「『KYO-MEI』というタイトルを、僕らはずっと掲げてやってきた中で、みなさんも──さまざまなタイミングで集まってくれた人たちが、今日ここに一堂に会して、みんなの命を鳴らして、ともにここまで歩んできた人生を、一緒に祝い合えたらいいなと思っています」……ライブ序盤から熱気と歓喜が渦巻くパシフィコ横浜の客席が、松田晋二(Dr)の決然とした言葉を受けてさらに熱く強く奮い立っていく。ひたむきに己の道を走り続けたロックバンドの金字塔的ライブであるのみならず、今を生きる命すべてを全身全霊傾けた激演で祝福し尽くすような、最高のステージだった。
2024年3月23日、神奈川・パシフィコ横浜 国立大ホール。1998年の結成から25周年のアニバーサリーイヤーとなった2023年を、リアレンジアルバム『REARRANGE THE BACK HORN』のリリースにツアー開催、自身初のBillboard Live公演など祝砲連射状態で謳歌してきたTHE BACK HORN。その締めくくりとして開催されたのが、この日パシフィコ横浜にて開催されたワンマンライブ「THE BACK HORN 25th Anniversary「KYO-MEI SPECIAL LIVE」~共命祝祭~」だ。心震わす音楽を届け続けることを自らの至上命題として掲げ、「KYO-MEI(共命、強命、叫命、響命、叫鳴、共鳴)」の言葉を自分たちのライブ名に冠してきた彼らの姿勢がダイレクトに焼き込まれた公演タイトルである。
開演の瞬間を待ち侘びたオーディエンスの期待感を真っ向から受け止めるように、松田晋二/菅波栄純(G)/山田将司(Vo)/岡峰光舟(B)が悠然と舞台に登場。1曲目、菅波のメランコリックなアルペジオが流れると、客席から驚きと感激の声が漏れる。“冬のミルク”──インディーズ1stミニアルバム『何処へ行く』の収録曲であり、菅波がTHE BACK HORNで初めて作った楽曲を、4人は25周年記念ライブの幕開けに選んだ。そこからメジャー1stシングル曲でもあるアンセム“サニー”をダイナミックに響かせると、客席一面に力強い拳が突き上がり、ライブは一気に狂騒の頂へと昇り詰めていく。さらに“その先へ”。《とりあえず全部ぶっ壊そう 閃いたライブハウスで/世界が動き出した 1998》──赤黒くとぐろを巻くリフにバンドの原風景を重ね合わせた音像が、稀代の名演の予感を「今、ここ」の現実へと塗り替えていく。
「25周年の祝祭でもありますけど、みなさんと出会ったからここにいるという祝祭を、一緒に掲げて、味わって、最高のライブにしていきましょう!」という松田のMCを挟んで、“閉ざされた世界”から“罠”、“シリウス”とアグレッシブなナンバーを立て続けに披露し、高らかなクラップを呼び起こしていく。ここで、ステージ背後の黒幕が開いてスクリーンが登場、バンド初の演出となる映像効果とともに“心臓が止まるまでは”へと突入。細胞レベルの衝動と人間の業や性を、バンド一丸のアンサンブルとミステリアスな映像で貫いてみせるような、スリリングな切迫感が場内に広がっていく。“悪人”では暴力や凶器と胎児のイメージが交錯し、“コワレモノ”では《みんな愛しきこわれもんさ》というリリックそのままに、いびつな4体のモンスターの苦悩を描いていく。歌とサウンド越しに受け取ってきたTHE BACK HORNのイメージが、視覚を通して新たな衝撃と戦慄とともに、頭と心に浮き彫りになった瞬間だった。
“コワレモノ”の途中では「この辺で、コール&レスポンスやってみよう!」という菅波の呼びかけから、歌詞にちなんで《神様だらけの》〜《スナック》の特大コール&レスポンスが飛び交い、「声が出てる! 今年いちばん! ……ちょっとこっちが嗄れてきた(笑)」と思わず菅波がたじろぐ場面も。《新宿あたりで酩酊状態で》の部分が《パシフィコあたりで〜》とアレンジされていて、思わず会場に歓声が巻き起こる。百花繚乱の花の映像をバックに極彩色の混沌が鳴り渡った“舞姫”。菅波の奏でるヘヴィなリフと松田のサブスネアの歪んだ響きが緊迫感を増幅させた“アカイヤミ”……1曲また1曲とTHE BACK HORNの深淵に踏み込んでいくようなひと時が、オーディエンスの没入感を刻一刻と高めていた。
中盤のMCで「最高だなおい!」と会場の熱気をさらに熱く煽っていたのは菅波。「びっくりしたよ、リハの時。『広っ!』って」と会場を見渡して語る菅波に続けて、「横浜といえば……幕末の話になっちゃうよね? アメリカが『この辺、開港しろよ』って言ってきて──」と160年以上前に話を飛ばすのは岡峰。ご当地トーク(?)はさらに「そんなしゃべり方だったのかね? ペルーは」(菅波)、「ペルーは国だよ! ペリーな?」(岡峰)と続き、満場の客席がどっと沸き返る。
