インタビュー:坂本麻里子
トム・ヨークは、いつも聴覚だけで体験する音楽を作ってきた人だと思う。そんな彼にとって意外や初の本格的サントラは、『君の名前で僕を呼んで』で国際的評価を得たルカ・グァダニーノ監督によるユーロ・ホラーの傑作『サスペリア』(1977年)のリメイク。前作はゴブリンのサントラも高名だが、本作の場合、トムにしては珍しく過去や影響源をそこかしこに参照できる作りになってもいて、発表形態も含め未来・未知を見据えた実験作『トゥモローズ・モダン・ボクシーズ』(2014年)より「素」に近い。
ムードを増幅するサントラ作法を全うしつつ、彼個人の興味や嗅覚――映画の舞台である77年ベルリンに想を得たクラウトロック/アンビエント、アナログな質感、反復するピアノの美メロ、オケと合唱団、“ハズ・エンディッド”の歌詞に顕著な政治性――も存分に反映したいわば「半サントラ/半ソロ」のユニークな内容は自宅リスニングはもちろん、実際に映画を観ることで別の輝きを放つはずだ。本取材では既に完成間近・おそらく来年発表というソロ新作の展望、また、これまであまり明かしてこなかった自身の創作プロセスについても忌憚なく語ってくれている。そんなトムの開けたモードから、クリエイターとして新フェーズに入っているとの強い印象を受けた。
ルカとの対話でアイデアが閃く
●初の劇場長編映画スコア制作への進出ですが、もともとサントラ作りに興味があったのでしょうか?
「たぶん……僕は、ここ何年か、ジョニー(・グリーンウッド)がポール(・トーマス・アンダーソン)の作品に取り組んでいるのを見てきたわけだよね。で、それを眺めつつ、『僕もああいうことがやれたらいいのに』と考えている自分がいた、と。けれども、僕の思考の仕方、そして僕自身の能力からすれば、それは自分にはほんと……(軽く一息ついて)だから、自分には『歌』という構造云々、そういった点からしか音楽を考えることができないだろう、そう感じていたんだよ。
そうしたら、なんとも不思議なことに友人のマーカス・ウェインライト――ファッション・ブランド『ラグ&ボーン』の経営者の彼から、自社のファッション・ショー向けのプレイリスト作成の依頼をもらい始めるようになってね。何年かそれをやってみたところで、僕としてもプレイリスト作りには飽きた、みたいな感じになってきて、そこで『何か自分でクリエイトできないか、やってみるよ』と提案したんだ。で、気がつくと10分ほどの音楽ピース群に――そのほとんどはナイジェル(・ゴドリッチ)と一緒に作ったものだけれども――そういうピースに取り組んでいる自分がいた、と。そうやっているうちにふと、『これってそんなに……自分が思っていたほど難しくはないんじゃない?』と考えるようになって――それでも、かなり難しい作業なんだけれども」
●10分ものピースですしね。
「そう、10分の長さだったからね。で、そこから……(記憶をたどりつつ)それから僕は、そうだな、自分のスタジオを構えたんだっけ。それも、かなり不器用なやり方で(苦笑)。分電も間違ってるし配線もなっちゃいなかったけど、それでも、なんとかスタジオとして機能してくれるようになった、と。で、ルカ(・グァダニーノ)は……なんというか、僕に『この作品をやってみる気はないか?』と、ずっと打診し続けていてね。で、最初のうち、僕は『ふむ、すごく興味深い話に思えるな……だがしかし!』と、そこで踏みとどまっていたんだ。そのうち、ある時、彼が映画の中心的なピースであるダンス作品、『ヴォルク(Volk)』を見せてくれてね。
で、彼がそのダンスを説明してくれるのを聞いているうちに……突然自分の中に、この、メロディが室内空間をちりぢりに四散していく、そういうアイデアが浮かんできたんだ。メロディが異なるパーツにばらばらに砕けていって……それ自体のテンポもずれていき、映画館内のあちこちで同時多発的にサウンドがちらばっていく、と。だから、その思いつきが本当にこう、この音楽をやってみるという考えに僕を力強く引き込んでくれたんだ。それもあったし、自分自身に対してジョークを飛ばしているってところもあって。だから、『トム・ヨークがホラー映画の音楽を担当する?――そりゃ当然だ、ホラー映画ならごもっともでしょう』と。クックックッ!」
脚本だけでサントラ素材を作る
●(笑)サントラ制作のプロセスについてお訊きしますが、プロダクションのどの時点で参加したのでしょう? 映像を観ながら書いていったのですか? それとも脚本をもとに?
