THE NOVEMBERS、6th EP『TODAY』が奏でる“静けさ”とは? そして「情緒」と「自由」を語る

THE NOVEMBERS、6th EP『TODAY』が奏でる“静けさ”とは? そして「情緒」と「自由」を語る

シンプルなものに立ち返ろうとして立ち返り、今回の作品を作ることができた(小林)


——『TODAY』、ほんとに素晴らしいです。THE NOVEMBERSは変わらないんだなあと。むしろ変わらないために変わり続ける、更新し続けるんだなあと改めて思いました。

小林 はい。

——じゃあ今の心境から教えてもらえますか?

小林 すごく自然なプロセスを踏むことが、これまで以上にできたなと思います。実は音楽をただ作るということにいろんな意識が入り混み、自然にできない時期がありました。それはCHAGE and ASKAを聴きすぎたせいですけど。7ヶ月間くらい、“SAY YES”よりいい曲ではない気がするからボツ、という病気みたいな時期がありまして(笑)。でも彼らに勝とうと曲を作っている時に、僕は間違いなく無理をしていると気付いてから、なるべく自然でいられるような音楽との向き合い方や、暮らし方に一度立て直そうと。それから、自分の身体がどういうふうにしたがっているのかという生理現象のようなところへ近づいていった感じですね。余計なものは全部置いておいて、楽器と向き合うとか、すごくシンプルなものに立ち返ろうとして立ち返り、それが身体に馴染んで、今回の作品を作ることができた。そういう感じがしています。

高松 僕は作品を作るごとに、「ああ、作り終わったんだ」っていう実感があったんですけど、今回はあんまりなくて。まだ制作段階なんじゃないかっていう気分ですね。

小林 日々更新してたからね。

高松 うん。結構目まぐるしかったよね。

小林 本当に日々変わっていったんですよ。今日しかできないことをやろうとか、今日これができたならそれが正解なんだろうと。次の日に気分が変わっていたらそれをやる。昨日は思わなかったけど今日はそれができるとか、その逆とか。そういったものを形にしていきました。でも“Cradle”はちょっと違うよね?

高松 そうだね。

小林 “Cradle”はもう、T’Aka~ma~Tsu(高松)くんが大暴れしています。

高松 (笑)。でもできあがった作品を聴いて、今までできなかったことが自然にできたところもあるので、そういう意味ではすごく新しい作品だなという感じはしますね。

——それはすごく感じます。まずは根本をひもときたいんですけども、僕はこのEPを聴いて、これこそTHE NOVEMBERSにとってのビューティフルミュージックなのかなと思いまして。ずっと「美しさ」を表現してきた中で、それは価値観や観念のようなものだからこそ、「楽しい」と「悲しい」の間にあるもの、あるいは「善」と「悪」の間にあるものを、今までの結晶として表現できている気がするんです。それを今回小林さんは「静けさ」という言葉で表していますよね。

小林 何かと何かの間にあるものと言ってもらったのは、確かにそうかなと思うところがあります。水のように流動する道徳みたいなもの。だから「静けさ」という言葉を使ったのも、やむなくそうしたところが正直あります。名前が付きにくい感情、感情と言っていいのかもわからない……それこそL’Arc~en~Cielの“Cradle”を中学2年で聴いた時に、自分が聴いてきた音楽の中で味わったことのない感覚、その名前もわからないまま引き込まれていった何か。それが「静けさ」なんですよね。そこをこの作品に結晶しているところは、確かにあります。
きっかけは、ベスト盤の『Before Today』を出す企画が持ち上がり、これまでの全曲を同じテーブルに並べるという行為を初めてしたことです。そこで初めて自分のコア、つまり個性を客観的に見ることができました。たとえば黒いマジックで1、2、3と書いたとすれば、「これは何?」「数字です」で終わりますけど、5000くらいまで書いたら特徴が出てきますよね。そうやってたくさん出さないとわからない個性があるんですよ。これは個人的な話ですけど、発端が“Cradle”で、一番新しい曲は“みんな急いでいる”。そこにたどり着くまでのグラデーションが、4曲並べることによって初めて立ち上がる意味だと感じます。それを4人組のTHE NOVEMBERSというバンドで鳴らせたことに一番価値がある。わざわざ価値観の違う4人が集まって、想定の範囲内のものを作ることは、一種の怠慢のような気もしますから。

——バンドであることのケミストリーと、それを成すことがどれだけの偉業なのかっていうことですね。で、「静けさ」と呼んでいいかすらわからないのは、だからこそ表現し続けているような気がするんです。

小林 そうなんですよね、本当に。


僕はロックをやろうと思って音楽をやっているわけでもない(高松浩史)


——次に『TODAY』を聴くと、「ロックじゃなくなったの?」と思う人もいるかもしれません。そう訊かれたらなんと答えますか?

