さらさは音楽活動を始める前から「Live Bluesy」=「ブルージーに生きろ」ということを自身のテーマとしてきた。それは人生におけるネガティブな出来事、マイナスな感情から目を逸らすなというメッセージでもある。どんなジャンルの音楽でもそこに「ブルース」が宿っていないものはどこか表層的だ。そんな感情としての「ブルース」の本質に、まだ10代だったさらさは気づく。だからこそ彼女の歌は聴く者の耳と心を深く癒やし得るものとなった。そんなさらさのメジャーデビュー作品は彼女のテーゼをそのままタイトルに冠し、「ミックステープEP」という形態をとる。この『Live Bluesy』という作品は、さらさにとってどのような意味を持つものなのか。そして彼女はいかにして「ブルージーに生きろ」というテーマを見出していったのか。今、最も注目しておきたい女性アーティストのリアルな人間像に迫る。
インタビュー=杉浦美恵 撮影=中野道
90年代後半くらいの女性R&Bシンガーって、カルチャーとして独自に成り立っている気がして。自分が目指すところはそこだなって
──さらささんの最初の音楽体験はどんなものでしたか?物心ついたときから歌うことが大好きでした。母親がフラダンスの先生で私もずっとやってきていたし、小学1年からはストリートダンスをやり始めたのもあって、音楽と身体的な表現というのは、当たり前にずっとそばにあったんです。「ディズニー・チャンネル」も好きで、当時は『シークレット・アイドル ハンナ・モンタナ』とか、『ハイスクール・ミュージカル』とかの世代で、それをきっかけに「ミュージカルやりたい!」ってなって、小学校のときはダンスとフラダンスをやりながら、ミュージカルもやっていました。
──フラの精神性みたいなものも自身のルーツとしてあると思いますか?フラダンスはもう家業に近くて、好き・嫌いの話ではなかったんですよね。でも今になって考えると、フラダンスは森羅万象の神様に捧げる踊りであるとか、衣装も自分たちで植物から作ったりとか、そういう考え方が当たり前に入ってきていたので、自分のアイデンティティに影響しているような気もします。
──現在の音楽活動に繋がる体験として、高校で軽音部に入ってジャムセッションを積極的に行っていたとか。そうなんですよ。ダンスでR&Bやファンクに触れてすごく好きになったんですけど、バンドの音楽も中学生のときにまわりの友達の影響で好きになったんですよね。The SALOVERSを好きになって、バンドに興味が湧きました。それで軽音部に入ってみたら、顧問の先生が独自に作った「黒本」(※定番曲の楽譜集)みたいなものを渡されて、そこに“オータム・リーブス(枯葉)”(ジャズのスタンダード)とか“トゥ・オブ・アス”(ザ・ビートルズ)とか“スーパースティション(迷信)”(スティーヴィー・ワンダー)とか、「これを知っていればセッションできるよ」みたいな譜面がたくさんまとめてあって。「来週はこれやるからね」って言われて、みんな練習してくるっていう感じでした。それがダンスきっかけで好きになったR&Bとかブルースとかファンクにもつながって、自分が本能的に好きだと思っていた音楽を、ダンス以外の身体表現で表せるということを知って、歌に喜びを感じていきました。
──さらささんのルーツとしてよく語られているのは、UAやCHARA といった90年代の日本の女性シンガーですよね。母親が車で流していたのをよく聴いていたんです。自分がシンガーソングライターとして活動するようになってからは、より憧れを持つようになっていきました。90年代後半くらいの女性R&Bシンガーって、カルチャーとして独自に成り立っている気がして。楽曲だけじゃなく、アートワークやファッションもすべてが個性的で、楽曲にしても、必ずしもアレンジがポップスに寄っていたりするわけでもないのに結果としてすごく多くの人に届いている。そういう在り方がすごくかっこいいなあと思いました。自分が目指すところはそこだなって。
──高校時代には軽音部での活動だけでなく、校外のセッションにもチャレンジされていますが、それはどういうきっかけで?高校3年のとき、AO入試で早々に大学が決まり暇だったこともあって(笑)。高校を卒業してどうするんだろう、自分はどういう場所にいたいんだろうと想像していた頃で、外のセッションにも参加してみたいなあと。学校帰りに友達──『Live Bluesy』に入っている“KAMINARI”っていう曲でコーラスを入れてくれている、デザレ(Desire Nealy)っていうドラマーがいて、高校の後輩なんですけど──その子とよく一緒にセッションに行ってました。
──高校生がいきなりライブハウスで行われるセッションに参加するというのは、なかなか勇気のいることだったのではと。めっちゃ怖かったです(笑)。デザレと最初に行ったセッションが横浜の関内にあったKAMOMEというライブハウスで、店の前まで来たはいいけど「帰る?」みたいな(笑)。ふたりともド緊張でしたね。そのセッションは毎回テーマを設けているんですけど、その日は「ボーカルフィーチャー回」で、だから比較的入りやすかったはずなんですけど、やっぱり怖いし緊張してました。でもそこでMVPをもらえたんです。じゃあ続けてみようと、そこから1年くらいはいろんなセッションに通っていました。
