──“feel every love”のゴスペル調のアレンジは、前半部分を象徴する要素でもありますよね。個人の愛を歌って数十年で儚く消えるものよりも、永遠に響くような芸術をやっていきたいんだ!っていう。その欲望には抗えないですよね
“feel every love”は、実はだいぶ前──9年ぐらい前にボイスメモで録ってあって。ずっと口ずさみながら、ドラムを手で打ち込んで、すっごくいい雰囲気ができていて。「でもこれ、バンドではできないな」と思ったんですけど、僕はソロをやってるわけでもないし……と思ってるうちに時が経って。でも今回、『カムイ』の話をいただく前から、リード曲としてこの曲を作ってたし、アルバムに向けていちばん最初に力を注いでた曲なんです。ゴスペルであり、世界平和の歌であり、愛の歌であり……僕は世界中の人に聴いてもらいたくて。いろんな人が街で口ずさんで、それだけで世界が少し変わる、豊かになる一歩だと思っていて。戦争って今、多く見えてるけど、第1次大戦・第2次大戦とかに比べると全然少なくなってて、あとちょっとで戦争が終わる、人間が争い合う時代は終わるんだぜ!っていうところに来ていて。でも、僕らはそれをあんまり実感できていないんです、報道とかのせいで。もっとそういう、人間のいい部分をちゃんと見て、「世界は平和になっていってるんだよ!」っていう現実を、ちゃんとリアルに届けたいなとずっと思っていたし、そういう曲になればいいなと思って作りましたね。
──“アストロサイト”の《広い島にピカっと光って》も、“feel every love”の《あなたに流れる血も/誰かが流しているあの血も》というラインも、「その先」を信じる大木くんの想いによって、ドラマチックな流れを生んでいる気がしました。
そうですね、反戦から始まって。もちろん、反戦のテーマはずっと掲げてはいるんですけど、ただ反戦を歌っているだけではなくて、もっと生きている意味と、喜びと、愛をリアルに感じながら生きることって、とても大事なことだと思うんですよね。
──その生きる意味と喜びと愛を、理系の裏付けをもって歌おうっていう姿勢ですよね。
そうなんです(笑)。ただ愛を歌うだけって、実はちょっと危険を孕むというか、個人の感情になってしまうので。その愛については、どこかで違う人がそれを愛と思わない可能性があるんだけど。もうすべてにおいて愛というものは、物質と物質が繋ぎ合う分子間力みたいなものだと捉えていて。素粒子レベルで繋がり合っていることが愛だ、っていうことに気づけば、僕らはもともとすべて一緒であり、どんなに足掻こうが頑張ろうが、どんな失敗をしようが、最後は死ぬんだ、っていう儚さと美しさ──それに気づけば、あらゆるものを俯瞰して、もっともっと豊かに生きられるんだぜ俺たち!っていうのが、科学で得られる知識のいいところだなと思いますね。
──愛は普遍的な現象であって、これを聴いているあなたの中にもあるはずだ、というテーマを、概念ではなく事実として突き詰めて、ロックというアートとして提示する──というACIDMANの在り方の、まさに究極形のアルバムだと思います。
おっしゃっていただいた通りで。険しい道だと思うんですけど──昔から僕は「博愛の《愛》だね」ってよく言われてきて。「人の心を動かすのは博愛じゃなくて、もっと個人の愛だよ。そのほうがリアリティが増すから売れるよ」って何百回も言われてるんですけど。わかってるよそんなの!って(笑)。そうじゃなくて、俺はこっちの愛で戦争を終わらせるほうが美しいと思うんだ!って。個人の愛を歌って、数十年で儚く消えてしまうものよりも、永遠に響くような芸術をやっていきたいんだ!っていうのが、僕の中にいつもある欲望で。それには抗えないですよね。いつもそっちを選んじゃう。
──そして“青い風”以降、後半はよりスケールの大きい、ディープな世界へ入って行きます。“青い風”“龍”“蛍光”の流れは凄まじいですよね。磁気嵐に感覚を研磨されるような世界というか。宇宙がなぜ生まれたのかなんて今でもまったくわからないけど、僕らの音で/言葉で/考え方で世界を変えていくんだ、っていう覚悟はできてると思う
(笑)。これはチャレンジでもあるんですけど。“青い風”はまだ少し聴きやすいと思うんですけど、“龍”とか“蛍光”みたいな曲を、世の人がどう受け止めてくれるのだろう?っていうのは……こういうものを「いい」と言ってくれるのであれば、まだまだ表現の余地はあるなあっていう感じなので。アートって本当はこういうものでよかったよねって。本当だったらもっとかっこつけるんだけど、もう頭の中で龍が浮かんだので、“龍”っていうタイトルにするしかなかったんですよ(笑)。龍っていうと、つい中国的なモチーフになるんだけど、そうじゃなくて、概念としての龍で。絵も浮かんでるから、それをかっこよく落とし込もうなんて難しい、そのままやるしかない!っていう曲でした。戦争が終わって、すべて灰になった中からなぜか龍が生まれて、命のしずくみたいなものを振り撒いていくと、今度は灰の中から子供たちができあがっていくんですよね。神話のような、創世記みたいな瞬間を描いた曲で。そこからまた、宇宙が不確定に始まっていって、あらゆる命が群生しながらも、生まれては消え、でも最後に一個残った光が、宇宙の始まりだったかもしれないし──みたいな。ほんとSFみたいな世界を漂ってる感じなんですよ。“龍”も“蛍光”も、衝動的だし、パニックだし、聴く人の脳を揺らすというか、そういう立ち位置の曲だと思ってます。この後に“光の夜”っていう曲があるんですけど、同じ人が作ったとは思えないんだけど!って、自分でも思います(笑)。
