ヒップホップの名門、デフ・ジャムのラッセル・シモンズへの止まらないセクハラ疑惑の経緯をたどる

ヒップホップの名門、デフ・ジャムのラッセル・シモンズへの止まらないセクハラ疑惑の経緯をたどる

ハリウッドの大物プロデューサーであるハーヴェイ・ワインスタインによるセクシャル・ハラスメントや性的暴行の数々が告発されて以降、各業界でも同様の告発が続いているが、ヒップホップの名門レーベル、デフ・ジャムの創設者として有名なラッセル・シモンズへの告発もまたとどまるところを知らず注目を集めている。

本記事では1980年代後半に始まるセクハラ疑惑の数々を、「Hollywood Reporter」や「Los Angeles Times」、「Billboard」などに掲載された情報をもとにまとめていく。

11月20日
ラッセルへの告発は、モデルのKeri Claussen Khalighiが1991年に性的暴行を受けたこと、そして映画『ラッシュ・アワー』の監督として知られるブレット・ラトナーもその現場にいて見て見ぬふりをしていたことを暴露したことに始まる。

Keri Claussenが「Los Angeles Times」に対し暴露した内容によると、当時17歳だったKeri Claussenはラッセルとブレットに連れられ、その当時制作中だというミュージック・ビデオを観せてもらうためラッセルの自宅を訪問。そこでラッセルに性的暴行を受け、着ていた服も破かれたという。

Keri Claussenはブレットに助けを求めたというが、「ブレットに『助けて』って叫んだけれど、その時の彼の表情が今でも脳裏に焼き付いて離れません。その瞬間、ふたりはグルだったんだと気づきました」と当時を回想している。

そして昨年にイべント会場でラッセルと再会した際には、ラッセルが当時の出来事について深く反省しているという旨の謝罪をしてきたのだという。しかし今回の告発の際には、ラッセルはKeriとの行為が「合意の上のもので、相手も望んでのことだった」と反論する声明を発表した。



11月19日
上記の「Los Angeles Times」の記事が公開される数週間前、ラッセルはKeriの件とは別のセクシャル・ハラスメントの揉み消しにも動いていたのだという。

ラッセルが揉み消そうとしていたのは、元プロ・アメリカン・フットボール選手で現在は俳優として活動するテリー・クルーズが告発した事件だ。

テリーは2016年、あるイベントにて大手芸能事務所のウィリアム・モリス・エンデヴァー・エンターテイメントの映画部門のエージェントであるアダム・ヴェニットに突然股間をまさぐられたことがあったと告発。ヴェニットはこの告発のあと解雇されたが、これに対してラッセルはテリーにメールで「パスを送ってやれないか。彼の復職を請うという形で」と要請。テリーはこれを断り、このメールのやりとりをSNSで公開。

以下のようなツイートを投稿しラッセルのメールを公開したのは、Keriの告発が「Los Angeles Times」に掲載される前日の11月19日だった。

「親愛なるラッセル・シモンズ。誰にもパスはやらねえよ」



11月22日
Keri Claussen Khalighiによる告発を受け、ラッセルは「Hollywood Reporter」に声明を発表。

この中でラッセルは、ワインスタインのセクハラ問題を受けたいわゆる「#MeToo(わたしも)」運動について「声なき声に声を与えているものだ」と称え、「そうした被害を耐えた勇気ある人たちが共有している訴えは、ほとんどが真実で高潔な動機から発されているものであることに疑う余地はない」と評価した。

しかし、自身への糾弾についてはまったく違うものだとし、「最近心痛を受けた個人的な経験からも分かるのは、実際の事実とは違うという見方から光を当てられるべき記憶も一部にはあることだ」と反論。さらには、Keriとは何度も顔を合わせ会話を交わしたものの、この時の出来事を咎められたことは一度もないとも訴えた。



11月30日
ところが上記の声明が発表された1週間後の11月30日には、作家・脚本家のジェニー・ルメットがラッセルから性的暴行を受けた経験を同じく「Hollywood Reporter」にコラムとして発表。

24歳だった1991年当時、ラッセルから1年かけてしつこく追い回されたというジェニーは、自宅まで車で送るというラッセルの申し出に応じるとSUV車のドアのロックをすべて施錠し降りられないようにされ、その後向かったラッセルのマンションで強姦されたという。

