【コラム】表現者・嵐に震えるしかない。アイドルで職人、その凄さの到達点『Japonism』ツアーDVDを観た
2016.08.29 22:20
昨年行われた嵐の『Japonism』ツアー、その最終日の東京ドーム公演を収録したコンサートDVDが本作だ。嵐のコンサートDVDは過去にも多々リリースされているけれど、嵐のコンサートを一度も観たことがない人が初めて観る一枚を選ぶとしたら、ぜひこの『ARASHI LIVE TOUR 2015 Japonism』をお勧めしたい。その理由は本作がコンサートとしてもコンサートを収録した作品としても最高のクオリティであるのはもちろんのこと、嵐の、さらにはジャニーズのエンターテインメントにまつわるいくつかの「誤解」や「疑問」に対するアンサーとしてもずばり最適な作品になっているからだ。
あまり世間には知られていないことだが、ジャニーズのコンサートは伝統的にアイドルである彼ら自身がその制作に深く関わっている。「コンサートは自分たちで作るもの」という綺麗ごとの精神論ではなく、ジャニーズの彼らにとってそれは「ガチ」の作法であり義務なのである。中でも嵐は特にその傾向が強いグループだ。彼らは松本潤を中心として構成、演出、舞台装置、映像、照明、特効、ダンスの振り付け、衣装の隅々に至るまで主体的に関わり、アイデアを練り、試行錯誤しながらコンサートを作り上げていく。嵐は5万5千人に埋め尽くされた東京ドームの巨大ステージの上で問答無用に光り輝くスーパーアイドルであり、同時にその巨大ステージ作りを支えるスーパー職人でもある。そんな表裏一体、光と影の融合が嵐のコンサートを生んでいる。
そんな嵐のコンサートのアイドル&職人の表裏一体の構造、その凄さがここまではっきりと可視化されたコンサートDVDも久々だろう。そこには『Japonism』というアルバムが「海外から見た日本」、「原点回帰」をテーマに掲げた非常にコンセプチュアルなアルバムだった、という点が大きく関係している。アルバムのコンセプトが明確であるということは、それを引っさげたコンサートそれ自体もコンセプチュアルにならざるをえないということで、本作には全編にわたってそのコンセプトの創造者である嵐の意志、思想が色濃く刻まれている。嵐にとってのエンターテインメントとは歌って踊って笑顔で手を振ることだけではないし、それは嵐の目指すアイドル像でもない。ある意味で恐ろしくシリアスなその表現に、初めて観る人はきっと驚くと思う。
何しろ冒頭からコンセプトが全開だ。刀、錦鯉、竹林といったモチーフを散りばめたアニメーション、屏風絵を彷彿させる映像や照明、和太鼓や三味線のド迫力な生オケや歌舞伎の型を思わせるダンスと、とことんテーマはジャポニズム。「白浪五人男」にヒントを得たと思しき着物と和傘で見得を切るパフォーマンスなんて最高すぎて震えるしかない! コンセプトに基づいてステージに圧倒的に美しい「画」がいくつも浮かび上がり、しかも嵐はその画を5万5千人に向けたスケールの中で立体的に展開していく。縦横に延びた花道、外周、トロッコや客の頭上を通過するムービングステージと、あらゆる移動手段を駆使して5人は広大なドームに散らばり、まとまり、観る者はいつしかその「画」の中に取り込まれていく。まるで伸縮自在の3Dアートの中に身を置いている気分になるのだ。嵐ほどドームの規模感を的確に把握し、最大限生かすエンターテインメントをやっているアーティストは滅多にいないだろう。
特にオープニングからの数曲、そしてMC明けのソロセクションから『Japonism』のコンセプトを象徴するナンバー“Japonesque”へと雪崩れ込む流れは素晴らしすぎるので、本当にひとりでも多くの人に観て欲しい。そうした流れが素晴らしいポイントではカメラはきっちり俯瞰になり、ショウの全体図の迫力を余すことなく捉えている。つくづくこの流れ、この演出を考えた人、天才! と思う訳だが、その天才があろうことかステージの上にいるアイドル自身だったりするのだから本当に驚愕するしかない。他者から提供された楽曲を歌うシングルやアルバムが嵐の表現の第一形態だとしたら、そこに彼らのアイディアや思い、オリジナリティを精魂注入して作り上げられるコンサートこそが最終形態なのだと言えるかもしれない。
ちなみに『Japonism』で重要なパートを担っているこれらの「和物パフォーマンス」は、実はジャニーズのアーティストが代々得意としてきた伝統芸であり、嵐もジャニーズJr.時代から先輩たちのそれを観て、実際にバックに付いて学んできたという経緯がある。だから彼らが『Japonism』のコンセプトとして掲げた原点回帰とは、日本への回帰であり、同時に彼らのエンターテインメントのルーツへの回帰でもあるのだ。今回のツアーにはJr.の中でも特にダンスの技術に定評があるユニットが参加しており、彼らを従えての群舞の数々も圧巻の一言だ。『ウエスト・サイド・ストーリー』のようなアメリカのミュージカルをルーツに持つジャニーズの群舞が、こうしてアップデートされていくのを目の当たりに出来るのも感慨深いものがある。
しかし本当に凄いのは、嵐はあくまでも完全無欠のスーパーアイドルとしてステージに立っているという点だろう。この凄まじいコンサートを作り上げた努力や試行錯誤という現実を匂わせることはけっしてしなく、夢の国の住人であろうとするアイドルの矜持が凄いのだ。高度にコンセプチュアルな『Japonism』の世界観の中に“A・RA・SHI”や“感謝カンゲキ雨嵐”、“Happiness”、“Love so sweet”といった定番中の定番のナンバーが違和感なく馴染んでいるのも、嵐自身のコンセプトを超越したアイドル力ゆえだ。彼らの職人力は、こうしてパッケージになり見返した際に初めて気づかされるものなのだ。ちなみに、ファンが持つ無数のウチワに書かれたリクエストを瞬時に読み取り、高速でそれに応えた次の瞬間には目線は遥か上、2階席の端の端に向かって笑顔で大きく手を振るという神業を当たり前にやってのける彼らは、職人的アイドルとも言えるのかもしれないが。
嵐のコンサートDVDはMCの収録も楽しみのひとつだ。嵐のMCの魅力は本編の完璧なエンターテインメントから一転、途端に井戸端会議化、男子の放課後トークに突入するギャップにある。もちろんそこには彼らの「素」を垣間見せるサービス精神が嫌みなく存在しているわけだが、それにしても「Jr.時代の牛丼の汁の話」を5万5千人の前でちんまり固まって楽しそうにしている彼らの姿はなかなかシュールだ。光り輝く夢のアイコンであり、同時にどこまでも身近な隣の男子でもある。嵐が見せるそんなギャップは、アイドルと職人の二面性も含めて彼らの天性のものなのだろう。(粉川しの)
『Japonism』リリース当時に公開したコラムも是非ご覧ください。
【コラム】嵐はなぜ新作『Japonism』で「日本」を背負ったのか?
http://ro69.jp/news/detail/133633