これまでのオマー・ロドリゲス・ロペス・グループはメンバーが流動的で、日本でのステージにおいてもその都度、編成と音楽性の異なるパフォーマンスを見せて来たわけだが、今回のステージではオマーが誇らしげにボスニアン・レインボウズのバンド名を紹介し、来年にはアルバムを発表するよ、と宣言していたこともあって、オマー自身が新バンドのケミストリーについて非常に大きな手応えと可能性を感じていることが見て取れた。そもそも彼はロック・バンドに対してクールなスタンスを取るところがあるというか、裏を返せばロック・バンドのケミストリーに寄せる期待が人一倍強いということでもあると思うのだが、アット・ザ・ドライヴ‐インの再結成パフォーマンスさえもさらりとこなしてしまったところがある。それだけに、きっちりと新しいバンド名まで付与されたボスニアン・レインボウズの始動は、かつてのアット・ザ・ドライヴ‐インやマーズ・ヴォルタ始動時の強いテンションを期待させるものだと思う。
で、このテリーというヴォーカリストがとにかく目を引く。前衛舞踏と呼ぶには余りにもギクシャクとぎこちないが、ときにユーモラスで印象的な身振りを交えながら歌い、遂には自らの黒髪をひと掴み、切り落としてしまったりする。オマー・ロドリゲス・ロペス・グループには以前にも女性のリード・ヴォーカリストが在籍していたことがあって(2010年のMETAMORPHOSE出演時はそうだった)、オマーが一歩引いた位置に立つというスタイルはそのときと同様だが、テリーは歌声もさることながらそのアクティヴなパフォーマンスゆえに、バンドのアイコンとしての役割が大きい。楽曲を終えるたびに、人が変わったように表情を綻ばせて「アリガトー」と告げる姿もチャーミングだった。
複雑に入り組んだ構成の楽曲群にテリーのエモーションが筋を通し、オマーはサウスポーのギターを弾きまくるわけではないものの、要所要所に効果的なインプロを加えてゆく。エレクトロニックな要素については、オマーのソロ名義作である2012年の3枚のアルバム(『Un Corazón de Nadie』、『Saber, Querer, Osar y Callar』、『Octopus Kool Aid』)に見られたダブステップ/エレクトロニカ/ダウンテンポからの影響を感じさせるものの、ディーントニが左手で鋭利なスネアを刻みながら右手の鍵盤でシンセ・ベースのフレーズを繰り出す場面があるなど、ボスニアン・レインボウズがソリッドかつスリリングなバンド・サウンドを鳴らしていることは間違いない。少人数の編成で最大の効果を生み出す、そんなパフォーマンスだ。
オマーは、その変態的なロックの興奮とは裏腹に思えるかも知れないが、ロックへのクールな批評精神によって、レフトフィールドな多ジャンルからの信頼も勝ち得て来たアーティストだ。現代的なロックとはどのような形であるかを吟味し、新しいジャンルにスポイルされない、ロックの延命方法を開拓し続けている。まるで優れた外科医のように、正しくメスをふるい、正しい処置を施す。だから、ロック・バンド幻想に対しては一貫して醒めている。個性と才能と探究心を有り余るほど持っているのに、パーマネントなバンドのロック・スターの座に収まることもない。21世紀のロック・シーンにおいて、いかにもロック・スターらしいアーティストがなかなか見つからないのは、オマーのように優れたアーティストほど、ロックのスター・システムに対して大なり小なりの慎重なスタンスを取っているからではないだろうか。優等生的といってもいい。