──このカオスのあとに“光の夜”っていうメロディアスな曲を置きたかったのもわかるし。そして、クライマックスは“あらゆるもの”ですからね。アルバムのすべてを総括しつつ、《君が生まれた それだけは 正しい事なんだよ》というシンプルな命題に帰着していきますよね。
そうですね。“アストロサイト”から始まって、《僕らの世界はまだまだ深い謎だらけ》──もしかしたら何もわかってないかもしれないし、この世界はシミュレーションかもしれない、でもあなたがあなたとして自覚しているその命は正しいんだよ、って終わることで、すべてを受け止められたような気がするんですよ。この最後のワードはもう、僕も絶対これにしようと思ってましたね。
──マクロからミクロまで見つめた果てに歌われる《君が生まれた それだけは 正しい事なんだよ》には、ずっとこの世界観を突き詰めてきたからこその切迫感がありますね。
ありがたいです、そういうふうに言っていただいて。ある程度のキャリアを経たから、っていうのもあると思っていて。インディーズの頃は《正しさに 今 乱されそう》(“酸化空”)っていう言葉を使って、正しいものなんてない、何が正しいかなんてわからない、って言ってたけど。今ももちろんそんなことはわからないし、宇宙がなぜ生まれたのかなんて今でもまったくわからないけど、ある程度のキャリアのおかげで、未来は僕らが決めていく──僕らの音で/言葉で/考え方で世界を変えていくんだ、っていう覚悟はできてると思うし。人生半分なのか、あと何年生きるのかわからないですけど、「結局死ぬんだな」っていうのは子供の時からずっと変わらない思想で。何を残そうとも、何を手に入れようとも、何を失おうとも、どうでもいいと思ってるんですよね。そんなことよりも、あなたが今生きている時に、日々の生活で幸せだと思うことを、自分の人生の中で見つけていくことが、一番の幸せだなと思っていて。手を伸ばして求める欲望って大事だし、消しちゃいけないことなんだけど、実は何も手に入れられてなくても、生きてることはめちゃくちゃ奇跡なことだ、って自分を洗脳しながら生きていくことがとても大事だなって。この歳になると、それをよりリアルに感じますね。
──そういうACIDMANだからこそ愛されてきたんだなあっていうのが、同時発売のトリビュートアルバム『ACIDMAN Tribute Works』を聴くとよくわかります。
こんなに嬉しいことはないですね。ご褒美をいただいているような気分で。改めて、ミュージシャンってすごいなって。普段もう友達のように接してるし、それは当たり前の日常だけど、よく考えたら彼らって一流のミュージシャンだってことに気づかされて。全アーティスト・全曲、嘘偽りなく衝撃を受けたんですよ。「こんなかっこよくなるんだ!」て。原曲を遥かに超えていると、作り手でも思うくらい素晴らしい出来だったし。ELLEGARDENの“アイソトープ”なんて、もうエルレの曲ですからね(笑)。BRAHMANの“SILENCE”も、僕が求めてるものをTOSHI-LOWが全部やってくれてて。もうお見通しなんですよ、俺の脳味噌を(笑)。Dragon Ashの“ある証明”も、もう一度力を注入しに来てくれてるというか、スピリチュアルなエモーションを感じるし……ちょうどサクちゃん(櫻井誠)の病気がニュースになった時に、Kjが電話をくれて。「実はドラゴンでは録れないかもしれないけど、この曲は大事な曲だと思うし、Kj名義でも絶対にやるから」って言ってくれて、めちゃくちゃ嬉しかったし。普段はね、僕はこのアーティストたちにいつも「また宇宙の話し始めたよ」とか「宇宙バカだなあ」っていじられてるんですけど(笑)。ちゃんとリスペクトしてくれてるんだなあって。
──『光学』と『ACIDMAN Tribute Works』を併せて聴くことで、ACIDMANの足跡と「今」がはっきり見えてくるし、いいタイミングに立ち会えたなと思いますね。
ありがとうございます。さっきの話に戻っちゃうんですけど、時代に逆行しているバンドの作品を、ぜひ若い人に聴いてほしいんですよね。イントロがあるとダメだとか、3分ぐらいじゃないと聴いてくれないとか、それっておかしいと思ってる人は絶対いると思うんですよね。「そんなんじゃないんだよ音楽は」って。それが主流になるのはいいんだけど、違うものもなきゃダメだって思うし。単館系映画のかっこよさって、俺らの時代にはあったけど、そういうものすら失われていくのは、日本の文化の危機的な状況だと思うので。マジでこういう音楽を、映画を観るように聴いてほしいなと思いますね。