マリリン・マンソン、コロンバイン高校銃乱射事件ではキャリアが完全に終わったと語る

マリリン・マンソン、コロンバイン高校銃乱射事件ではキャリアが完全に終わったと語る

7月からスマッシング・パンプキンズとのダブル・ヘッドライナー・ツアーに乗り出し、その後はサマーソニックにも出演するマリリン・マンソンだが、1999年に起きたコロンバイン高校銃乱射事件で自分のキャリアはいったん完全に終わらされたと語っている。

マリリンは1998年に『メカニカル・アニマルズ』をリリースし、1999年からロック・イズ・デッド・ツアーに乗り出すことになったが、その途上でコロラド州でコロンバイン高校銃乱射事件が勃発。すると、一部の議員からこうした学校での殺害事件や若者に蔓延する暴力や薬物使用の背景にはマリリン・マンソンなどのアーティストからの影響が大きく作用しているという声が上がり、過熱した報道の中で、やがては乱射事件の主犯二人がマリリン・マンソンのファンだったとまで報じられることになったが、その後、実際にはそうではなかったことが判明している。事件後の混乱の渦中、ツアーをすべて中止する事態に追い込まれたマリリンだが、先頃フランスのカンヌで開催された広告業界のイヴェントでメディアと名声についての講演を行い、この時のことを次のように振り返っている。

「もうね、マリリン・マンソンという名前の起源にまで遡るようなことでもあるんだよね。つまり、殺人者になることで、映画スターと同じような有名人になれるんだっていう。また、コロンバイン事件とも繋がってくる問題でもあるんだ。たくさんの人たちはわかってないと思うけど、コロンバイン事件が起きた後、ぼくのキャリアは完全に終わらされてしまって、カジノとか、賭博施設でさえ、ぼくのライヴを断ってくるようになってしまったくらいだったんだ。そこまで追い込まれることになったのに、不思議なことに、ぼくはこの事件についてなにも関与してもいなければ、この犯人の連中はぼくのファンでさえなかったんだ。それでも、ぼくはこの時の報道を生放送でテレビでじっくり観させてもらったよ。最初の頃、テレビでは主犯の連中がマリリン・マンソンのメイクを施してマリリン・マンソンのTシャツを着ていたと報道していたんだけど、その後、そんなことはなかったとわかったんだよ。でも、いったんそうやって回り始めてしまうと、もうフォックス・ニュースとか止めようのない勢いになるわけだよね」

「また、たくさんの人たちが知らないのは、ぼくがある程度お金を稼ぐようになってまずなににお金を使ったかというと、マリリン・マンソンという名前を登録商標化したということなんだ。ウォルト・ディズニーとかミッキー・マウスと同じようにね。だから、これはただの芸名じゃないし、かといって、ぼくの個人名でもない。マリリン・マンソンというのはブライアン・ワーナーが所有する名前なんだよ。ちなみにブライアン・ワーナーっていうのはぼくの本名なんだけどね。そこでぼくはこうした不当な報道のすべてに対して、撤回に応じなければ法的手段に訴えるという書状を送りつけていったんだ。さらにコロンバインについてのインタヴューには一切応じなかった。なぜかというと、なんの足しにもならないどころか、犯人のやつらの思うつぼになってしまうだけだったからね。実際にはわからないけど、ぼくたちもなにが起きたのかさんざん見てきたし、それでわかるのは、こいつらはたくさんの人たちを殺した頭のおかしいやつらだっていうことなんだ。だけど、ああいう犯罪を犯したおかげで、こいつらはタイム誌の表紙を飾ることになったんだよ。ぼくだってタイム誌の表紙にはまだしてもらったことがないし、そこが一番肝腎なところなんだよ。だから、ぼくは『あんたたちは実はあいつらが望んだことをすべて提供しているんだ』と言ったんだよ。マリリン・モンローがライフ誌の表紙を飾ったように、殺人鬼のチャールズ・マンソンがやっぱりライフ誌の表紙になったのとまったく同じようにね。リー・ハーヴェイ・オズワルド(ケネディ大統領の狙撃犯)だってそういうことだよ」
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