ウォルター・ベッカーの遺産管理団体、ドナルド・フェイゲンの訴訟に「事実を捻じ曲げている」と反論

ウォルター・ベッカーの遺産管理団体、ドナルド・フェイゲンの訴訟に「事実を捻じ曲げている」と反論

ドナルド・フェイゲンがスティーリー・ダンの権利を巡り、故ウォルター・ベッカーの遺産管理団体を訴えていることは以前報じた通りだが、この訴えに対し、遺産管理団体側が反論の声明を出している。

スティーリー・ダンはドナルドとウォルターを中心に60年代末に結成され、72年に1stアルバム『キャント・バイ・ア・スリル』をリリース。75年の『うそつきケイティ』からドナルドとウォルターを軸にして多数のセッション・ミュージシャンを使ってアルバムを作り上げるという、当時は斬新だった手法を作り上げた。

名作『彩(エイジャ)』、『ガウチョ』をリリースして81年に解散したが、その後、1993年に再結成。再結成後はツアー活動を続け、00年代に入ってからは『トゥー・アゲインスト・ネイチャー』、『エヴリシング・マスト・ゴー』などの新作も発表したが、ドナルドとウォルターが軸となる体制には変わりがなかった。今年に入ってからもスティーリー・ダンとしてのツアーが行われたが、ウォルターは病気療養のため離脱していた。
9月にオリジナル・メンバーのウォルター・ベッカーが他界してからも、スティーリー・ダンはライブ活動を続けている。

先週ドナルドがウォルターの遺産管理団体に対して起こした訴訟では、1972年のバンドの取り決めをめぐる相互売買契約が焦点になっている。この取り決めはバンド結成時のオリジナル・メンバー全員の間で交わしたものだという。

内容は、メンバーがひとり脱退するか他界するごとにその分のバンドの権益、例えば「スティーリー・ダン」というバンド名の使用権などは残りのメンバー全員で買い取って分配していくというもので、その過程でバンドの権利関係を持っているのはドナルドとウォルターのふたりだけになっていた。ウォルターが亡くなった後、契約としてはドナルドがすべてを買い取るという取り決めになっている。

この契約についてウォルターの遺産管財団が異議を申し立て、ウォルターの妻、デリアにバンドの権利関係50パーセントを譲るように要求してきたとドナルドの訴状は訴えている。

これに対してドナルドは訴訟を起こし、損害賠償金100万ドル、1972年の取り決めが有効であると宣言する裁判所令、さらに現在ではウォルター側が今も管理しているバンドのオフィシャル・サイトの管理権の引き渡しなどを要求している。さらにバンドのマネジメントと経理を担当している会社についても帳簿の開示請求に応じないことを理由にこの訴訟で訴えている。

これに対してウォルターの遺産管理団体は声明を発表。その中でドナルド側が訴状で事実を捻じ曲げていると反論している。

声明で遺産管理団体はドナルドがアメリカでは大切な祝日でもある感謝祭(11月23日)の前日に訴えを起こしたことに遺憾を表明しており、ドナルドが主張している1972年の取り決めというのはウォルターの死に際してはもう有効ではないと判断していることを明らかにしている。

さらにドナルドは訴状で遺産管理団体側からこの取り決めの破棄を一方的に突きつけられたと述べているが、事実は異なっており、そもそもはウォルターの死の翌日にドナルド側から遺産管理団体側にバンドの権益の譲渡を要求する書簡が送りつけられてきたことに今回の対立の端は発していると説明。

また、ウォルターの未亡人のデリアがいかにも今回の係争を始めたかのような印象を植え付けようとするドナルド側の訴えは事実に反しており、ウォルターの遺族から、ウォルターとデリアの協力によって手にしてきた努力の賜物を奪おうとするものだと批判している。

さらに、声明では遺産管理団体はドナルド側との合意を何度も探ったが、合意の直前でドナルド側の代理人が突然ドナルドから解雇されるという経緯が二度繰り返され、現在に至っていることも明らかにしている。

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