【グラストンベリー】46年間の歴史丸わかりエピソード集前半:1970年~1994年
2017.06.17 12:00
イギリスを代表するロック・フェス、グラストンベリー・フェスティバルが今年も開催される。今年はレディオヘッドとフー・ファイターズ、そしてすでにウェンブリー・スタジアムでのソロ・アクトを達成しているエド・シーランがヘッドライナーを務める。
現在では来場者数17万5千人と世界最大の規模を誇る超巨大フェスティバルとなっているが、もともとは観客数1500人から始まったイべントだった。会場は今も昔も、オーガナイザーのマイケル・イーヴィスのワージー牧場とその周辺地域が使われている。
「エピソード集前半:1970年~1994年」では、初開催の1970年からメインステージが火事に見舞われた1994年まで、16回に渡るグラストンベリー・フェスティバルのエピソードを紹介していく。
1970年
グラストンベリー・フェスの初の開催で、この時はピルトン・ポップ・アンド・ブルース・フォーク・フェスティバルという名で開催された。入場料は1ポンド(当時のレートで約870円)で牛乳が付いてきたという。開催日の1970年9月19日はジミ・ヘンドリックスの死の翌日だった。参加者はおよそ1500人で、ヘッドライナーはティラノサウルス・レックス(後のT・レックスのフォーク時代のユニット名)で、出演が取り止めになったザ・キンクスのピンチヒッターだった。
1971年
グラストンベリー2回目の開催。この年から夏至近辺の開催となり、またその名前もグラストンベリー・フェアとして知られるようになった。この年はオーガナイザーが複数関わり、フリー・フェスティバルとして開催された。ホークウインドとトラフィック、そしてデヴィッド・ボウイらが出演した。デヴィッドはこの約30年後、2000年に再びヘッドライナー出演を果たすことになる。
1978年
7年の間を開けたのち3度目の開催が行われたが、実はあらかじめ予定されていたわけではなかった。フェスティバルが開催されるらしいという噂を聞きつけた人たちが近隣で開催されていたストーンヘンジ・フリー・フェスティバル経由で自然と集まり、その後行われた話し合いによりそのままフェスティバルが開催されることになったのだ。ストーンヘンジ・フリー・フェスティバルから流れてきた機材車を電力に使って簡易ステージが設置されたが、ヘッドライナーのようなアクトはなかったという。
1979年
マイケル・イーヴィスがワージー農場を担保に銀行に資金融資してもらい、3日間開催の本格的なイべントとして開催、ピーター・ガブリエルらがヘッドライナーを務めた。しかし赤字に終わり、翌年の開催は見送られる。1981年に「しっかりとした経営管理」のもと再び開催された。
1981年
正式にグラストンベリー・フェスティバルとして開催されたのはこの年から。メイン・ステージとしてのピラミッド・ステージも設置されたが、フェス開催時以外は牛舎と納屋として使われていた。出演バンドは、この当時さまざまなフェスの常連だったホークウインドなど。
また、この年からイギリスの反核団体の核廃絶キャンペーン(CND)と提携する形で開催。反CND団体の飛行機などが嫌がらせで飛来する情報があったが、マイケル・イーヴィスは70ポンド(当時のレートで約3万円)分の花火を打ち上げて飛行機を追い散らすことに成功した。なお、「ピースマーク」として広く知られるシンボルマークはもともとCNDのロゴである。
1982年
過去45年間で最高の降水量を記録し、悪天候に見舞われたこの年のグラストンベリーでは、ゲイリー・ニューマン率いるチューブウェイ・アーミーの“Are ‘Friends’ Electric?”の演奏でレーザー光線の演出が初めて使用された。出演者はヴァン・モリソン、ジャクソン・ブラウン、ロイ・ハーパーなど。ちなみに、当時のポスターにはU2の名前が掲載されているものの、演奏は行わなかったという。
1983年
この年、初めて正式なトイレが設置され、衛生面、用水の上限、交通量などを考慮して入場が3万人までに制限された。また、3日間の模様を放送するグラストンベリーのオフィシャル放送局「Radio Avalon」の運営が始まったのもこの年から。