最初に世に出た“ケロイド”では軽やかなストリングスとマットな質感のスウィングビートで攻め、続く“18”は優しげなピアノバラード、3曲目“Rain Man”では重心の低いハードなロックサウンドとともに張りのあるハイトーンボイスを響かせる。この時点で、特定のジャンルやシーンに属していないことや、パフォーマーとして光るものを持っていることを窺わせるし、アルバムを聴けばさらなる多才ぶりに驚かされること請け合いだ。おまけに、どうやらアレンジやデザイン、映像監修まで自ら手掛けるマルチタイプでもあるらしく、複合的表現を前提とした創作スタイルもとても興味深い。
密度の高い作品性に加え、まだライブも全然していないし公開されたビジュアルも不明瞭なものだけとなれば、いろいろと推察したくなるばかり。そもそもこれだけ作れて歌える存在がどこからどう生まれたのかも含め、とにかく謎が多い実像に切り込んでみたのが本インタビューである。その来歴や存外親しみやすいキャラクター面を知って、Vuatというアーティストをより立体的に感じてほしい。
インタビュー=風間大洋 撮影=Yoshitake Hamanaka
──活動の原点から訊いていきますが、幼少期から音楽は身近なものでしたか。聴いた音楽はすぐに弾きたくなるんです。小学校の休み時間に、コード進行をイメージしながらピアノを弾いていたのが原点だと思う。自然と耳もよくなって、J-POPでよく使うコード進行も覚え始めた
幼稚園の時からピアノ、小学校6年生くらいからギターを自然と触ってて、気づいたら音楽が好きという感じでした。
──日常の中に音楽があるタイプの家?
本当そうです。実家にアップライトピアノが置いてあったし、父親は20代後半くらいからアーティスト活動を始めたらしくて、ギターも3本ぐらい置いてありました。母親も音楽が好きで、ふたりともギターが弾けるんです。
──幼少期に聴いていた音楽は?
小学生の時に流行ってたワン・ダイレクションやSEKAI NO OWARIとか。メロディラインが好きな曲は全部好きという感じで、ジャンルはあまり関係なかったです。
──中高生あたりはどうでしたか、たとえばバンドを組んだりとか。
バンドは高校1年か2年生の時に、1ヶ月くらいやってたことはあります。中学3年生くらいから路上ライブを始めて、そこで出会った仲間と3ピースバンドをやっていました。でもやりたいことと違うと思ってしまって、全然うまくいかなくて。結局、ひとりでずっと活動してました。
──聴く側からやる側になるきっかけみたいなものはあったんですか。
うーん……僕、かなり変だと思うんですけど(笑)、聴いた音楽をすぐに弾きたくなるというか。「こういうコード進行か」って勝手にイメージしながら聴いた曲を、小学校の休み時間にピアノで弾いたりしてました。披露することの原点という意味ではそこかもしれないですね。それで自然と耳もよくなりましたし、J-POPではどういうコード進行をよく使うのかとかも小学生くらいから覚え始めた記憶があります。
──じゃあ、ミュージシャンを志したのも早い段階から?
中学1年生で初めて曲を作って。遊び半分だったんですけど、中学3年生でもう路上ライブもしてたので、その時点で音楽でやっていくんだなって心で決めていました。空手の全国大会でベスト8くらいまで行っていたので、強豪校からも声が掛かってたんですけど「音楽やるので」と断って(笑)。ギターで曲を作りながら路上やブッキングライブに出てたんですけど、自分の目指すアーティスト像から逆算すると全然ダメだったなと上京してから気づきました。
──目指す像ってどんなものだったんですか。
音楽家として、同じ音楽をやっている人たちからリスペクトされるような存在であり、メインストリームに立てるようなアーティストで、ライブも埋められない会場はない、みたいな。
──いわゆるポップスターのような。
そうですね。でも、自分のスキルが全然足りてないことに気づいて。その時は曲もギターでしか作れなかったので、最初は編曲できる人を探して3〜4曲くらい一緒にやってみました。ただそこで自分は他人とやることに向いてない、表現したいことを表現しきれないと気づいたんですよ。
──Vuatさんの中で具現化したい強固なイメージがあるから、誰かに頼むより自分でやってしまうほうが早いしストレスもないということですよね。
