ニューアルバムに先行して新曲“Stand Out Fit In”が配信された時に、今のONE OK ROCKのサウンドについて僕は以下のように書いた。
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ビートからも演奏からも、いわゆるロックバンドならではの肉体的な揺らぎは一聴すると削ぎ落とされていてデジタルな手触りが基調になっている。
しかし、かなり細かく聴き込んでもデジタルとバンドサウンドの境目がどこまでもシームレスなので逆に言うとすべての音が肉体的で人間味に満ちているとも言える。
オーケストラとのライブでも、同じようにオーケストラとバンドサウンドの境目がどこまでもシームレスに感じられた。
このロックバンドとして自分たちの人間性をはみ出させ(Stand Out)ながら、デジタルともオーケストラとも調和して世界になじむ(Fit In)、そのあり方に今のONE OK ROCKが到達したメッセージを感じる。
自分が生まれ持ったものを曲げることはない、精一杯自分のままはみ出していい。
でもテクノロジーが人々を繋いで美しい調和を描くなら、テクノロジーとも、その向こう側にいる自分とは違うものを持つ数えきれないくらいの他者ともなじんだ方が遥かに豊かな未来が手に入るはず。
世界の多くのトップ・アーティストの音楽も間違いなくそんな「開放された調和」に向かっているが、ONE OK ROCKの新しいロックサウンドもそこにタメを張っている。
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アルバムを聴くと、そのサウンドの全貌と共にONE OK ROCKがこれまでロックバンドとして目指してきた「世界基準」の音を超越した音像が鳴っていることがよくわかる。
話が横道に逸れるけれど僕たち日本人は、自分のポジションを決めるとき、本能的に端っこや後ろの方を好むところがある。
でもONE OK ROCKの音楽から僕はずっと、そこが世界のどこであっても自分たちは堂々と真ん中の前の方に日本人らしいまま立つという姿勢を感じてきた。
今回、ONE OK ROCKが挑んだのは、以前書いたようにデジタルとバンドサウンドの境目がどこまでもシームレスで、逆に言うとすべてが肉体的で人間味に満ちている音。
前も後も右も左も上も下も端っこも真ん中もないような自在の空間で、演奏から解き放たれたような音のクラスタがひとつの生き物のように有機的な秩序を紡いでいるようなイメージだ。
そして何より凄いのは、そんな中心のない世界でONE OK ROCKが自分たちが世界の中心だということを鳴らしていること。
愛と苦悩と衝動のエネルギーが巨大なとぐろを巻いていて、その台風の目で「世界の中心はここにある」と叫び続けているのだ。
ONE OK ROCKはこの『Eye of the Storm』で「世界基準」を目指すバンドではなく「世界基準」の強力な一端を担うバンドになった。
快挙とか偉業という言葉でも足りない、異次元のアルバムである。(古河晋)