的に入ってるっていうか

――曲はギターで作るんですか?

「基本的にはそうですけど、鍵盤も使うし、ハーモニカやピアニカで作ることもあります。でもどうしても、コード進行とかに手癖が出てしまうから、それはよくないなあって思っていて。J-POPの中の強いラインってあるじゃないですか、ストロングパターンみたいな。それをもちろん使うんですけど、それだけじゃなくて、ふだんロックではあまり使わないような進行で、でもマニアックに聴こえない感じにしたいっていうか。インストにしか聴こえないようなものだと歌を入れる意味がなくなっちゃうから。歌のメロディがまずあって、あ、裏はそうなんだっていうギリギリなところを狙いたいんです。だから、普通ならこう進行するっていうところで、あえて6thとか7thコードを使ってみたり。なるべくポップさ、キャッチーさを残してっていうのは、毎回気をつけています」

――ポップでありつつ、ギターがラウドに鳴っていたり、攻撃的なサウンドが印象的な曲もあって。そもそもの希瀬さんの音楽ルーツって、どんな感じなんですか?

「小さい頃から音楽をやっていたので譜面も読めるし、中学生、高校生のバンドブームの頃には、一緒にスタジオに入ろうとか、よく誘われましたね。実質的には高校2年の頃にギターを買って、夢中で弾いていました」

――当時、バンドでコピーしていたのは?

「流行っていたものはいろいろやりました。日本の音楽で言えばXとか。洋楽も聴くようになって、ニルヴァーナもやって、レッチリもメタリカも、洋楽をどんどんやってましたね」

――オルタナ、グランジ全盛の時代?

「そうですね。オルタナは、今も自分のサウンドの中に入っていると思います。好きですね。ちょっと粗い感じ、雑な感じが。魂が鳴ってるみたいな音楽が好きです」

――それに加えて、SETSUNA SPIRALの楽曲からは、日本の音楽特有の、叙情性も感じられますよね。

「はい。実はけっこう小さい頃から演歌も好きだったんですよ。親の影響もあると思うんですけど。僕、大学が外国語大学だったので、外国人の友だちも多くて、みんな日本の演歌が好きだって言うんですよね。中学〜高校生の頃とかは演歌が好きっていうと笑われたりするから言わなかったけど、でも家ではCDやレコードで聴いたりしてて。日本的な節回しや、ちょっと悲しい感じの世界観が好きなんです。ブルースやジャズが日本的に入ってるっていうか」

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