高松 ロックかどうかってその人によるところもあるし、僕はロックをやろうと思って音楽をやっているわけでもない。世の中的に、THE NOVEMBERSってシューゲイザーバンドだねって言われるのも、あんまりピンと来ないんですよね。

小林 1回も自称したことないからね!

高松 そうそう(笑)。聴いてくれる人がそう感じてくれたなら、それはそれでひとつの正解でいいと思うし、否定もしないですけど、僕らとしては自然に出たものがこういう作品です、ってことだけなんですね。

小林 こういうものをやろうというのは、特にジャンルとしては本当にないよね。

高松 ないね。

小林 言うならばポップミュージックみたいなところはあるけどね。

高松 本当にそう。自分たちが感動できることをただやってる。それが世の中的にそう見られてるってだけだと思うので。

——はい。以上を踏まえた上で、このEPにはポップだなあと思うところがあるんですね。まず歌詞が《みんな》に対して投げかけてます。それはポピュラーミュージックの態度と重なる気がするんですよ。“TODAY”も誰にでも当てはまりますし。

小林 そう、誰にでもなんとでも言えるんですよ。特定の誰かに対するものや、内的独白ではない。今回はとりわけ一人称が存在しない作品にしました。だから広くあまねくというものは、歌詞の話で言えばあるかもしれないです。静けさみたいなところからスタートする自分の原風景が作品になるであろうと思った時に、この作品を作ること自体が内的独白のようにならざるを得ない中で、歌詞までそうすると押し付けがましいものになってしまうので。カバーを入れたのもその一端ではあります。

——つまりこの作品はすべての人間に対して扉が開かれてると。

小林 だから公共物ですね。木とか雲と一緒です。

——よくTHE NOVEMBERSって「孤高」とか言われるじゃないですか。でも孤高でいたいとか、アングラでありたいなんて、一切思わないですよね?

高松 思ってないですねえ。

小林 「孤高でいたい」なんて鳥肌が立っちゃう(笑)、むしろ言ってみたいですね。やはりステージへ上がる人間なので、オープンでいたいですよね。

——あと構造もポップだなあと思うんです。THE NOVEMBERSは好きだったり感動した音楽、あるいはカルチャーを引用することが得意で、今回わかりやすいところでは帯がまさにそうですけども。

小林 あれは80年代後半のちょっとしたアジア感を出せたらいいなと思いまして。作品自体に東洋思想に通じるものがあると、作ってから気付いたんですね。自然というキーワードや、いろんなものが多様で、偏在してあるべきなんだというのは、荘子の考えに近いかもしれない。そういうものを形にできたらと、あの帯のデザインを提案しました。

——多様って言い古された言葉ですけど、アジアのそういう在り方は今の時代を捉える鍵でもあって。世界情勢も音楽の世界も、多様なのが当たり前、そこから何を生み出すのか、ということが問われるようになってますよね。その当たり前に多様であるというこのバンドの構造は、いろんなアーティストがいろんなジャンルのいろんなサウンドを鳴らすポピュラーミュージックのそれと似てるんですよ。

小林 多様という言葉は、確かに手垢が付くほど言われていますけど、何ひとつそうではないですよね。多様であることを許さない社会じゃないですか。一個人を最大解釈することがポピュリズムのようになる、そういう近代の肥大化した部分は、おそらくひとつ戻れ、ふたつ戻れとやっていかなければならない時期に来ていて。だからちょっとした、自然発生的に生まれる多様性が、権利という言葉で担保されなくても存在しうる長屋的な社会になっていけばいいなと思いますけどね、特に日本は。そんなことこの作品において1ミリも考えなかったですけど(笑)。

——で(笑)、多様でない社会の中で、多様であることを実現するために必要なのは、言うなればロック的なメンタルですよね。“O Alquimista”の歌詞はそのための意志が描かれてるんじゃないかと。

小林 まさにそうです。ロックが言うべきことは結局ひとつしかないなと思っていて、これも多様性につながりますけど、「君は自由だよ、だって俺が自由なんだから」ということなんですよ。自由と言ったって、自分らしくしてたら人からああだこうだ言われるし……というのは、実は自由とはなんの関係もない。それはめんどくさいことが起こる社会にいる、という場所の説明であって、自分が自由でいることとはなんの関係もない話です。だからそういう場所っておかしいよねということを、「お前は自由」「俺も自由」と言いながら、相手と同じ場所にいることがすごく大事だと思います。「じゃあ違う場所に行けよ」と言うのではなくてね。

次のページ今作まで来て思ったのが、大人になったなってことで。昔は絶対できなかったことが普通にできてる(高松)
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