そもそも、なぜ氣志團は今まで対バンGIGを行ってこなかったのか。それは彼らのライブを観れば言うまでもないことだが、敢えて言うならば、バンド同士の相乗効果を狙うよりも、映像やダンサーやコントやソロ・パートを駆使して未曾有のロックンロール・ショーを実現させようとする意識のほうが勝っていたからだ。その結果、過剰なほどにネタを盛り込んだライブが、ときに4時間を越える長丁場になってしまうこともあった、という尺的な理由もあるだろう。それが大きく変わったのは、約3年間の活動休止期間を経て行われた2009年の全国ツアー。メンバー6人だけでステージに立ち、ひたすら曲を連打していくという驚くほどシンプルなライブをすることで、彼らは圧倒的なエンタテインメント性の陰に隠れて見えにくくなっていた「ソリッドなロックバンド」としての真価を証明してみせた。そして復活後初のアルバム『木更津グラフィティ』とその全国ツアーでは、先のツアーで手に入れたストイックなエナジーとエンタテイナーとしてのアイデアが見事に結実した最高のライブを見せつけてくれた。
いわば今夜のライブは、そのさらなる進化形。ライブバンドとしてもエンタテイナーとしても揺るぎない強さを身につけたことで、「対マン張っても大丈夫」なバンドになったばかりか、「その対マン相手のアクトすら自らのショウの渦中に巻き込んでしまおう」とでも言うような、貪欲な空気が首尾一貫して流れていたのだ。
おそらく対バン相手ごとに内容を大きく変えているだろう、オープニングと転換時の演出。さらに「とある曲」で繰り広げられる仰天のパフォーマンス。そしてキッスィーズのみならずマリーズメイニアをも爆笑の渦に陥れる翔やんの抱腹絶倒MC。そのどれもが、O-EASTというハコのスケールを完全に超越したダイナミックなものだったし、なにしろ1曲1曲のパフォーマンスが本当に素晴らしかった。冒頭の“房総スカイライン・ファントム”から一糸乱れぬダンスを繰り広げる翔やん&光のキレキレっぷり。西園寺瞳、星グランマニエ、白鳥松竹梅がステージ前方横一列に構えてギターとベースを弾き鳴らした“愛 羅 武 勇”の壮観さ。ダンサーとともに鮮やかなパフォーマンスで幕を明けた“愛してナイト!”の眩さ。そして最早名人芸に達してると言ってもいい、“One Night Carnival”の翔やんのアジテートっぷりとフロアの狂騒感――。そのすべてがシャープに研ぎ澄まされていて、ものすごくカッコよく決まっていた。氣志團の粋を極めた快心のアクトであったとともに、転換時の演出や曲間の翔やんのMCには対バン=毛皮のマリーズへのリスペクトや配慮も見え隠れしていて、「こういう対バンのやり方もあるのか」という気づきもあった。つまりライブバンドとしてもパフォーマーとしてもイベントのホスト役としても、今夜の氣志團は最高だったというわけだ。
「メジャー10周年ということで、年間30本以上の対バンGIGをこうしてやらせてもらうことになりました。思えば俺たちはずっとこうして多くのロックバンドとしのぎを削ってきました。でも今までなかなか対バンのチャンスに恵まれなくて。今回何がやりたかったかっていうと、本物のロックを目の前で見たいと思ったし、そんな本物のロックバンドの前で今の俺たちに一体なにができるのか、彼らとマブダチになれるような最高のステージができるのか、それを試したかった。それができなかったら俺たちがいる必要はないと思ったし、実は10周年で一発どデカいことをブチ上げることも考えたけど、そうじゃない。今の俺たちが本当にやらなきゃいけないことはこれなんだって、すごく意義をもってこのイベントを開催しています」
“愛 羅 武 勇”の前に翔やんがひときわシリアスに語った言葉。これがすべてを物語っていたのでもう何も言うことはないのだけど、こうして10年目以降のスト--リーも力強く紡いでいこうとする彼らの明確な意志と信念が明かされると、やはり胸の高鳴りを抑えられなくなってしまう。
なお、今夜のライブで感じたのは「氣志團と毛皮のマリーズっていろんな部分で似ているなあ」ということ。音楽性やパフォーマンスのタイプは大きく違っているけれど、シンプルなロックンロールと「愛」に特化したシンプルなメッセージを土台としながら、独自のギミックを加えてゴージャスに解き放つといったスタンスにおいては、大きな共通点があると思った。翔やんと志磨という、強烈なキャラのフロントマンがいる、ということも含めて。