あいみょんが歌う家族愛“ハルノヒ”は『クレヨンしんちゃん』にどう寄り添うのか?

  • あいみょんが歌う家族愛“ハルノヒ”は『クレヨンしんちゃん』にどう寄り添うのか? - 『ハルノヒ』通常盤

    『ハルノヒ』通常盤

  • あいみょんが歌う家族愛“ハルノヒ”は『クレヨンしんちゃん』にどう寄り添うのか? - 『ハルノヒ』クレヨンしんちゃん盤

    『ハルノヒ』クレヨンしんちゃん盤

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  • あいみょんが歌う家族愛“ハルノヒ”は『クレヨンしんちゃん』にどう寄り添うのか? - 『ハルノヒ』クレヨンしんちゃん盤
あいみょんの音楽で歌われていることは、どれも日常的な出来事だ。加えて彼女が描くそれは解像度が非常に高い。だからといってすべてを赤裸々に語るのではない。ただただシンプルに、重要だけど見落としがちな心情や情景にフォーカスして、それを明快な言葉とナチュラルなメロディに落とし込む。4月19日(金)に全国公開される『映画クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン ~失われたひろし~』の主題歌であり、2月からTVアニメ『クレヨンしんちゃん』のエンディングテーマとしてもOA中である新曲“ハルノヒ”もその文脈にあるものだ。


“ハルノヒ”は『クレヨンしんちゃん』の大ファンというあいみょんが、今回の映画の脚本を読み、書き下ろした楽曲。映画が主人公・野原しんのすけの両親である野原ひろしとみさえの「いまさらの新婚旅行」を描いていることから、原作やレギュラー放送の中で描かれた「ひろしのみさえへのプロポーズ」に着想を得て、ひろしの視点で制作された。

ひろしがみさえにプロポーズした「北千住駅のプラットホーム」というフレーズから“ハルノヒ”の物語はスタートする。サビの《いつかはひとり いつかはふたり》は、しんのすけと妹のひまわりを指しているのだろうか。そんなギミックも盛り込みつつ、今回彼女が家族愛を表現するために焦点を当てたのは、ひろしの「スーパーマンではない側面」だった。

ナチュラルでフォーキーなサウンドに乗る言葉に散見するのは《最低限の愛》、《優しさに甘えすぎて/怯えすぎた男の背中》、《前を歩く君》、《日々の辛さと僕の体が/だらしなく帰る場所を探し続けている》といった言葉たち。家は安心できて無防備になれる場所である。それは頼りになる愛しい人たちと自分が作る空間だからだ。

《君の強さと僕の弱さをわけ合えば/どんな凄いことが起きるかな?》というラインも、お互いの足りないものを補い合い讃え合いながら生活するからこそ《大切を増やしていこう》と思うことができる。妻・みさえへのリスペクトを忘れないひろしの優しさや、自分の弱さを認める度量の大きさは、野原一家が生き生きのびのびと暮らしていける要因のひとつ。『クレヨンしんちゃん』という作品が長きにわたり愛されている理由も同様だろう。“ハルノヒ”はそんな花束のように色鮮やかで安らぎのある空気感を包み込んだ楽曲といっていい。仕事を終えて家路を辿るシーンを彷彿とさせるサウンドスケープも、物語のエンディングに相応しい。

「家族=ファミリー」は婚姻・血縁関係だけでなく、仲間同士など強い想いで結びついている共同体といった意味合いもある。人間だれしも大切な相手であればあるほどどうしても意地を張ってしまったり、いいところを見せたかったりと、プライドが邪魔をして素直になれないことがあるだろう。“ハルノヒ”はそんな肩の荷を無意識のうちに下ろさせてくれて、ふわりと裸にさせてくれるような感覚があったし、なにより信頼する人のもとに帰りたいなと思わせてくれた。そういう意味でも同曲は、あいみょんから現代社会へ生きる人々へのラブソングなのかもしれない。(沖さやこ)
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