──“Chessboard”では、チェス盤というルールに縛られた戦略の世界と、種が蒔かれて植物が育っていく大地を重ねながら、僕らの人生や生活を歌っていて。ものすごく重要な真実が歌われている曲ですが、どういうふうに思いついたんですか?“TATTOO”から“B-Side Blues”への流れが、『Rejoice』にある喜びの中でも、自分の中にある何かにグッと帰結して終わってて、めちゃめちゃきれいだなって(小笹)
藤原 北海道に芸森スタジオという大好きなスタジオがあって、曲作りのためにちょくちょく行かせてもらっているんですけど、飛行機で新千歳に着陸するときに、地上の景色が見えるんですよ。色のコントラストが違う区画がいっぱい広がっていて、チェスボードみたいだなと思っていて。そういうマインドを大事にしようと前から思ってたんですけど──そもそも僕はチェスのルールを知らないから、白のところに置いていいのか、黒のところに置いていいのか、よくわからないんですけど、人生ってわりとそういうものに近いというか。この曲の序盤では、進んでいいかわからないけれど進んでみると見えるものとか、進んでみることで見える元いたところの大切さとか、いろんな気づきの連続を歌っていて。いつからか社会における自分の役割みたいなもの──将来は何になるんだろう? 結婚するのかな? しないのかな?とか、いろんなことを考えるんですけど、そのマスに行くかどうかはわからないし。たとえば、僕は当たり前のように決められた小学校に入ったんですけど、クラスが決められて、隣に座る人が決められる、そういう世界にずっといて。でも、大学生になってからは、自由な時間が増えていくとともに、誰とどんな時間を過ごすかを自分で選べるようになってくる。その先に就職という問題があって、どこで働くか、東京に出るか/出ないかみたいないろんなことを自分で決めて生きていくんですけど、そうなると今度は人が「この道に進みなさい」って言ってくれていたほうが楽だったことに気づくんです。
──なるほど。
藤原 でも、1個1個自分たちでトライしてきた結晶が、僕たちにとっての今だから。ヒゲダンを組む前に、ちゃんまつがドラムで、僕がボーカルで、ほかにギターとベースがいるバンドを軽音楽部で組んだことがあったんですけど、あとのふたりはバンドをやめるって言ってきて、ちゃんまつと僕でもっと面白いことができないかなって話したときに、「もうさ、学校の中とかやめて、仲良くて尊敬しているやつらとバンドやろうぜ」ってなって、大ちゃんと(先輩の)ならちゃんに声をかけて、4人が揃ったんです。その道もとんとん拍子ではなかったけど、続けていくことで、いろんなことが変わってきて今があるし、振り返ると意味のある時間をメンバーと一緒に過ごしてきた。そういう自分たちの人生経験を(第90回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲として)合唱で中学生が歌ってくれると思ったら、普遍性の中にいろんなことを混ぜ込んだ“Chessboard”ができました。
──自分たちの人生が織り込まれた曲なんだね。人生って、進んできた道のりに満足感を得たり、敗北感を覚えたりするものだけど、どこを歩いたとしても、あるいは歩かなかったとしても、そこに種が蒔かれて植物が育っていくんだよっていうメッセージにすごく感じるものがある。
藤原 東京には《ひとっ飛びのナイトやクイーン》がいっぱいいたんですよ。でも、僕たちは一歩一歩やってきて、ある日ターニングポイントを迎えて突然バビューン!って飛んだ。その、一歩一歩やっていたときに学んだことが全部繋がって、全部続いてる。“Chessboard”という曲にちなんだ歴史がこのバンドにあることが、『Rejoice』──大きな喜びです。最後の“B-Side Blues”という曲も、このバンドのすっごい財産だと思うし。
──“B-Side Blues”はどうやって作った曲なんですか?
藤原 久しぶりに一発録りでレコーディングしたよね。
松浦 久しぶりだったね。
藤原 いっせーのせでやって、2テイク目の音源かな。僕は、バンドにとっていちばん大事なターニングポイントは、この曲なんじゃないかなと思ってて。このアルバムをレコーディングしたスタジオは大きくふたつあって、ビクタースタジオと、今はなくなってしまったBunkamura Studioで。このタイトルは最初“B-Side Blues”じゃなくて“Bunkamura Blues”だったんです。コロナ禍以降、自分たちがここにいたことを証明する場所がどんどんなくなってしまって、ついに、ずっと使ってきた愛おしいスタジオがなくなってしまった。なくなってしまうのが寂しいという気持ちを声高には叫ばないけど、どこかで感じてるというのが、心のB-Sideというか。大人にも心の中に少しの寂しさがあるはずで、その寂しさをなくしたくないという気持ちを込めた曲です。最後に《失くしちゃなんないものはただ「続き」だけなんだ》って歌ってるんですけど、Bunkamura Studioで作った曲を抱えたまま未来に進んでいくことが大事で、これからもライブで大事に歌っていくし、自分たちが歌っていく限りなくならない。それが音楽の素敵なところだと思うし、それを大事にしようぜ、と。
──なぜこの曲をアルバムの最後に置こうと思ったの?
