ブラック・リップス&ヴィヴィアン・ガールズ @ 下北沢ERA

全USインディ・ファン必見の神ツアーと呼ぶに相応しい超「IT」なカップリングで現在日本を回っているのが、このブラック・リップスとヴィヴィアン・ガールズである。

なにしろ、MGMT以降のUSインディにおけるポップとサイケ、そしてガレージ・パンクの相関関係を知る上でも絶対観ておかなければいけないバンドのジョイントなのである。ブルックリン出身のアーティ&キュートな知性派女子3人組=ヴィヴィアン・ガールズと、アトランタ出身のぐだゆる&レイジーな暴れ馬系男子4人組=ブラック・リップスという対比も愛せるし、両バンド共に新作をリリースした直後の来日になるというタイミングも素晴らしかった。そんなこんなで渋谷WWWでの東京公演は速攻でソールドアウトしたため、急遽組まれた追加公演がこの日の下北沢ERAだった。

先攻を決めたのはヴィヴィアン・ガールズ。新作『Share The Joy』のナンバーを随所で披露していくそのパフォーマンスは、はっきり言って過去の彼女達のそれと比較するとバラエティが雲泥の差だった。ストイックかつぶっきらぼうな「縦」の躍動のみでアートのコンセプトのようなパンクを鳴らしていたのがかつての彼女達だとしたら、そこに「横」の遠心力を加え、緩やかなグルーヴが生まれ、まるで50年代のフィル・スペクターみたいなメロディまで搭載して楕円を描いていくのが今の彼女達である。うーんこれは楽しい!でもって新ドラマーのフィオナ・キャンベルの起用が大正解。彼女の骨太なリズムのフォローなくしてヴィヴィアン・ガールズの今回のバラエティは不可能だったはずだ。

ライオット・ガールズの昔から受け継がれた「怒り」というよりも「機嫌が悪い」と呼んだほうがニュアンス的にしっくりくるようなガールズ・パンクのマナー、マイナーコードで憂鬱を切り刻んでいくムード、そして重たい眉前バングスも鉄板なガーリー、といった記号先行で語られることも多かった彼女達だが、この日のパフォーマンスは彼女達のその先を指し示すものではなかったか。語弊を恐れずに言うならば、ヴィヴィアン・ガールズが十年後二十年後に「ガールズ」じゃなくなってもなお訴求力を持ち続けるだろう、音楽そのものの強化を感じることができたのだ。

そう、ヴィヴィアン・ガールズのステージも本当に素晴らしかったのだが、この日の個人的クライマックスとなったのはブラック・リップスだった。最新作『ARABAMA MOUNTAIN』ではプロデューサーにバンドイメージの真逆を行くマーク・ロンソンを招聘するという驚きの人事があったものの、蓋を開けてみればその新作でも全く変わらず凶暴なまでにサンシャインでアッパーなサイケデリック・パンクを鳴らしていた彼ら。このバンドの音楽には「方向性」だとか「コンセプト」といった理知的な括りでは到底コントロールが効かない本能が宿っているのが魅力だ。

きっちりハイ・センスできっちり可愛らしいヴィヴィアン・ガールズの3人が降りたステージに、適当なヒゲ面に適当な服をまとったブラック・リップスの4人が登場すると、もうそれだけで辺りの空気が緩く溶け出していくような気分になる。そう、あくまでも緩く、ピースフルで、何ひとつ強迫観念的な主義や主張があるわけでもないのに、そうであってもこのバンドの音はいちいち確信に満ちているのが面白い。

ロカビリー、サーフ・ロック、エクスペリメンタル、サイケデリック、ブルーズ、そしてガレージ。ブラック・リップスは、ロックンロールのゴールデン・エイジたる50~60年代に対するオマージュをベースとしたバンドである。この日のショウでも、1曲毎にこれらのジャンルを大胆にミックスしたり、かと思えば単体で強調したりと、無邪気なオマージュを繰り返していた。ただし、なんて言うんだろう、例えば彼らとの類似で語られることが多い同時代のネオ・サーフ・バンド達が、50~60年代に対するオマージュを文字通り「夢」のように、過ぎ去りし過去への憧れと共に鳴らしているのに対して、ブラック・リップスはまるで自分達こそが「当事者」のようにヌケヌケと、醒めた頭でそれを鳴らすのが新しいのだ。

時代錯誤であること、時代性に対する慎重さや躊躇がもしも彼らに少しでもあったとしたら、“Drugs”や“Katrina”のような底抜けのクラシック・ソングは生まれなかったはずだ。クライマックスの“Bad Kids”では、下北沢ERAの狭いフロアでぎゅうぎゅう詰めになっていたオーディエンスがさらにぐちゃぐちゃのマッシュポテト状態になる。でもみんな笑顔だ。

鬼のような加減を知らないリバーブも、開放的に突き抜けたユニゾンも、テケテケテケテケ!とサーフお約束の弾丸リフを嬉しそうに繰り出す様も、そのどれもがド直球でド本気。「ロックンロールは死んだ」ことを前提に紡がれてきたUSオルタナティヴの正史をスルーして、ただ今この瞬間のリアリティを掴もうとするバンドがブラック・リップスだった。

トム・ヨークからディアハンターのブラッドフォードまで、ブラック・リップスを熱烈に愛するミュージシャンは多いけれど、トムやブラッドフォードのような理知的な人達は、むしろこのバンドの図々しいまでのロックンロール天然記念物的っぷりに自分達とは対極にあるもうひとつの理想を見出しているのかもしれない。そんなことを思った一夜だった。(粉川しの)
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