藤川千愛、自分自身の毒までもさらけ出した1stフルアルバム『ライカ』インタビュー

ライブは生き物。ちょっと声がかすれたりするのも、その瞬間に生まれた感情が表れてたり、その日にしかないものだなと思う


――お話を聞いていて思ったのは、『ライカ』は「藤川千愛」というひとりの女の子が、歌手・藤川千愛になるためのエピソードゼロのようなアルバムなんじゃないかなって。

「ああー……。うんうん」

――言い方を変えると、きっと藤川さんは「歌手としてこういうことをやっていきます」と提示する前に、「私ってこういう人間なんだよ」と吐き出すことが必要だったんでしょうね。それが『ライカ』なんだろうなと。

「うんうん。そうです! まさに!」

――実際にそういう楽曲を歌ってみて、感覚としてはいかがですか?

「すごく気持ちいいです。自分は楽しんで歌っているだけだからあんまりわかんないんですけど、ずっと観てくれているファンの方々からは『すごく生き生きしてて楽しそう』『あんなに笑うんだ、あんなふうにしゃべるんだ』と言われてて(笑)」

――では歌というものに対しての考え方や観点も、以前とはだいぶ変わったでしょうね。

「アイドル時代は歌うことが好きだからこそ、上手に歌おうとしてたり、歌唱力を上げることばかりを気にして過ぎていて、感情を込めるという考えからは遠ざかっていたんです。でも自分の楽曲を歌えるようになって、ライブは生き物であることを実感したんです。ちょっと声がかすれたりするのも、その瞬間に生まれた感情が表れてたり、その日にしかないものだなと思うんです。それに気付いてからライブがすごく楽しいし、歌うことがもっともっと好きになっている。音楽って本当はこういうことだよな、と感じてます」

――初めて自分の楽曲を制作するという経験はいかがでしたか?

「すごく大変でした。どうやって歌詞を書けばいいのかなと悩んでいたら〆切に遅れちゃったり、まったく声が出ない日があったりで、スタッフさんにすごく迷惑かけちゃいましたね……」

――TVアニメ『盾の勇者の成り上がり』のエンディングテーマとして2曲書き下ろししているから、なおさらですよね。

「あ、でも意外とその2曲は書きやすかったんです。『盾の勇者の成り上がり』は裏切りの連続で人が信じられなくなってしまうお話で、その様子は自分が上京して活動してきた時のことと重なる部分も多くて。いつヒロインがどうなってしまうかわからない……という状況なのもあって“あたしが隣にいるうちに”は1番をヒロイン、2番を主人公の視点で書いて、1番と2番で歌い方もまったく変えてみました。人間いつどうなるのかわからないから……大切な人が生きているうちに感謝や愛情を伝えたいし、自分も伝えてもらいたい。そういう気持ちを込めました」

――そう思うきっかけの出来事が過去にありました?

「おじいちゃんが11年前に脳梗塞で倒れてしまって、それからずっと寝たきりで入院してるんです。歌うこともしゃべることもできなくなってしまっているんですけど、まだがんばって生きてくれてて。おじいちゃんがいたから歌が好きになって、歌手になろうと思ったから、おじいちゃんは私にとって夢をくれた人で、『絶対に夢を叶える』と約束したんです。もしかしたらおじいちゃんは、私が夢を叶えるまで見守ってくれてるのかな……って。私が紅白に出てる姿を、おじいちゃんに見せたい。だからおじいちゃんへの感謝の気持ちを忘れずに、これからもがんばっていきたいです」

私が今がんばれているのは地元という存在があるからなんです。だからこれからも岡山に恩返しをしたい


――表題曲である“ライカ”は絶望的な恋愛を歌った曲とのことですが、なぜ最後にライカが出てきたのでしょう。

「『絶望』をキーワードにした曲を作ろうと思った時、1957年にソ連の宇宙実験で帰る当てもなく飛ばされてしまった犬のライカのことを思い出して。もともとニュースをよく観るタイプの人間で、それを観て泣いちゃったり、ムカついたり、感情的になることが多いんです。ライカの特集が組まれてるのを観た時に『最低だな、かわいそうだな』と思ったことが蘇ってきて」

――歌詞に書いてあるように、なぜかライカのことを《今頃になって思い出していた》と。

「もともとのきっかけは、ふわふわキラキラしたイメージをなくしていきたい、ということでした。『失恋ソングを歌うと感情的になるね』という意見をもらったりもしていたので、絶望を歌おうと思ったんです」

――アルバムのラストの“あの日あの時”もある意味、絶望を歌っている曲ですが、それは「復興」を歌うためでもありますよね。

「私の地元の岡山県井原市は、2018年7月の西日本豪雨で大きな被害が出た場所で。私なりに地元を復興を後押しできる楽曲を作りたかったんです。それで地元が同じで、通っていた幼稚園、小学校、中学校、高校も同じ千鳥のノブさんに作詞を依頼したのが“あの日あの時”です。千鳥さんは地元ネタ漫才がすごく多いし、地元愛が強いなと以前から思ってて。ノブさんに書いていただいたらたくさんの人に聴いてもらえて、井原市のことを知ってもらえるかなと思ったんですよね」

――地元が被災地になったノブさんでないと書けない歌詞であり、藤川さんでないと歌えない歌だと思います。

「岡山県のみなさんは、すごく応援してくれるんです。だからノブさんの書いた歌詞にもあるとおり被害が出た直後は《なんでねー ここなの》という気持ちがすごく大きくて……つらかったです。歌う時もここがいちばん感情が入ります。私が今ここにいるのは岡山のおかげだし、がんばれているのは地元という存在があるからなんです。だからこれからも岡山に恩返しをしたいんですよね。力を貸してくださったノブさんにもすごく感謝です。この曲で岡山を元気にしたいし、岡山以外にも災害で傷を負っている人たちを元気づけられたらなと思います」

――デビューアルバムに地元を強く思う気持ちが込められた曲が入れられることも、大事ですよね。では最後に、藤川千愛という一個人をさらけ出したアルバムを聴いて、藤川さんはどんな印象を持っていますか?

「めっちゃロックになったな!って感動しました。今までひとりで歌うことがなかったし、本当の自分、ありのままが出せてる。すごくかっこいいアルバム……! これからも綺麗な部分だけじゃなくて、ネガティブな部分も毒も歌にして、共感してもらえるような曲を作りたい。自分が音楽に救われてきたように、自分も誰かを救えるような歌手になりたいです」

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