恐怖に襲われ、どうしたらいいのかわまったく分からない気持ちに捉われました。家に帰りたかった。家に帰りたいと私は言ったのです。

隣に座っている男性は私の知らない人になっていました。このあと暴力がふるわれる状況になるのかどうかも分かりませんでした。頭がおかしくなっているのかと自分を疑いました。

そして今すぐにでも、私のよく知っているラッセルが戻ってきてくれないかと願いました。


ジェニーはそう振り返り、さらに「有色人種の女性として、成功した有色人種の男性についてこうした事実を明らかにすることがどれだけ心を捻じ曲げられるような思いを伴うものなのか、うまく説明する言葉も見つかりません」と、告発に過酷な葛藤が伴うことを明らかにしていた。

このコラムが掲載された同日、ラッセルはジェニーの記憶は「僕の記憶は相当に違っている」と反論する声明を発表したが、その一方でジェニーが感じた「恐怖や威圧感はリアルだ」とも認め、自身が暴力をふるったことはないが、過去数十年にわたる人間関係の中で「自分には思慮や配慮が欠けていたことを謝罪したい」とも表明した。

さらに自分が関わっているさまざまな事業から一旦身を引くことを発表し、「個人的な成長、精神的な修養、そして何よりも、耳を傾けることに専念したい」と明らかにした。



12月13日
その2週間後の12月13日、今度は「The New York Times」「Los Angeles Times」での報道で、4人の女性が1983年から96年までの間にラッセルから強姦行為を受けたことが明かされた。さらに5人の女性がセクシュアル・ハラスメントを受けていて、直近のものでは2016年の訴えもあることが明らかになった。

いずれのケースにおいても、ラッセルは被害者女性に対して自身の権力と影響力をちらつかせることで従属的な状況へと追い込み、その上で性的な暴行をはたらいたというこれまでの訴えと同様のパターンの訴えだった。

中でもガールズ・ヒップホップ・グループMercedes LadiesのSherri Hinesは、17歳だった1987年当時にラッセルの事務所で強姦されたと告発。

また元音楽ライターのToni Sallieは1987年当時、取材後にラッセルとデートをすることが何度かあったことを明かしている。そしてある日のデート後、トニーはパーティーが開催される予定だとされていたラッセルのマンションで強姦されたと説明し、その翌年にはフロリダで音楽業界のコンベンションが行われた際にもホテルの部屋でラッセルに強姦されそうになり、物理的に抵抗しなければならなかったと訴えている。

こうした訴えに対し、ラッセルは「The New York Times」への声明で次のように抗弁した。

僕は女性についての意識のあり方が新しく改められるためであれば、あえて自分も泥をかぶるということも受け入れてきました。しかし、自分がやってもいないことについては責任を取るつもりは一切ありません。

(中略)僕はこれまで自分のおかしてきた過ちを明かすような書籍やインタビューの中で自分のこれまでの生き方をつまびらかにしてきましたが、僕を暴力的な人物として描こうとするような虚偽の人格攻撃に対しては容赦なく闘っていくつもりです。


また、この他にもオーラル・セックスを強要されたというものや、仕事の打ち合わせ中にラッセルから猥褻な言葉を無理に聞かされたという女優のアマンダ・シールズによる訴えなどがある。こうした訴えに対しても、ラッセルは自分がこれまで生きてきてこれまで女性に対して「暴力的であったり虐待的であったことは一度もない」と抗弁している。



12月14日
この日、ニューヨーク市警察はこれまでの報道を受けラッセルの捜査を開始。ワインスタイン事件の容疑者の捜査も続けているニューヨーク市警は、ラッセルから被害を受けたという女性の事情聴取を順次続けているという。

市警のブレンダン・ライアン刑事部長は「Hollywood Reporter」に対し、「市警ではラッセル・シモンズのニューヨーク市での行状についての訴えを受け付けていて、現在は捜査員がそうした情報の精査を行っているところです」と明かしている。

その一方で、ラッセルはこの日から「#MeToo」に対して「#NotMe(僕は違う)」というハッシュタグでのメッセージ発信を開始し、「今日、僕は正式に自分の身の潔白を訴えることを始めます。僕がすべての強姦容疑について疑いなく無実であることを証明していきます」と宣言した。なお、これは「#MeToo」を否定するものではなく、あくまでも自分の無実を主張するものであることも強調している。

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