その流れで、2006年に横浜赤レンガ倉庫で行ったフリーライブでのエピソード、2011年の東日本大震災のあとで直面したバンド活動での苦悩、つい数年前のコロナ禍の話など、4人はバンドの歩みを改めてしみじみと振り返っていく。菅波の「一歩一歩だよね、俺ら。一足飛びにじゃなくて。一緒に一歩一歩進んできた俺たちとみなさん、ということでいいでしょう?」という言葉に、惜しみない拍手喝采が降り注いでいった。
その直後、山田がアコースティックギターを構えて歌ったのは“Days”。《長い月日重ね 築いてきたもの/どんな宝石よりも素敵な 僕らだけの物語》……ステージ背後には先ほどまでのスクリーンの代わりに、舞台用の鉄骨で組み上げられた円と三角形の「KYO-MEI」シンボルマークが掲げられ、25年の足跡の真価をステージと客席一丸となって噛みしめるような、濃密な時間が広がっていく。
宇多田ヒカルとの共同プロデュースによって生まれた“あなたが待ってる”。THE BACK HORNが手掛けた初の映画主題歌でもある雄大なナンバー“未来”。東日本大震災の直後、「自分たちにできること」を模索して奏でた渾身のバラード“世界中に花束を”……。その音楽に宿る静寂も狂騒も、切実なる生命に繋がるものだけを音楽に昇華してきたからこその、凛とした強さと美しさに貫かれていた。
「10代で組んだバンドが、気づいたらもう40代半ばになるくらいの月日……ずっと一緒だけどね、やってることは。会社だったら……部長? 課長?」と山田が客席に語りかける。「まだまだ未熟なところもあるけど、まっすぐ音楽のほうに向かっていることはね、本当に幸せなことだし。ギリギリな時もいっぱいあるけど、そこをみなさんに支えてもらってきた25年だと思ってます。本当に感謝してます!」……沸き起こる拍手を受けて、終始魂のクライマックス状態だったライブは“涙がこぼれたら”から“Running Away”、さらに“希望を鳴らせ”と終盤に向けてなおも熱量を増し、客席の歌声のボルテージも天井知らずに上昇していく。
“コバルトブルー”では山田/菅波/岡峰の3人がステージ前面に進み出てシンガロングを煽ると、パシフィコ横浜は割れんばかりの大合唱で満ちあふれ、菅波が歓喜のあまり両腕を突き上げてみせる。本編の最後、銀テープのキャノン砲とともに鳴り渡ったのは“太陽の花”。《暗闇さえ紅く染める/命は燃え上がる太陽だ》……客席を埋め尽くした拳と歌声が、最高の一夜を熱く彩っていた。
アンコールでは松田から、7月に東京・大阪・広島・愛知のCLUB QUATTROを回る「KYO-MEI対バンツアー」を、さらに7月28日には東京・日比谷公園大音楽堂で「「KYO-MEIワンマンライブ」~第五回夕焼け目撃者~」を開催することが発表されると、むせ返るほどの会場の熱気がなおも高まりを見せていく。
現時点での最新楽曲“最後に残るもの”、インディーズ2ndアルバム『甦る陽』からの“泣いている人”をじっくりと聴かせたところで、山田の「今日という日を特別なものにしたいという想いが強すぎたのか……新曲を作りました、今日この日だけのために」という言葉とともに、新曲を披露。苦悶と葛藤の中で懸命に生きる「あなた」に照準を合わせて歌を紡いできたTHE BACK HORNの存在証明そのもののような、ハードエッジな質感と躍動感に満ちた名曲だった。最後はキラーナンバー“刃”で圧巻の大団円! 地鳴りの如き大合唱が、バンドとオーディエンスの絆を物語るように壮大に響いていた。
「1998年に結成して25年、THE BACK HORNは歩んでこられました。ここからまた、新たな旅立ちが始まっていきます」(松田)、「きっと26年目も──30年も、35年も、こんな感じで活動していくと思いますので。これからも、こんな感じのTHE BACK HORNをよろしくお願いします」(山田)……長い道程を経た「その先」について、ライブ中にメンバーは決して焦らず気負わず、しかし着実な進化への希求を口にしていた。闘いと祝福が途方もないスケールで同居する、無上のロック祝祭空間だった。(高橋智樹)
●セットリスト
THE BACK HORN 25th Anniversary「KYO-MEI SPECIAL LIVE」~共命祝祭~
2024.3.23 パシフィコ横浜 国立大ホール
01.冬のミルク
02.サニー
03.その先へ
04.閉ざされた世界
05.罠
06.シリウス
07.心臓が止まるまでは
08.悪人
09.コワレモノ
10.舞姫
11.アカイヤミ
12.Days
13.あなたが待ってる
14.未来
15.世界中に花束を
16.涙がこぼれたら
17.Running Away
18.希望を鳴らせ
19.コバルトブルー
20.太陽の花
Encore
21.最後に残るもの
22.泣いている人
23.新曲
24.刃
提供:SPEEDSTAR RECORDS
企画・制作:ROCKIN'ON JAPAN編集部