小笹 サウンドイメージで決めたのがでかいかもしれないです。アルバムならではのバラードというか、バラードこそ表題曲としてリリースしたりするので、アルバム制作においてこのくらいのテンポ感の曲を力を入れて作る機会が意外となくて。だからこの曲はアルバムをアルバムたらしめる、聴いてくれた人が最後に染みる曲になってほしいと思っていたんですよね。歌詞も素晴らしい仕上がりだから。あと、“TATTOO”から”B-Side Blues“への流れが、『Rejoice』というアルバムにある喜びの中でも、自分の中にある何かにグッと帰結して終わってて、めちゃめちゃきれいだなと思います。
藤原 染みちゃうよね。でも、染みつつ未来へ、というのが、30代のヒゲダンな気がするんですよね。
──ポジティブなバイブスに溢れたこのアルバムの結論をどこに持っていくんだろうと思ってたんだけど、《失くしちゃなんないものはただ「続き」だけなんだ》というフレーズで終わって、すごく見事だなと思ったんですよね。「大切なものは今なんだ」とか「大切なものはまだ見ぬ未来なんだ」って歌う曲はいっぱいあるけど、《「続き」》っていうのはいい概念だなと。実感のこもった真実を最後に置いたんだと感じました。よくリハーサルしていたスタジオも、東京で初めてワンマンライブをしたライブハウスもなくなっちゃったけど、バンドとそのときやっていた音楽は残ってる。それを繋ぎながら新しいものを作っていく(藤原)
藤原 歳を重ねるごとに昔話も増えたりするんですけど、やっぱり「続き」を大事にしたい。よくリハーサルしていたスタジオも、東京で初めてワンマンライブしたライブハウスもなくなっちゃいましたけど、バンドとそのときやっていた音楽は残ってる。それを繋ぎながら新しいものを作っていくのが大事で。あと、僕が喉を壊しちゃったときに、「続き」というものが薄れたのも深層心理にはあったのかもしれないですね。だからこそ、「続き」を大事にしたかったという。
──その思いがしっかり伝わってきました。今作は、藤原くん作詞作曲の楽曲のみだけど、どういう流れでそうなったの?
藤原 曲を作らせてほしいなとか、自分の作った曲がどんどん溜まってて寂しいなというわがままめいたことは、みんなには言いましたね。既存曲がもっと少なかったら、メンバーの作った曲が入ったと思うし、このアルバムは僕の作詞作曲だけで行こうという感じだったわけではないです。
──それも自然にということなんだね。
藤原 不思議なもので、アルバムを作っていて、締め切り、締め切り……みたいな感じで、くぅー!ってやっていると、今度は自分の脳みそにないものを欲するんです。わがままな生き物ですね!(笑)。だから、今後はみんなと一緒に、垣根なく面白いクリエイティブに取り組める時間を増やしていきたいなって。今までは常に「ここに向けて作る」というのがあったので。そうじゃないところで作った曲を、アルバム曲として選べるようになったらすっごく楽しいんじゃないかなって。
──漠然とした聞き方になるけど、今後のヒゲダンはこんな感じ、っていうビジョンはありますか?
藤原 ある人?
松浦 もう、おもろいっすよ。
一同 (笑)。
松浦 次もおもろいっすよ(笑)。
藤原 おもろいっすねえ、確かに。彼の言う通りだと思います(笑)。
小笹 ほんと、個々人が楽しんでやってる領域が広がっている感じがします。それぞれに任せられることも前より増えている感じがするし。前がそうじゃなかったってことはないけど、やっぱりどんなことでも4人でちゃんと決めようっていうときもあったから──それもそれでいいことなんですけど。でも、今は「君がいいならそれで全然いいよ」っていうスタンスがあって、いい感じの信頼関係があるから、ライブもそんな感じで作れている気がしますね。
藤原 バンドが上手くなってます。みんな、歌とかギターとかベースとかドラムとか、だんだん上手くなっていて。それがいいですね。続けるって楽しいものですね。
ヘア&メイク=チチイカツキ(beausic Inc.)
スタイリスト=柳 翔吾
衣装協力=DIEMONDE(BOW INC ☎070-9199-0913)、ADIEU(BOW INC ☎070-9199-0913)
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