ステージ上のリラクシンなヴァイブと遊び心は、選曲からもひしひしと伝わってきた。『逆輸入 ~港湾局~』のナンバーを中心にプレイするのかと思いきや、往年のアルバム曲やシングルのカップリング曲、更には東京事変のレパートリーもふんだんに配した、椎名林檎作品を広く見渡すセット・リストなのである。大掛かりな演出もなく、照明も効果的ではあるが光量や動きは控えめで、さらりと披露される驚きの楽曲に酔いしれるばかりの時間が育まれる。それこそ横浜・中区あたりのジャズ・バーにふらっと入ったら、なんかとんでもないバンドが演奏していたみたいな、そういうムードが立ち籠めてゆくのである。マーチというかジンタというか、そんな賑々しいアレンジにアコーディオンの旋律が情感を呼び込む“母国情緒”は、『ドラゴンクエスト』のテーマ曲へと移行して各メンバーのソロが盛り込まれる。めちゃくちゃ楽しい。
つまり、林檎が語ったように「ちょっとした」感を全力で狙っているライヴなのであって、実際にやっていることは全然ちょっとしてないのだ。凄いのだ。スウィンギン・グルーヴが爆走を始める“喧嘩上等”は、ニルヴァーナの“Smells Like Teen Spirit”という林檎のルーツにリレーし、鳥越のボウイング奏法ベースがあわや狂気にタッチしそうになる。かと思えば、佐藤のアコーディオンによる甘いイントロに導かれた“愛妻家の朝食”は温かくオーディエンスを包み込み、林檎自身がアコギを抱えて披露する“とりこし苦労”はレトロなソウル歌謡フレイヴァーがホール内を満たしていった。ニュー・シングル『NIPPON』に収録されている、今回のバンド=八九三のために書き下ろしたというカップリング曲“逆さに数えて”もプレイされる。
『逆輸入 ~港湾局~』収録曲などの提供曲セルフ・カヴァーでは、音源での大友良英ビッグ・バンド・アレンジを5人で華やかに再現してしまうような“主演の女”、栗山千明への提供曲“青春の瞬き”はビットチューン風エレクトロニカの同期を交えてプレイされ、ともさかりえへの提供曲は『逆輸入 ~港湾局~』に収められた“カプチーノ”のみならず、深みのあるアンサンブルで歌のエモーションを増幅させる“少女ロボット”も披露された。林檎が一旦ステージから捌けてお色直しを行っている間に、バンドの4人でインスト曲“望遠鏡の外の景色”を届けてくれるのも嬉しい。ビビッドに跳ね回る林のピアノをここで目一杯堪能し、ステージ全編に渡ってこの凄腕バンドの演奏をタイトかつキャッチーに纏め上げていたみどりんのドラムスは、最高の一語に尽きるものだった。
そして、シャンソンやジプシー・スウィング、ボッサ風ラテン・ジャズに灼熱のサンバ・グルーヴといっためくるめくアレンジの曲調を、ときに愛らしく、ときに優雅に、ときに荒ぶるヴォーカルで乗りこなしていった椎名林檎。今回の公演では、桟橋が揺れやすいことに配慮してオーディエンスが椅子から立ち上がることは禁止されていたのだが、もうそういうプレイなんじゃないかというぐらい堪えるのが大変だ。そこに「東芝EMIガールズにおける私の相方、宇多田ヒカル嬢が、結婚しました。このやり場のない胸の高鳴りを、今ここで共有して頂けませんか?」と投下される“traveling”のカヴァー。林檎一流の祝福に、割れんばかりの大喝采が巻き起こったのは言うまでもないだろう。かつて一夜限りで結成された大型ユニットを振り返り、何より「椎名林檎作品」という切り口で自由に軽やかに、全力で音楽を遊び尽くす一夜。『党大会』のクラッシーなアニヴァーサリー感とはひと味違う、なんとも贅沢で楽しい、記念日ライヴであった。(小池宏和)