コリィ・テイラー、スリップノットのマスクや被りものに込められた哲学を語る

コリィ・テイラー、スリップノットのマスクや被りものに込められた哲学を語る

先月ノットフェス・ジャパン2014を成功裏に終えたスリップノットだが、コリィ・テイラーはマスクや被りものなしでスリップノットとして演奏することはないだろうと語っている。

カナダのラジオ局97.7HTZ-FMの取材を受けたコリィは被りものなしのスリップノットはありえるのかという問いに次のように答えている。

「まあ、ある意味ありえるとは思うけど、俺たちとしてはやりたくないなっていうのが正解かな。たとえば、俺なんかよくキッスが80年代にメイクをやめた頃のことを思い出すし、なぜわざわざそんなことをやったのかもわかるんだよ。それは壁にぶち当たったからで、進化しなきゃならなかったからなんだよね。でも、俺たちの場合には、まずマスクや被りもの自体が進化してるわけだし、俺たちのルックスも進化してるし、俺たちが常に変化していられるおかげで、被りものを取る必要も感じない。それは俺たちが時代とともに動いてて、アルバムごとに自分たちも変化してるからなんだよ。だから、(被りものなしでは)やれるとは思うけど、やろうとは思わないだろうね。っていうのは、被りものだけじゃなくて、すべての問題に繋がってくるからなんだよ」

「たとえば、エンジンについて考えても、エンジンってキャブレターだけの話じゃないし、かといって燃料噴出器だけの話でもないし、なにも吸入する装置だけがエンジンの話じゃないんだよね。むしろ、ひとつひとつの部品がすべてうまく作動することによってエンジンは初めて動くわけだからさ。このバンドもそういうものなんだよ。被りものとか衣裳とか、カバーオールがどうかってことだけじゃなくて、このバンドの持つ狂気もそうだし、音楽もアートワークもすべての要素がしっかり揃ってないとだめなわけで、スリップノットっていうのはそういうバンドなんだよ。だから、これは『スリップノットって、ああいう音楽をやらなかったらスリップノットたりえると思う?』って訊いてるようなもんなんだよ。もちろん、それじゃまったくありえないんだ。被りものと同様、音楽もそれだけに必須な要素なんだよ」

さらにマスクや被りものはなにを体現しているのかという問いにコリィは次のように答えている。

「間違いなくあるなにかであって、つまり、みんなが俺たちのことを考える時、被りもののことを連想すると思うんだけど、でも、それと同時にいろんな意味で、みんながスリップノットについて考える時、音楽についても考えるはずで、そういうものを目指してるんだよね」

「俺がバンドに入った時、俺としては被りものがなにを象徴しているのかよくわからなかったんだ。でも、すごくよかったのは、誰にもなにも教えてもらわなかったことで自分なりに考えていかなきゃならなかったってことなんだよ。このバンドに入りたかったのもそもそもそういうことで、つまり俺は本当にファンだったし、たとえすごくローカルなレベルであったとしても、俺はこのバンドの猛烈なファンだったんだ。だから、誰とも特に話し合うこともなく、被りものはメンバー全員それぞれにとって意味合いが違っていて、だからこそうまくいくんじゃないかと俺は考えたんだ。全員が別に同じ価値観を共有する必要もないっていうね」

「で、俺、特に俺個人にとっては被りものは自分の声を持っているのかどうかわからない、内面の人格を象徴しているんだ。そういう存在に声を与えると問題になることもあるから人によってはそうするだけの勇気があったりなかったりするもんだと思うし、場合によっては存在として暗過ぎたり、あるいは目障り過ぎたりするかもしれない。でも、こういう存在に声を与えないと、自分の内面の中で権利を剥奪された存在になってしまって、いつも見過されて、意見や感じていることを言えない存在になってしまって、常に抑圧されて、それが一気に噴き出して自分のほかの部分をすべて支配してしまったりするんだよ。だから、俺にとってはそういう存在になったわけで、今でも被りものはそういう意味合いを持ってるんだ」

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