「まず、最初にあったのは脚本だった。で……これは妙な話でね。どうしてなのか、自分自身正直よく分からないんだけれども……脚本があると……脚本相手に音楽を書くのは自分には楽だったんだよ。というのも……本を読むのに似ているから。だから、自分なりの心象イメージをクリエイトしていかなければならない、自分の頭でそれと同一化しなければいけないという意味において読書に似ている、と。というわけで、僕はかなりたくさんの量の、手始めになるメロディ面でのアイデアを――非常にスピーディに――作っていったし、そこで“サスペリウム”の骨格もモノにできた、みたいな。
で……ほんと、できる限りたくさんの素材を生み出そうと、すごくトライしたんだよなぁ(苦笑)。たとえ単なるノイズ群に過ぎないものでも、実験であっても、とにかく脚本そのものだけから、映像は何も観ないままの段階でなるたけ素材を作り出した、という。どうしてかと言うと、純粋に……自分でも分かっていたんだよ。いったん制作者側が特定の場面の映像をこちらに送り始めるようになって、そのシーンに集中できるよう助け舟を出してくれると、僕はその状況にとても怖じ気づくだろう、と。そんなわけで(苦笑)、映画の実際のシーンを観ても威圧されないくらい、自分でも『これなら大丈夫』と思えるくらいの量の素材をあらかじめ積み上げておこうと努力していた、という。それでも、役には立たなかったんだけどさ。やっぱり、映像で場面を観たらかなりビビらされたし」
●グァダニーノ監督は音楽を映画の重要な要素と捉える監督です。彼とのコラボはいかがでしたか? 「この場面ではこういうムードを」等々、サウンドや参照点の説明はありましたか? それともあなたの解釈にすべて任せる、というものでしたか?
「思うに、彼は理解していなかったんじゃないかなぁ?……っていうか、それってクールだなと実は僕は思っていたんだけれども――要するに、彼がこちらに求めてきたことのいくつかは、実際にやるのが相当難しいものであること、その面倒さの度合いを彼自身はちゃんと理解していなかったんじゃないか?と」
●(苦笑)。そうだったんですか。
「いやいや、それってある意味いいことなんだよ! というのも、こちらの背中を限界まで押してくれるというか……たとえば、ラスト・シーンの前の10分くらいのシークエンスのために彼が本来考えていたのは、一種の無調な合唱曲みたいなもので、(ジェルジュ・)リゲティとか、その手の人々を例に挙げて話してくれたんだ。あー、けれども、僕としては――『なるほど。ただ、それをやるつもりは自分にはないですよ』と(笑)。というのも、理由A:自分にはそれは無理だ。そしてB:自分にはそれは無理だ、と。そんなわけで、僕は……クフフッ(と楽しげに噴き出す)! 偶然、ファウストを耳にしたんだよね。クラウトロックをあの時かなり聴いていて、そこで『ザ・ファウスト・テープス』(1973年)を聴いた、と。で、あの中のセクションのひとつに、彼ら全員が、すごくハイになってるように聞こえる箇所があって。みんなでただ、♪アァァアアァ〜〜〜(と、喉歌や読経を思わせる声でうなる)みたいなノイズを出してるんだ。それをテープ・マシーンのピッチを変えながらやっているわけ。で、それを聴いていて、『フム――これって、ちょっとリゲティっぽいんじゃない?』と思ったっていう。グハッハッハッハッハッ!
というわけで、僕は自分なりに……文字通り何週間も費やして、“ア・クワイア・オブ・ワン”というピースに取り組んだ。あの曲は基本的に、モジュラー・シンセサイザーを使って、さーっとなびく微分音の動きの数々を構築していったものなんだ。で、それをやった上で音の調子の推移に合わせて歌い直していった、という――ただし、息継ぎなしで(苦笑)。だから、ちょっと歌っては一時停止して、少し巻き戻してはまた歌をやり、ある箇所まできたらまた一時停止/巻き戻し/再開……と繰り返していって、気が遠くなるような、ものすご〜〜〜〜く時間のかかるプロセスだったんだ」
●非常に凝った作りだったんですね。
「うん、だけど、ある種瞑想をやっているみたいな感じで。だから、あれこれ考えなかった。いったん『自分がやっているのはこういうことだ』と把握して、自分が追っていく道筋が何かさえ分かったら、そこからはある意味ほとんど機械的なプロセスになっていった、という。まるでこう、石造りの壁を築く作業、みたいな。そんなわけで、考え込んだりはしないし、ただ実践していくのみ、と。で……友人のスタンリー・ドンウッドがたまに顔を出すことがあるんだけど、彼はこう、僕のそばに座り、いつものごとくノートに何やかやと書き込んでいたわけ。で(苦笑)、時たまノートから顔を上げてこちらを眺めては、(呆れ顔を浮かべながら)『……いやはや、えらく面倒なこった!』と漏らしていたっていう。ブハッハッハッハッ!
だから、ああ言われて初めて気がついたんだよな……自分が実際やっているのはどういうことか、そこに対する自覚がすっかり抜け落ちてしまっていた。それくらいのめり込んでやっていたし、別にいちいち聴き返して『うわ、これは本当に不気味な音だ』なんて考えもせず、ひたすら『これをやっていくんだ』と作業に集中していた、という。で、楽曲をまとめてレコードにしていく段階で、あの曲をアルバムのおしまいの方に置くことにしたんだけど、そこで僕も『ワオ、これはかなりケッタイで気味が悪いシロモノだぞ!』と思わされ、みたいな」
<後編はこちらから>
トム・ヨークの巻頭記事は現在発売中の『ロッキング・オン』8月号に掲載中です。
ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。