Base Ball Bear・小出祐介のソングライティングが女性シンガー/アイドルと出会ったときに生まれる神秘とは?

その「少女性」を説明するために、小出が提供した楽曲の歌詞をいくつか例として紹介したい。


《ゼッケン5追いかけ 胸鳴りの夏/焼却炉 煙が少し悲しい秋/君に逢いたい 電飾の冬融かして/誰よりも 早く半袖を着たい春》(南波志帆/“こどなの階段”)

《きこえなくなった音 もう会えなくなった子のこと/さみしく思っても 何もあきらめないで/決まらない前髪を また風が乱してゆく/いつまでも私たちきっと とどまることなんてないまま/走ろう 風の中を》(アイドルネッサンス/“前髪”)



《誰よりも 早く半袖を着たい春》というフレーズで、夏を待ちきれない少女の爽やかな焦燥を表した“こどなの階段”。《決まらない前髪を また風が乱してゆく》、《走ろう 風の中を》という表現で、「いつまでも青春時代にとどまることはできないんだ」と悟った女子生徒たちの切なさを描く“前髪”。小出が提供する歌詞には、彼自身がすでに青年時代を卒業している身でありながら、その時期特有の情景や心の動きが実に鮮明に、瑞々しく描き出されている。そして少女たちの心情や暮らしにぴたりとピントが合いまくり、聴き手の胸にもそのフィーリングが思い起こされてしまう感じが、作品をユースだけではなく大人も「わかる……!」と身悶えするものに仕立て上げるのだ。これは長きに渡り蒼き時代と向き合ってきた彼だからこそ持ち得る、さすがの手腕によるものだろう。ティーンの歌い手たち(南波志帆はリリース当時に10代)が放つ、透明感溢れる歌声との相性も最高である。


一方、成熟した視点を自身のバンドの楽曲に盛り込み始めた近年の彼だからこそ書ける表現もある。たとえば“こどなの階段”の「こどな」という言葉は、曲の冒頭で歌われているように《“大人”でも“子供”でもない》という意味の造語で、青春時代がいかに特別なステージであるかを明確に示したものとなっている。
また小出の最新ワークの1つである“前髪”は、青春時代真っ只中のメンバーにその時代の終焉を歌わせるという点では少々酷な歌だと思ったが、《さみしく思っても 何もあきらめないで》と人生の先輩としての達観した目線が持ち出された、希望が香る輝かしい曲となっている。これは先に挙げた《青春が終わって知った/青春は終わらないってこと》という歌詞のように、大人になってもまた青春と再会できること、そこから先の世界にも美しい景色はあることを歌にした彼だからこそ書ける言葉だと思う。こと細かに学生時代の瑞々しさを描くだけではなく、人生の先達としての言葉を歌詞として彼女たちに歌わせる(=贈る)のも、小出祐介の作詞を語る上で欠かせない粋な美点だ。


そのほか、チームしゃちほこ“colors”、アップアップガールズ(仮)“Beautiful Dreamer”のように「アイドルとしての意義/使命/葛藤」を示した楽曲や、東京女子流“Partition Love”のように恋愛面における少女の心の機微を描いた曲など、小出の提供作品には少女期の麗しさやそれぞれのフィールドで闘う若者たちへのエールが込められた歌詞が数多く存在する。そしてそれらの楽曲は、歌詞で描かれている世界をリアルタイムで現実として生きている彼女たちが歌うことで強い現実性を帯び、聴き手の胸を打つ名曲に仕上がっているのだ。自分以外の人物にチューニングを合わせて作品を創作する――それだけでもかなり難易度が高い作業であるはずなのに、小出は性別も世代も違う少女たちを相手に、しかもバンドのモードとリンクさせつつ見事にそれをやってのける。その器用さと美麗なセンスの化学反応が、青春当事者の感性も青春卒業者の感性も揺さぶる悶絶モノの楽曲を生むのである。

そんな稀有なスキルを携えた小出のリリックは、この先どんな物語を描いていくだろうか? 今後も耳目と心を、その言葉の鳴る方へ傾け続けていきたい。(笠原瑛里)
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