映画を観終わった今、つまるところ、お金が生きるのも死ぬのも「人」次第なのだということが胸に強く残る。それは自分が実際に、たとえば3億円もの大金を目の前にして、あっという間に持ち逃げされて、それをどうすれば取り戻せるのか、当事者として体験してみなければ、心から理解などできないものだとも思うけれど。でも、お金が人を変えてしまうということは、誰もが少なからず実感として知っている。大金を手にしたところで、そこに大切だと思う人や仲間がいなければ、そのお金に本当の価値があると言えるか? あるいは、お金目当てに近づいた人を本当に愛することはできるか? そう、これは「お金」と「人」との物語だ。
極端な億万長者の生き様に触れる生々しい物語が、最終的にとてもヒューマンで有機的な後味を残すのは、エンディングに流れるBUMP OF CHICKENの“話がしたいよ”の余韻が強いからでもある。もちろん、佐藤健演じる主人公と、高橋一生演じる主人公の学生時代の親友、その2人の関係性が、ただ「お金」がつないでいるだけのものではなかったからこそなのだが、“話がしたいよ”は、そんな2人の関係性に温かく寄り添ったものだと思う。映画のラストにこの曲が流れることによって、物語の読後感がまるで違ったものになる。それくらい、映画にとって、また、映画を観る観客にとって、必要な音楽であるということだ。たぶん、最後まで映画を観た人なら、ここで言っている意味をわかってもらえると思う。
《この瞬間にどんな顔をしていただろう/一体どんな言葉をいくつ見つけただろう/ああ 君がここにいたら 君がここにいたら/話がしたいよ》という歌詞が今も耳に残る。例えば、解決しようのない悩み事を抱えてしまったり、乾いた生活に言いようのない虚無を感じたりした時、誰かが何かしてくれるわけではないし、大事な友も、もうそこにはいないかもしれない。それでも「もし会えたなら」と思える人が、自分の人生にいる(いた)ということは、お金以上の財産なんじゃないかと思うし、その関係性の中で使ったお金は、その後も大切に残しておきたい記憶という財産に変わるんじゃないかと思う。
“話がしたいよ”は、強烈な映画が否応なく突きつけてくる、普遍にして答えの出ないテーマに、一筋の光のようなヒントを与えてくれる楽曲だ。藤原基央ならではの、「人」を見る眼差しの温かさに触れるような楽曲でもある。BUMPはこの楽曲に加え、今年4月から放送されたTVアニメ『重神機パンドーラ』の主題歌として書き下ろした、“シリウス”と“Spica”も収録したシングルを11月14日にリリースする。いずれもじっくり歌詞を読みながら聴き込みたい楽曲ばかりだが、“話がしたいよ”については、機会があればぜひ、まず映画とともに、その楽曲の温かさを感じてみてほしいと思う。(杉浦美恵)