はい。当時やっていたのは僕が簡単な土台を作ってからブラッシュアップしてもらうというやり方だったんですけど、向こうの「これがいいでしょ」というものがどう聴いてもよく思えないことが結構あって。だったら自分でやるしかないなって思って、21歳の時、2年前くらいからDTMの編曲を勉強し始めました。
──Vuat名義での活動に至る原点がそのタイミングだとすると、現在に至るまでの2年ほどはどんな期間だったんですか?ただ歌いたいだけではなく、芸術みたいな感覚でひとつの作品をみんなに届けたくて、それを評価してもらいたい
ほぼ編曲しかしてなかったです。しかも僕の曲じゃなくて、後輩とか他人の曲をやってました。そこで自分の曲なら絶対にやらないようなジャンルも聴くようになっていって、自然と学べましたね。少額ですけどお金もいただいていたので、絶対に見合ったものを作ろうとも思ったし。そのおかげで意外と早く上達できたと思います。
──そこから再び自分の音楽へ向かうタイミングが来るわけですよね。
2024年10月くらいに「そろそろいけるんじゃないか?」と思って、TikTokを始めて。ただ、僕がイメージする一流になるためには、TikTokでバズってもしょうがない気がしていたので、それよりも一緒にチームを組める人に出会いたい、見つけてもらいたいと思っていました。そうしたら意外といろんな会社から声をかけてもらえた中で、今のチームと出会えました。
──Vuatという名前は、タイ語で「蓮の花」を意味する言葉に由来するそうですね。
元々は別の名義だったんですが、見合ったタイミングで生涯通して背負える名前はつけたいと思っていました。僕がタイとのハーフで、タイでは蓮は宗教的にも大事な花なんです。その綴りをちょっと変えて、Vuatになりました。蓮の花って水が汚いほどきれいに咲くんですよ。上京してからなんだかんだ4年くらい下積みをして、やっとここから咲かせていけるっていう僕には相応しいんじゃないかなって思って。
──2025年の秋から実際にリリースを始めて、受け止められ方はどう感じました?
自分が思っていたよりはあまり見られなくて。見てくれる人はすごく深いところまで見てくれるので嬉しいなとは思いつつも、まだまだだなっていう。アルバムが出るまではそんな感じでした。
──12月3日にリリースされた1stアルバム『Dawn』の収録曲“怪獣とヒーロー”が注目されて、状況が変わりましたよね。
ありがたいことに。いろんなスタイルの動画を試していく中で、なかなか伸び悩んでたんです。そこで原点に戻るじゃないけど、イラストチックなショート動画を改めて出してみたらいい反応があって、何本か続けてみたらバズりました。
──Vuatさんって、そういうビジュアル面や映像、打ち出し方まで基本はセルフプロデュースしてるじゃないですか。音楽制作と同様で、イメージと違うことになるくらいなら自分でやってやろう精神なんでしょうね。
そうかもしれないです。こだわりは結構強いので。ただ、規模が大きくなってくるとそうはいかないと思うので、委ねる時はちゃんと委ねつつですけど……根本は変わってないですね(笑)。
──ひと昔前だったらあんまりいなかったような、なんでもやっちゃうしやれちゃうアーティストが、今はロールモデルとして複数存在しているから、そういう意味では追い風かもしれないですね。
やっぱり影響は受けてます。僕がかっこいいと思うのは自分でなんでもできる人、それぞれにちゃんとこだわりを持ってやっている人で。僕の場合は、ただ歌いたいだけではなく、芸術みたいな感覚でひとつの作品をみんなに届けたくて、それを評価してもらいたいんですよ。曲に関しては、他と被りたくないという意識もあるので、もともと「ザ・J-POP」みたいなものはあまり好みではないんですけど、日本で売れるためにはちゃんとその要素も入れないといけない。僕が好きな洋楽の要素と混ぜながら作っています。
──その混ぜ合わせ方が、実際にVuatさんの音楽における大きな個性だと思います。盛り上がりと引くところ、ロック色とチル要素、洋楽感と邦楽感が両立しているし、溶け合ってもいるような不思議なバランスを感じて。
おお、本当ですか。……なんなんでしょうね? どの曲も絶対にいいものを作ろうとしてるだけですけど、気づいたらそれが洋楽的になっていたりするのかなぁ。
──“ケロイド”でいったら、ストリングスとビートで押していく曲調から、サビでいきなりメロディアスになる。あの切り替わりも、普通はなかなかああはならない気がするんですよ。かといってバラバラにはなっていない。
確かにあれは絶妙かもしれないです。それこそ芸術というか、一枚の絵を描くみたいな感覚なのかも。