人々のコミュニケーションの有り様が大きく変われば恋愛も、男女が惹かれ合うことの本質こそ変わらなくとも、その形は大きく変わっていく。
そうすると恋愛の歌の形も変わっていく。
ここ数年、星野源やback numberなどが、ロック・アーティストでもありながらその恋愛の歌の新たな王道の形を提示して音楽シーンのスタンダードを更新していった。
というかロック・アーティストだからこそこの複雑な時代の恋愛の歌のスタンダードを更新できるんだと感じた。
12月12日にリリースされるRADWIMPSのニューアルバム『ANTI ANTI GENERATION』からMVが公開された新曲“そっけない”もまた、その映像作品としての表現も含めて、ロック・アーティストにしか生み出せない鋭い形で恋愛の歌のスタンダードを更新している。
複数の若い男女が、飲んだり食べたり遊んだりしてそのまま電気を消して眠ってしまったと思われる夜の一室。
神尾楓珠が演じる男の子が目を覚ますと、小松菜奈が演じる女の子がすぐ近くに背中を向けて眠っていて素足が触れている。
女の子が寝返りをうってこちらを向く。
眠っているのか、眠っていないのか。
でもふたりの手と手が触れると、女の子の指はかすかにこっちに来てと誘うにように動いている——。
部屋の中にはたくさんの人がいるけれど、眠っているからお互いを干渉はしないかもしれない、でもスマホが震えたりして物音が立てばふたりの間の心と体の動きに気付くかもしれない。
どうしたいのか、どうしてほしいと思っているのか、止められない思いは何か、気付かれたくないのか気付かれたいのか、薄目を開けている人の心にあるのは応援なのか嫉妬なのか好奇心なのか、恋は夜が明けたら消えてしまう泡のようなものなのか、朝日を浴びながら君は無表情で帰るのか微笑みを浮かべながら帰るのか、そっけないのは恋が薄いからなのか濃いからなのか。
この一連の微妙で曖昧なのに濃厚な設定が、僕には人々のコミュニケーションの今の有り様の縮図のように思える。
そんな時代において歌のスプーンじゃないと掬えない感情が“そっけない”という楽曲では描かれている。
RADWIMPSは、ロックが持つ繊細な批評性によって、この7分があっという間に感じるような新たな恋愛のスタンダードの名曲を生み出してしまった。(古河晋)
RADWIMPS“そっけない”という名曲とそのMVについて
2018.11.17 14:00