それこそ毒ガスをいち早く感知する炭鉱のカナリアの如く、マリリン・マンソンの「危機」に対するセンサーは実に鋭敏だ。そして、異常事態を目前に押し黙るカナリアとは真逆に、その危機感が深刻であればあるほど、マリリン・マンソンはとめどなく漆黒の狂気を描き出すーー。
自らの少年期の体験を基にした「宗教観の危機」「倫理観の危機」「人間の尊厳の危機」を極限まで圧縮し逆噴射することで、異形のゴシックロックヒーローとしての存在感を不動のものとしてきたマリリン・マンソン。
10月9日にリリースされた彼の最新アルバム『ヘヴン・アップサイド・ダウン』はまさに、彼の「暗黒の世界の写し鏡」としての機能性が極限まで発揮されたーーかつての『アンチクライスト・スーパースター』『メカニカル・アニマルズ』といった代表作をも彷彿とさせるブルータルな妖力に満ちている。ということが、10月9日に公開されたばかりの“SAY10”のミュージック・ビデオ(ジョニー・デップも白塗り姿で登場)からも伝わるはずだ。
Marilyn Manson - SAY10
この曲に関して彼が以前「ドナルド・トランプと思しき赤いネクタイの共和党員が斬首された場面」を模したミュージック・ビデオ(現在は削除済み)を公開していたのをご記憶の方も少なくないと思う。
ヨハネの黙示録12章を題材に「すぐそこにある危機」を指し示した“Revelation #12”しかり、「白い粉」にまみれた異境の風景越しに聴く者の正気の在り処を問い詰める“JE$U$ CRI$I$”しかり、アメリカの/世界の不穏な通奏低音を極限増幅して展開する彼の凄絶な筆致とクリエイティビティには、改めて驚愕を禁じ得ない。
そして同時に、一見エキセントリックで破壊的に見える彼の佇まいとパフォーマンスが我々を突き動かしてやまないのは、それが決して愉快犯のアナーキズムによるものでなく、あたかも己を人身御供にして我々にアラームを轟かせるかのような、ある種の使命感にも似た切実さを帯びているからに他ならない。
1999年に発生したコロンバイン銃乱射事件の後、「犯人の生徒2人がマリリン・マンソンのファンだった」「マンソンの作品に影響されて犯行に及んだ」という事実と異なる報道に対して、彼は最近も繰り返し言及して否定している。
マリリン・マンソン、コロンバイン銃乱射事件に言及。「本当に俺の音楽を聴いていたらこうはなってない」
犯人の少年2人が有名人になり、無実のマリリン・マンソンが「悪役」として迫害される……彼自身がアーティスト名に重ねた「犯罪者でもスターのように有名になる」という命題に、皮肉にも彼自身が巻き込まれるに至ったのである。
彼が作品の中で描いてきた暗黒よりも、現実の世界は容赦なく歪んでいたーーという事態を今なお消化しきれずにいる、「愉快犯」とは一線を画した「切実なる告発者」の憂鬱が、上記記事の発言からもリアルに窺える。
ブルースロックシンガー的な趣すら感じさせた前作『ザ・ペイル・エンペラー』(2015年)を聴いた時には、ついに彼が「時代のカナリア」としての役割を終える時が来たか?と思った。しかし、最新作『ヘヴン・アップサイド・ダウン』において、彼の狂気はますます抗い難い凄味と暴力性をもって燃え盛っている。実際、それが彼自身にとって幸せなことなのか不幸なことなのかはわからない。が、その異形性が彼の音楽表現にさらなる妖しい輝きを与えていることだけは間違いない。(高橋智樹)