ア・トライブ・コールド・クエスト、糖尿病の合併症で他界したファイフ・ドーグを追悼

ア・トライブ・コールド・クエスト、糖尿病の合併症で他界したファイフ・ドーグを追悼

ア・トライブ・コールド・クエストのファイフ・ドーグが3月22日に糖尿病による合併症のため他界した。享年45だった。本名をマリク・テイラーといったファイフの遺族は、次のような声明を発表している。

「とても残念ですが、マリク・テイラーが3月22日火曜日に糖尿病による合併症のため息を引き取りましたことをお伝えしなければならなくなりました。マリクは愛すべき夫であり、父親であり、兄弟であり、友人でした。心から愛しています。マリクがわたしたちの人生にもたらしたものの大きさをわたしたちが忘れることはないでしょう。音楽とスポーツに注いだ彼の情熱と愛情に勝るものは、神様と家族への愛情だけでした」

ファイフのマネージャーのディオン・リヴァプールは同じ声明で次のようにファイフを偲んでいる。

「ぼくの最大の友人にして兄弟の死を嘆く一方で、そのとてつもない生き様と世界中のリスナーへの貢献という意味ではファイフをただ祝福したいです。彼ほどの成功を手にしながら、あそこまで謙虚だった人物をぼくはほかに知りません。ポジティヴな態度と展望を持つことでどんなことをも乗り越えられるということをファイフはぼくに教えてくれました。ぼくの兄弟は今や偉大さの中で生きることになりました。彼と人生を共にすることができたことを光栄に思います。リディム・キッズ・フォエヴァー」

また、ア・トライブ・コールド・クエストは次のように声明を発表している。

「俺たちの心は沈んでいる。うちひしがれている。人生がはかないものだとはわかっていても、俺たちの心の準備はできていなかった。ファイフの病気と闘病についてはみんなが知っていたことだよ。でも、喜びと幸せのためのその闘いを通してファイフはいつも実際に喜びと幸せを手にしていたんだ。家族を幸せにするという闘いも、自分の魂を幸せにするという闘いも、自分の周りの人間を幸せにするという闘いも、そのどれを通しても、すべてファイフは非の打ちどころのない純粋な幸せを手にしていたんだ。冥界からの父親の呼びかけに応じるまではね」

「ニューヨーク、アトランタ、カリフォルニア、トリニダードにいるファイフの家族、母親、妻、姪っ子たち、遺族全員に俺たちから愛を送りたい。ファンやアーティスト、音楽メディア、ブログ、ラジオ局、DJ、SNSとその他諸々のメディアで表明されたお祈りと支援の言葉に感謝しているよ。このこともまたファイフにとっては喜びとなっているはずで、彼にとって大きな意味を持っているはずだよ」

「ファイフのご遺族はみんなからの支援と励ましに感激していてとても感謝しているよ。ファイフの音楽と彼が音楽にもたらしたこれまでの貢献は衝撃的で計り知れないものだよ。みんなに与えた影響と同様、俺たちにも大きな影響をもたらすことになったんだ。ファイフが1日1日に見出していた喜びと勇気に、俺たちは本当にインスピレーションを受けてるよ。ファイフは痛みを感じていなかった。ファイフは幸せだったんだ。祖母の隣で眠りにつくことができるようだと知って俺たちもほっとしているよ」

ファイフはQ-ティップとDJのアリ・シャヒードが組んでいたユニットにジャロビ・ホワイトとともに加入し、4人組ユニット、ア・トライブ・コールド・クエストとして活動を始めると、ジャイヴ・レコードとの契約にありつきファースト『ピープルズ・インスティンクティヴ・トラヴェルズ・アンド・ザ・パスズ・オブ・リズム』を1990年にリリース。アルバムはヒップホップ・シーンでは絶賛を呼んだが、その後ジャロビが脱退し、翌年リリースした『ロウ・エンド・セオリー』でQ-ティップとファイフとの間でラップを掛け合うというパフォーマンス・スタイルが出来上がった。

ATCQはその後も『ミッドナイト・マローダーズ』、『ビーツ、ライムズ・アンド・ライフ』、『ザ・ラヴ・ムーヴメント』と作品をリリースし、常に高い評価を得てきていたが、1998年にジャイヴ・レコードとの関係の悪化などを理由にユニットは解散した。

その後、2004年にATCQは再結成し、以来、折に触れてライヴ活動やツアーを続けてきていて、2013年のカニエ・ウェストのツアーのサポートを最後にライヴはもうやらないと宣言していたが、昨年の11月に『ピープルズ・インスティンクティヴ・トラヴェルズ』の25周年記念再発にあわせてテレビでパフォーマンスを行っていた。

ファイフは90年代から糖尿病との闘病を続けていて、最近では肝機能疾患をわずらっていた。

ファイフとATCQの最後のパフォーマンスはこちらから。
公式SNSアカウントをフォローする

人気記事

最新ブログ

フォローする