──1年ほどでセッションに参加しなくなったのは何か理由があったんですか?セッションする際にボーカリストが歌詞を見ながら歌うのはNGという雰囲気があって、全部覚えていかなきゃいけなかったんですよね。でもそんな簡単には覚えられないし、そこで義務感というか、覚えなきゃ、覚えるために聴かなきゃって思うようになって、楽しくなくなっちゃったんです。それで向いてなかったんだと思って一度音楽を辞めました。そこから次に何をしようかなと思ったときに、興味のあることは全部やってみようと。自分で古着を仕入れて売り始めたり、イベントを主催してみたり、油絵の学校と雑誌編集の学校と、現代アートの学校に通ったり。アパレルの会社でインターンを始めたりもしました。
──ひと通りやってみて、音楽に戻ってきたんですね。でもチャレンジしたことは全部楽しかったんです。手応えもありました。応援してくれる人や認めてもらえるタイミングもあったんですけど、その1、2年の期間っていうのは、自分は音楽を辞めたと思っているから、逆にすごくリラックスした状態で音楽を聴けるようになっていたんですね。そのときに、家でなんとなく「tiny desk」(tiny desk concerts JAPAN)とかを流していると、一緒にコーラスしたくなったりして。それで「あ、私、歌いたいんだな」って。自分にとって音楽は「辞める・辞めない」じゃなかったんだなと。呼吸と同じで、自分の中に流れているものなんだという感覚がすごくあって、歩いていてもその歩行のリズムが音楽みたいに感じられたり、鼓動とかもそうだし、「音楽を辞める」っていう捉え方自体が間違ってたんだなと気づいたんですよね。でもセッションは楽しくなくなっちゃったし、カバーとかで観てもらえる自信もなかったので、それなら曲を作ってみるかということで、最初に“ネイルの島”という曲を作りました。そしたら意外と反応がよかったという感じですね。
ずっと自分の軸の中に「手放す」とか、「誰かの評価を望まない」というのがある
──“ネイルの島”はシンガーソングライターとしての出発点ですよね。そこで《何者にもならなくていいと知った》と歌っていて、もう「自分をこう見せたい」、「こうありたい」という欲求はなくて。さらささんの歌への思いが純粋に湧き出てくるような楽曲でした。嬉しいです。
──夏の恋を描いた楽曲とも受け取れますが、この曲からすでに「ブルージー」という感覚が宿っているような気がします。そうかもしれないですね。「Live Bluesy」という言葉は音楽活動を再開する前から使っていた言葉で、10代の頃からSNSのプロフィールにも書いていた言葉でした。 “ネイルの島”は、「別に誰からも評価されなくていい」と思っていたタイミングだったのですごく吹っ切れていたし、いい意味で諦めていたというか、そういう歌詞なんです。で、あとから考えると、諦めたり手放してみて初めて、届かなかったところに手が届くものなんだなあみたいなことを感じて。それからずっと自分の軸の中に「手放す」とか、「誰かの評価を望まない」というのがあるように思います。
──振り返れば、セッションでの音楽が楽しめなくなってしまったのも、そこに繋がりますよね。誰かに評価されることが嫌だというより、その評価を自分が求めるようになってしまうことが嫌だったというか。そうだと思います。認めてもらいたいという気持ちがあったんでしょうね。19歳とかだったので、自分が進んでいく道に、何か確証が欲しいタイミングでした。どういうことを生業にしていくのか、それを見つけるために誰かに認めてほしいという思いがあったんだろうなと思います。でもそうやって誰かの評価を求めるのは自分には向いてないと気づいて、それで一度音楽から離れたあとに、“ネイルの島”を作ったことですごくバランスが整っていく感じでした。
──それにしても10代にして「ブルージーに生きろ」というテーマに辿り着くのはすごいです。音楽ジャンルとしてのブルースということではなく、エモーションの表現としてのブルース。さらささんが若くしてその本質に行き着いたということにすごく興味を惹かれました。子供の頃からわりとネガティブな感情のほうが強かった気がします。今はどんどん楽になっていってる感覚があるんですけど、学校にも通いたくなかったし、いろんなことに対してフラストレーションがあって。それで、不登校になって転校もしたけど、転校先でいい先生との出会いがあり、学校に通えるようになって、部活にも入って音楽に出合う。自分のターニングポイントって必ずネガティブなことが付随している気がしていて。自分が「魅力的だな」と思う人も、何かに傷ついてきたことがあって、それに対して目を逸らさずに向き合ってきた人だったりしますし、そこにすごく光を感じる。そんな中で、自分自身を表す言葉を考えたとき「ブルージー」というテーマが出てきて。決して明るいほうとか軽やかなほうではなかったですね。