インタビュー=杉浦美恵 撮影=川島小鳥
──『日々散漫』、とても素晴らしいです。にしなさんの死生観や愛についての思いが、これまで以上に色濃く感じ取れる作品でもあり、今の時代にこそ聴かれてほしいし、普遍的に聴き継がれていくものになるだろうと感じました。前作から3年半と、少し期間が空いたのは何か理由があったんですか?生きるってどういうことなのかっていう自分なりの答えが、「つかめる」とまでは言わないですけど、ちょっとずつ見えてくるような感覚はあって
なぜでしょうね(笑)。この3年半、特にアルバムのためにという意識もなく、ただ楽しんで生きていたという感じなんですけど、ちょうど1年くらい前、スタッフさんから「そろそろ」という話が出て、それで考えてみたら、思ったより前作から時間が経っていて、曲数もすごいことになっていたという感じでしたね。
──制作にあたって、今回のアルバムはどういうものにしようと?
時代的にはなかなかアルバム単位で聴かれにくい状況だなと思っていて。でもせっかく出すのなら、そこにどんな意味づけができるかなと考えたとき、やっぱり人間性だったり思考が伝わる一枚になったらいいなと思ったんですよね。21曲もの曲数をまとめるのはすごく難しかったんですけど、作品として1本筋を通していくというか、作品としての流れを意識してまとめていきました。
──“intro”でにしなさんが口ずさんでいる曲が2枚目ラストの“Twinkle Little Star”につながって、それがもう一度“intro”につながってくる感じなどは、あたかも昨年リリースした“輪廻”の世界観にも通ずる構造だなと感じました。
アルバムを一度聴いて終わってしまうのはちょっと寂しいので、時間が経ってからももう一度聴きたくなるような、そういうものになったらいいなと。そのときに、この曲にはどういう意味があるんだろうって、巻き戻してまた感じてもらえたら嬉しいですよね。それこそ「輪廻」のようにというのは考えました。
──“輪廻”は、にしなさんが、おばあさまが亡くなられたときのことをきっかけにして作った曲でしたよね。あの楽曲がこのアルバムにつながったということもありますか?
そうですね。“輪廻”以外の楽曲もそうかもしれないですけど、死生観というか、生きるってどういうことなのかっていう自分なりの答えが、「つかめる」とまでは言わないですけど、ちょっとずつ見えてくるような感覚はあって。人間の生って常に伝承されていくんだな、回っていくんだなっていう感覚は、“輪廻”の制作があったからこそ、強まったかもしれないです。
──一方で、たとえば“わをん”は“輪廻”より先にリリースされた曲でしたけど、このアルバムで聴くと、すでに“輪廻”に通ずるテーマを持ち合わせた楽曲だったと気づかされたりもします。《あい、》に始まって、“わをん”=《和音》につながり、その和音がまた愛を響かせる、その循環の構造は“輪廻”につながるものでしたよね。
嬉しいです。回り続けるみたいな感覚は、振り返るとずっとあったような気がします。私の親族はキリスト教徒が多くて、祖母もキリスト教徒だったんですね。その祖母とのお別れが、日本のお葬式だとちょっと悲しい感じですけど、キリスト教では歌を歌ったりして、これからハッピーな門出だよってみんなで送り出すイメージなんですよね。そのときに改めて何か感じるものがあったと思います。
──今作は、にしなさんの作品の中で「愛を歌う」とか「ラブソング」というものに対して、その感覚とか解釈が広がっているように感じました。
年々、恋愛感情だけじゃなく、家族や友達、いろんなまわりの人のことを大切だと再認識するというか、その人に会う時間、話す時間を大切にしたくなっているというのは、すごくありますね。やっぱり、年齢を重ねていく中でお別れも増えるし、そういう経験がその思いにつながっているのかもしれないですね。
──“つくし”も、ドラマの主題歌として書かれた曲でしたが、《何度でも/巡り会える》と、これもまた今回のテーマに通ずるものがあって。足音とか心臓の音もそれぞれが音楽だなと思うし、そういうズレや重なりを楽しんでいけたらいい
生きている人でも、たとえば何気ない置き手紙にその人を感じるとか、ふとかいだ匂いで誰かを思い出すとか、目の前にその人がいなくても、つながりを感じられることってすごく多いなと思って。今になってその思いが増したというより、それを愛おしく思う回数が増えたということなのかなと思います。
──新曲の“音になっていくよ”にも、にしなさんの死生観と愛が表現されています。《いつかお星様になるなら/私が先ならいいな》という1コーラス目の歌詞が、最後は《貴方が先ならいいな》に変わる。残されたものの寂しさを知るからこその「愛」だなと。
永澤(和真)さんと一緒に、ゼロイチで曲を作ろうとスタジオに入って、その基盤となるトラックに私がメロを乗せて書いていきました。ミュージシャンとして、人とのコミュニケーションの中で、私は、すれ違ったり重なったりすることを音楽で描き続けているし、その人たちの足音とか心臓の音もそれぞれが音楽だなと思うし、そういうズレや重なりを楽しんでいけたらいいなということをまずは書いていきましたね。《お星様になるなら》の部分は、意識はしてなかったですけど、振り返ると、これも人との別れやお見送りを経験したからこそかもしれないですね。その先は離れても存在を感じられるし、またどこかで出会うかもしれないけど、今世では、自分が先に逝くより最後までそばにいたいという気持ちになったのかなと思います。
──そしてdisc 1で気になる曲が“婀娜婀娜”(あだあだ)でした。とても有機的なビートの新機軸。
もともとはアフロビートのアプローチを自分もしてみたいと1年くらい前から思い始めていて。それで今回、Yaffleさんにお願いして一緒にスタジオに入ってトラックのベースを作って、それを家に持ち帰って完成させたという感じでしたね。アフロビートに対して、そこに乗る自分の日本語だったり、ポップスを聴いて育ってきた自分がどんなふうにノリ感を出せるのかと悩みながら作っていきました。世界観としては、歌詞に《歌舞伎町》というワードが出てくるんですけど、それこそいろんな人がいて、いろんな感情があって、善悪が入り混じってて、この世の中は成り立っているというか。人それぞれ美しい部分もちょっと汚いところもある。そんな中で、自分が胸を張れる、美しく生きられるのなら、それはどんな生き方でもいいし、自分らしく歩みなよっていうことを、自分自身に向けても書けたらいいなと思っていました。
──続く“in your eyes”も歌詞がとても素敵だなと思いました。たとえば《きみに出会う為の過不足》という言葉だったり。少し不思議な表現ですが、とても詩的で感覚的に響きました。
自然に出てきた言葉ではあるので、特に意識して捻り出したものではないんですけどね。人間は凹凸があるから、誰かに惹かれるときに自分に似た人を好きになる人もいるし、全然違う人を好きになる人もいますよね。そういう「あなたにはまるために私はこうだった」という運命を表現できたらなあと思って、出てきた歌詞でした。
──《赤よりも青く》という歌詞も不思議だけれど美しい表現です。
これは、過去の記憶にもつながるものなんですけど……学生時代に理科の授業で、「赤い炎より青い炎のほうが熱い」と習いますよね。それを「へえ」って思ったときの記憶と結びついたというか。それって感情に似ているなあって。情熱的に見えているときは当然感情の温度は高いですけど、何か障壁があって一歩を踏み出せずにいる、情熱的になりきれないでいるときでも、内側ではもっと熱く燃えていたりするよなあって。それが理科の授業の記憶と重なってこの歌詞が出てきましたね。