BRAHMAN @ ZEPP TOKYO

9月7日に出たニュー・シングル『霹靂』のリリース・ツアーの2本目、ZEPP TOKYO。ゲスト・バンドはSLANG(「ハードコアどまんなか」「これぞハードコア」な、ものすごいテンションのステージでした。かっこええ)。このツアー、各地であと9本あり、ファイナルはCUBSIMO GRAFICO FIVE・Ken Yokoyama・難波章浩などをゲストに迎えて行われる、11月19日幕張メッセ。
というわけで、ネタバレになるので、詳しいセットリストとか演出とかは書けませんが、まあ、基本的に、最近のBRAHMANの王道スタイルのライヴです。“霹靂”は当然やる、あとは歴代の代表曲たちがずらっと並ぶ、それらがまるでメドレーみたいに隙間なしにばんばんプレイされていく、という、これくらいは書いてもいいですよね。震災以降、TOSHI-LOWが、それまで一切やらなかったMCをやるようになったこと、そのMCが言葉のセンスがものすごく優れていること、しかし言いたいことを真摯に伝えるだけじゃなくて笑いも混ぜること、そしてこれまたその笑いもめちゃめちゃセンスいいこと、くらいも、書いてもいいと思う。

というふうに、震災以降、わかりやすくライヴのやりかたが変わったBRAHMANだが、そういう具体的なところじゃない部分が、それ以上に、本当に大きく変わったと思う。昨日ジャパン編集部ブログで古河も書いていたが、メンバーそれぞれが出している音と歌、グルーヴ、そこから立ち上る世界観や物語性などなどが、もう、圧倒的に違うのだ。ものすごいことになっている。じゃあ前はものすごくなかったのか、って話になるが、いや、前からもう国内トップクラスのすごさなんだけど、それがさらに、段違いにどえらいレベルに跳ね上がった。さっき「グルーヴ」と書いたが、それ以前にもう楽器の鳴り方からして違う。あのー、ドラムって、こんな音が出る楽器でしたっけ? しかも叩いてるあなた、RONZIさん、別にバケモンみたいな体格じゃないですよね。小柄ですよね、どっちかというと。というようなすごさなのです。TOSHI-LOWだけじゃなく、4人とも。

とか書いても、今いちわかりにくい気がするので、では、それを観たこっちが、前と今ではどう違うかについてを書きます。
僕は、総合格闘技やプロレスは好きなんだけど、ボクシングはあまり見ない。ボクシングは、スポーツだからだ。総合やプロレスには熱中できるけど、ボクシングは見ていられなくなる。痛すぎて。自分と同じ生身の人間がやっている感じが強すぎて。つまり、総合やプロレスだと、やっているあの人たち、俺とは違う、超人とかモンスターとかバケモンとかの範疇に入る存在だ、と自分が認識しているから、安心して熱中できるんだと思う。というふうに考えた末、「じゃあ俺は総合とプロレスはあり、ボクシングはなし」と決めたんじゃなくて、「なんで俺は総合やプロレスは好きなのにボクシングは見ていられないんだろう?」と考えた結果、そういう答えになりました。
っていうところでいうと、以前のBRAHMANのすごさは、総合・プロレス方面だった。超人だしバケモノなので、圧倒されたりびびったりしながらも、「すげー」とか言って楽しむことができた。しかし、ステージの上で起こしていることは、以前にも増して超人レベルなのに、それをボクサーのような生身の人間がやっているのが、今のBRAHMANなのだ。TOSHI-LOWがもしこれを読んだら「はあ? 何言ってんの」とか言われそうだが、それが今の僕の実感の、正直なところです。
たとえば、先に書いたように、実はシリアスな話をする時の言葉選びのセンスがやたら優れているとか、でも人を笑わせるのも実は得意とか、そういうTOSHI-LOWって、以前は、少なくともBRAHMANのステージにおいては、出していなかった。おもしろいことはBRAHMANでじゃなくて人のライヴに乱入した時にやるとか、笑えることはOVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUNDのMCでマーティンに言わせるとか、そういうふうに分かれていたのが、今は全部一緒になっている。というようなこともあって、僕はそう感じているのかもしれないが、それだけじゃないと思う。歌そのものが、音そのものが、パフォーマンスそのものが、さらに超人的になると同時に、より生身なものになっていると思う。

そして。ステージの上のパフォーマーが、超人じゃなくて生身の人間になると、前はある意味「他人事」として楽しんでいたそのパフォーマンスが、「自分のこと」として、そのまま自分に跳ね返ってくることになるのだ。ライヴを見れば見るほど、曲が1曲1曲進めば進むほど、「で、おまえはどうするんだ?」と問われている、そういう気持ちになっていく。「気持ちになっていく」じゃないな。問われている、ずっと。
あ、BRAHMANや、この日のゲストのSLANGは、東北への支援活動を熱心に続けている、なのにおまえは何にもしなくていいのか? みたいな話ではないです。それも感じないことはないが、もっと根源的なことだ。自分はこう考えて、こう行動して、こう生きている。自分も、周囲も、もっとよくなることを目指して、それを極限までやっている。いや、極限までできているかどうかは自信がないが、少なくとも、命を賭するくらいの覚悟でもって、それを目指している。おまえはどうするんだ? ということだ。
ゆえに、今のBRAHMANのライヴに向き合うと、今の自分の生活や行動や思考が、妥協、怠惰、保留、思考停止、それらの集積でしかないことに気づかされる。普段ほったらかしているその事実と、向き合わざるをえなくなってしまう。だから、混乱するし、動揺するし、途方に暮れる。
言うまでもなく、それ、気分のいいことではない。だから、正直、ここ最近は、BRAHMANのライヴを見るたびに「次はもう見たくない」とすら思うようになった。この日も、先月も、先々月もそうだった。でも見てしまう。来月のメッセも、正直、見るのが怖いが、間違いなく行くと思う。というか、行かずにはいられないと思う。

あともうひとつ、最近、BRAHMANのライヴを見たくなくなっている理由がある。自分の好みの音楽性であるとか、自分の趣味に合うジャンルであるとか、そういう点において、僕には、BRAHMANよりも好きなバンド、いっぱいいる。本人たちと親しいとか、付き合いが長いとか、こっちのファン歴が長いとか、そういう意味でBRAHMANよりも近しいバンドも、いくつもある。しかし、ライヴ・バンドとして、その全員がBRAHMANに負けていることを、見るたびに痛感するからだ。好みとか好みじゃないとか、そんなのをはるかに超えた次元で、もうあまりにも圧倒的すぎて、敗北を認めざるをえない。
圧倒的1位。絶対王者。それが今のBRAHMANのライヴだと思う。(兵庫慎司)
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする