デヴィッド・ボウイが『ザ・ネクスト・デイ』と『★』を制作した名物スタジオが閉鎖に

  • デヴィッド・ボウイが『ザ・ネクスト・デイ』と『★』を制作した名物スタジオが閉鎖に - pic by Jimmy King

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  • デヴィッド・ボウイが『ザ・ネクスト・デイ』と『★』を制作した名物スタジオが閉鎖に - デヴィッド・ボウイ 2016年作『★』(ブラックスター)

    デヴィッド・ボウイ 2016年作『★』(ブラックスター)

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  • デヴィッド・ボウイが『ザ・ネクスト・デイ』と『★』を制作した名物スタジオが閉鎖に - デヴィッド・ボウイ 2016年作『★』(ブラックスター)

デヴィッド・ボウイが『ザ・ネクスト・デイ』と『★』(ブラックスター)を制作した、ニューヨークの知る人ぞ知るスタジオが閉鎖に追い込まれることが明らかになっている。

スタジオはマンハッタンのソーホーにあるザ・マジック・ショップというスタジオで、80年代末に営業を開始したが、スタジオを立ち上げた当初はニューヨークが凶悪犯罪にまみれていて特にこの一帯は危険な地域であったため、敬遠されることがほとんどだったとか。また、ニーヴ社のコンソールなど70年代のヴィンテージ機材を揃えていたため、当時の流行のデジタル・サウンドに乗っかりたかったアーティストからはただ煙たがられるスタジオだったという。

しかし、ブルース・アーティストのチャールズ・ブラウンがドクター・ジョンらの客演を得た1990年の『All My Life』をこのスタジオで制作したことから、独特の奥行きを感じさせるそのサウンドが口コミで伝わって、その後、ルー・リードが『マジック・アンド・ロス』、スザンヌ・ヴェガが『微熱』、ラモーンズが『モンド・ビザーロ』、ソニック・ユースが『ダーティ』をこのスタジオで制作することになり、その名が知れわたるようになった。そしてデヴィッドが生涯最後の2作をこのスタジオで制作することにもなったわけだが、たとえば、『ザ・ネクスト・デイ』についてはスタジオが80日間完全に貸切となり、スタッフも全員箝口令に同意する契約書に署名させられることになったという。オーナーのスティーヴ・ローゼンタールは次のように振り返っている。

「『ザ・ネクスト・デイ』の時には何度もスタジオに行ってプロデューサーのトニー・ヴィスコンティと顔を合わせて『どんな感じ?』って訊いても、『どうなんだろうねえ?』っていわれることばっかりでね。ぼくたちだけが知ってて、誰も知ることのなかった秘密として終わる可能性もかなり高かったんだよね」

また、『★』についても厳しい箝口令が敷かれたというが、この作品についてローゼンタールは次のように語っている。

「リリースされた日に手に入れて聴いてて本当にすごいなと思ったんだけれども、すごくダークでやっぱりよくわかってなかったんだよね。でも、訃報を聞いてこの作品のなんたるかがわかったし、彼がここでなにを伝えたかったのか本当にはっきりしたんだよ」

しかし、スタジオの経営はニューヨークの地価の高騰により行きづまり、デイヴ・グロールの援助を得てスタジオの入っている建物そのものを買い取ってしまうという試みもしたものの、結局、競り負けて現在の一角では廃業するしかなくなってしまったという。いずれまたニューヨークのマンハッタン区かブルックリン区のどこかで営業を再開したいというが、適当な建物や物件はまだみつかっていないという。
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