日本一のポップアイコン・嵐が18年の歴史のすべてを注ぎ込んだ究極のコンセプトアルバム『「untitled」』を徹底解明

イントロの助走もタメもなく、今ここで火蓋が切って落とされたようにオープニングナンバーの“Green Light”は性急に走り出す。前のめりのビートに乗ってEDM、ジャズ、ファンクと近年ののサウンドバラエティを片っ端から取り込んでいくミクスチャーソング。しかもアウトロの余韻が醒める間もなく続く“つなぐ”へとバトンタッチだ。そして激渋ブルーズギターとゴージャスなストリングスが並走し、思いっきり過剰な膨張を続けながらエンディングを迎えるこの曲も、またもや駆け足で3曲目へ、その名も“「未完」”へと雪崩れ込んでいく。

そんな冒頭の3曲を聴いた段階で、嵐がこのニューアルバムでやりたかったこと、本作のタイトルを『「untitled」』とした意図が早くも理解できるのではないだろうか。ちなみに『「untitled」』はカッコの重複誤記ではない。「」まで含めて正式のタイトルだ。つまり本作はその名も「無題」。そして冒頭3曲が示したように、この性急で、過剰で、エクレクティックな音の洪水は、名前を冠する前の姿、敢えて未完成の何かであることを、本作の「無題」が逆説的に物語っている。

3曲目の“「未完」”は、まさにそんな『「untitled」』の核心に迫ったナンバーだ。ブラスセクションのオープニングから転調を幾度も繰り返し、エレクトロ、クラシック、ミュージカルにヒップホップ、そしてR&Bにと、ここには嵐の培ってきたサウンドのおよそすべてがある。しかも、そのすべては「嵐の歴史」として博物館の陳列よろしく並べられたものではなく、今まさに疾走中の彼らの道中、過去から未来へと流れゆく景色のように動的なものだ。《暗闇から光/“僕らが拓いていく時代”/なんてあの頃はいきがり/いま、夢の先の未来/後ろなんて見ない/ただそう前だけしか見ない/目の前には誰もいない/その未来自分次第》と紡がれるこの曲の櫻井翔のラップも、『「untitled」』のコンセプトの宣言になっている。

2010年代後半、世界的に見てもポップミュージックはアルバムらしいアルバムを必要としなくなっている。そんな中で日本一のアイドル、日本一のポップアイコンである嵐がここまでアルバムらしいアルバムを作ったことは画期的なのではないか。アルバムコンセプトよりもポップソング集としての楽しさや精度を追求した前作『Are You Happy?』とは対照的なニューアルバムだと思うし、本作と同じくらいアルバムらしいアルバムであり、究極のコンセプトアルバムであった前々作『Japonism』とは、コンセプトの質がまったく異なるのだ。『Japonism』は「和」という明確なテーマを掲げて攻めた末のパーフェクトな「完成形」だったわけで、未完で動的、そして今まさに「攻めている」最中の彼らを活写した『「untitled」』とは、目指しているゴールが違うと言えばいいだろうか。

“「未完」”の圧をいったん抜くように軽やかなハウスビートが踊る“Sugar”や、リオ・オリンピックの熱い夏を思い出させる“Power of the Paradise”をはじめ、ラウドロック(“風雲”)やビッグバンドジャズ(“I’ll be there”)、アダルトコンテンポラリー(“抱擁”)と、本作のバラエティはその後も収束することなく、ますますカラフルに飛散していく。
デビュー18周年を迎えた嵐には、幾度か「攻め」のタイミングがあった。たとえば2000年代、ブレイクの途上であった嵐の攻めは《外野の言葉はシカトする》(“Attack it!”)なる一節に象徴されるように、自分たち5人と嵐のファン以外の世間を「外野」と定義した、オルタナティブなスタイルだった。でも2010年代、国民的アイドルとなって久しい彼らは究極のメインストリームであり、外野と呼ぶべき世間はもはや存在しないと言っていい。だからこそ『「untitled」』で嵐がファイティングポーズを取る相手は、他でもない嵐自身だし、その勝敗は無題として彼ら自身の未来に預けられている。本作を聴いて「新章、来たり!」と猛烈に感じるのはそれゆえなのだ。

そんな『「untitled」』にあってちょっと異質なナンバーが“Pray”かもしれない。前述のように前進し続ける、攻め続ける彼らがふと立ち止まった瞬間であり、手に入れたものと失ったもの、その両方を振り返るメランコリーがたしかにここにはある。個々の素が垣間見える“Pray”の5人の声の近さに加え、ゴスペル調の女性コーラスをフィーチャーした“光”にも、後半にいくに従って徐々に本作がモードチェンジしていく過程が感じられる。

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