近くにいて、同じような音楽が好きで、僕とバンドやってくれるのがこのふたりだった。変な負けん気は3人ともあって。「絶対勝ってやる!」みたいな。どうやって勝つのかわかってなかったけど。その悔しさで続けてきたのかなあ(椎木)
中学・高校の同級生で結成されたMy Hair is Bad。THE NINTH APOLLOというレーベルと出会い、マイヘアなりの「かっこよさ」を求めて常に本気でバンドと向き合ってきた彼らだったが、メジャーデビュー後も椎木の試行錯誤は続いた。そんな椎木の支えとなっていたのが、変わらずいてくれた山田・山本のふたりの存在であったという。
試行錯誤してることは、わざわざ俺らには言ってこないんです。でも、頑張ってるのは伝わってくるから、それに負けずに僕らも頑張るという感じでしたね。かっこ悪いのはかっこ悪いなと思うし、これいいじゃんっていうのも、みんな言わなくても感覚的に一緒なんで。そういうのもわざわざ話したりしないですね(山田)
悩んでるというのも言われてないし、俺らも訊かなかったんで。僕は、いい意味でも悪い意味でも任せっきりというか。ベースとしての個人の話になるんですけど、1枚1枚出すごとに、前のCDではやってこなかった技術を次のCDで出す、みたいなイメージでやっていって。その曲に合うもの、かつMy Hair is Badっぽくするように意識していました(山本)
そんな試行錯誤の末に誕生した『boys』について、椎木はこう語る。
これが評価されないんだったら、ちょっと考えもんだなって思うくらい、僕は好きなアルバムで。だからこそ、みんながなんて言ってくれるか不安です。(中略)ライブハウスのお客さんにも届いてほしいし、普段バンドを聴かないお客さんにも届いてほしい。その、今できるバランスが取れたのがこれなのかな(椎木)
ライブハウスから離れず、それでいてJ-POPのど真ん中にも通用する楽曲を送り出すMy Hair is Badの戦いはこれからも続いていく。決定版バンド史とも言える本インタビューの全文を、ぜひ誌面でチェックしてほしい。
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