U2のツアー・マネージャーのデニス・シーハンがツアー中に心臓発作で他界

U2のツアー・マネージャーのデニス・シーハンがツアー中に心臓発作で他界

U2のツアー・マネージャーを長く務めてきたデニス・シーハンが5月26日にU2のツアー先のロサンゼルスで他界した。死因は心臓発作で享年68だった。バンドは5月26日からロサンゼルスのフォーラムで5公演を予定していた。

ボノは声明で次のようにデニスの死を悼んでいる。

「俺たちは家族の一員を失ったし、まだ受け止めきれていないんだ。デニスは音楽業界における伝説的な存在だっただけでなく、このバンドにおける伝説的な存在だったんだ。デニスに取って代われる人などもういないんだよ」

また、U2のマネジメントとツアーを手がけているライヴ・ネイションの世界ツアー部門の長のアーサー・フォーゲルは「わたしたち全員にとって親愛な友人だった」とデニスを偲び、「素敵なご家族のみなさんにお悔やみ申し上げます」と追悼している。

デニスはレッド・ツェッペリンの1975年や77年のツアーに加わっていて、ほかにイギー・ポップ、パティ・スミス、ルー・リード、スージー・アンド・ザ・バンシーズやセックス・ピストルズのメンバーらのツアーも手がけてきたことで知られていると興行業界情報サイトのプロジェクション・ライティング・アンド・ステージ・ニュースが伝えている。

デニスはイギリスのウルヴァーハンプトンで生まれ、家族の出身地であるアイルランドでも過ごしながら育ち、若いうちからミュージシャンとしてヨーロッパをツアーしていたが、19歳の時にジャマイカ出身のジミー・ジェイムス・アンド・ザ・ヴァガボンズのツアー・マネージメントを初めて手がけることになった。その後、レッド・ツェッペリンのマネージャーのピーター・グラントが手がけていたカートゥーンのツアーを任され、それからはレッド・ツェッペリンやパティ・スミスのツアーに声がかかるようになったという。

U2との縁は1982年にバンドの前マネージャーのポール・マッギネスがツアー・マネージャーを探している時にデニスの名前が候補として挙がったことで、すぐにバンドとも打ち解けて、U2にとってツアー・マネージャーを真っ先に頼む人物となった。その後、デニスはツアー以外でもバンドのメンバーと行動を共にするようになり、ボノのアフリカ旅行、ジ・エッジのニューオーリンズ滞在、バンドのアメリカ議会への訪問などの行程も手配するようになった。また、1999年の大晦日にホワイトハウスで開催されたアメリカズ・ミレニアム・ガラでボノが"ワン"のパフォーマンスを披露した際にもボノに付き添っていたという。デニスは1984年にU2のファンジンであるU2マガジンに次のように語っていた。

「U2にはなにか極端に特別なものが備わっているんだよ。それはみんなの社会生活においてもそうだし、みんなは本当にかなり変わっているんだよ。あるいは仕事での生活でも相当に際立っているし、みんなは常に最高のものに向かって突き進んでいて、おかげで一緒に働いている人間もまた自分たちの最高のものを提供することになるんだよ」
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